アヴェ・マリア


ルルドのマリアさんの歌はこちらをどうぞ。
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  • 野ばらのにおう
  • AVE_S.MIDAve Maria:Shubertシューベルトのアヴェアリア
  • GOUNOD.MIDAve Maria:Gounodグノーのアヴェアリア その他の mid ファイルは 私の mid ファイルコレクション こちらにあります。いずれも私が入力したものですが、midファ イルは個人使用に限ります。個人使用というのは、ご自分のコンピュータで再 生ソフトを使って再生するという意味です。 「最後の奇跡」という本を読みました。 著者のページはこちらです。 青山 圭秀の書籍紹介 この本の出版記念でのルルドツアーも行われたようです。 この本は近未来小説とでも言うのかな、2024 年頃の仙台が舞台。1996 年の夏 頃から2020年頃まで仙台のカトリック孤児院「光の家」の子どもたちのもとに 聖母マリアが出現する。聖母マリアの出現というと、古くはルルドのベルナデッ タへのお告げや、カタリナ・ラブレーへのお告げ、さらにファティマでのマリ アさまなど、聖母マリアの出現の話はけっこういろいろあります。この本はファ ティマのマリアさまの第3の預言がテーマになっているのですが、実によく資 料を調べられているなと、それには感心しました。その分、資料説明の部分が 多いですから、場合によってはそれが小説としての流れを止めてしまうことに もなるようですが、一般的な小説として読もうとすると、それくらいの解説が ないと、話がわからないという面もあるかも。 私はたまたまカトリックの信者なものですから、マリアさまの祈りというと、 「めでたし、せいちょうみちみてるまりあ、しゅおんみとともに、(略)」では じまる祈りくらいは、まあ、覚えてはおりますし、ミサの式次第やその他教会 内のちょっとした習慣的なことや、その他あれこれ、違和感なく読むことがで きますから、小説の約4分の3はけっこうおもしろいと思って読みました。残 り4分の1は地球の未来にかかわることですから、さあ、どう考えたらよいの かと、近未来小説はここが一番難しい。資料に関してはとてもしっかりしてい ると思うのですが、ただ1点2024 年前後に現在のパパさまが退位されること になっているのですが、となると、この時点でパパさま(1920年生まれ)は100 歳をこえておられることになりますから、このあたりはどうなのかななんて不 尊なことを思ってしまいました。 カトリックの教会のなかでマリアさまの祈りはとても親しみやすい祈りとして、 よく使われます。なぜマリアさまに祈るの?とはよく言われることでもあるよ うですが、マリアさまへの祈りは「とりなしの祈り」と言われます。親しみや すさはあるのでしょうね。「せいちょうみちみてる」ではじまる祈りは子ども の日曜学校などでもよく使われますし、私にとってもとてもなじみ深い祈り文 です。 マリアさまのご出現のできごと、そのあたりのことは、なんとも言えないなぁ というのが正直な感想なのですが、ま、こういうことはほんとにそうなの?ど うなの?というような話ではないようには思います。 さて、ファティマに現れたマリアさまは3つの預言(予言なのかしら)を伝えた と言われています。3つ目の預言の内容はバチカンの奥深くにある(とか)。そ の内容は誰も知らないわけですが、知りたいですか?私はあんまり知りたくな いというか、知りたくないという意志があるわけではなく、あまり関心はない ですね。 カトリックの宗教教義上、マリアさまの存在をどう考えるかというのは、とて も大きな分かれ目を作ってきました。いまは「神の母マリア」として認められ ていますが、過去には大論争をまきおこしてもきたものです。ま、実にいろい ろありますね、ほんと。宗教というのは、ある面とても難しい。その組織を存 続していくことと、キリスト者として生きることには大きな矛盾もはらんでい ると思います。ただ、マリアさまへの祈りは、心やすらぐものがあるのは確か かもしれませんが。 ルルドの大聖堂の鐘は「あめのきさき」。確かに、あの広場でこの歌を聞くと、 独特の感動に包まれますね。


  • ハロー・ディア・エネミー!

    
    9月2日、京都の南禅寺近くにある国際交流会館でハロー・ディア・エネミー!
    の国際絵本展の記念講演会に行きました。ドイツ文学者でドイツの子どもの本
    を数多き翻訳されている上田真而子さんの講演でした。
    平和のメッセージを伝える絵本展ということで戦争を扱った絵本についてのお
    話になったのですが、私は上田さんの感性はとても好きなのです。
    
    戦争について語り伝えること、それは本当に大事なことだと思います。しかし
    ながら、何を伝えるのか、どう伝えるのかということはとても大きな問題だと
    思います。生まなましい事実を事実として伝えることももちろんとっても大切
    なことには違いないけれど、見たこと、事実を書き手(伝える側)が自分のなか
    で十分消化し、昇化してはじめて作品となり、そのような作品に接したとき読
    み手は著者の書きたかった出来事を追体験ができる。したがって著者がどこに
    立っているかというのはとても大事なことです。読者の上にたって何かを教え
    ようとする立場、あるいは傍観者として横に立っているのではなく、そのこと
    が著者自身の問題になっているとき、作品に共感できるのだということをお話
    されていました。
    
    同じ場所で同じ時を過ごしても、子どもは大人が見たこと、体験したことと同
    じことを体験しているわけじゃないのでしょうね。この件について上田さんは、
    子どもの目線から子ども自身が体験した戦争のことについては、ウーリ・オル
    レブさんが大阪での講演会で言われていたことを例にされておられました。実
    は私も大阪の国際児童文学館でのオルレブさんの講演を聞いています。
    戦争の体験とは、悲惨なことや苦しいこと、大変だったことばかりではないか
    と考えてしまいますが、その時の体験はその人のもの。子ども時代をゲットー
    のなかで過ごした体験を語られたオルレブさんのお話のことをいまでもとても
    よく覚えています。
    
    上田さんの講演会をきっかけに、
    波紋  岩波少年文庫 
    彼の名はヤン 徳間書店
    2冊を読みました。
    
    上田さんが追体験ができる作品をと言われておられましたが、「波紋」はほん
    とうに素晴らしい作品です。ページをめくるたびにどきどきして、読み終った
    あとなぜかとてもしみじみする、ひとつひとつの情景が頭に浮かび(本のイラ
    ストもイメージ豊かで素晴らしいです)余韻が深いというか、ふと気がつくと、
    著者の心の動きを考えていたつもりなのに、それは自分の心の動きを探ろうと
    している、そんな不思議な感覚を味わったように思う。気がついたら自分の記
    憶をいっしょう懸命思い出そうとしてるのですね。読み終ったあとで自分がか
    かえている現実と向き合うための力を得ることができるように感じるとしたら、
    文学が伝える力とはすごいものだと思います。
    
    
    



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