アイルランドと妖精たち

ひょんなことから京都に「タラの丘」The Hill of TARA という名前のアイルラ
ンド風レストランがあることを教えてもらった。
The Hill of TARA
このページには「タラの丘の物語」というページがあり、店の名前になっている
「タラの丘」についての歴史、伝説をまとめたページがあります。

京都にはロシア風やアラブ風やそれこそほんとにたくさんいろんな国の雰囲気に
あふれたレストランや喫茶店があるようですが、京都に「タラの丘」が存在する
のを知って正直びっくりしてしまったのだけれど。
「タラの丘」といえば、すぐに思いうかぶのは「ケルトの神々」と「ケルトの妖
精」。思わず手もとにあったO.R.メリングの「妖精王の月」を開くと、そのほと
んど最初のページに「タラの丘」の地名が登場する。

アイルランドは妖精物語や伝説にみちた地。私もある時期「妖精」にとても関心
があって、妙にひきつけられ、妙に心に残り、妙に気になった地でもある。

妖精物語といえば、O.R.メリングの作品。いま、手もとには、「妖精王の月」と
「光をはこぶ娘」の2冊があります。2つの作品の間には7年の年月が流れてい
て、今回、この2冊を読んで(「妖精王の月」は数年前から手もとにあり一度読
んでいる)「光をはこぶ娘」はとてもおもしろかったけれど、「妖精王の月」に
はちょっとついていけない自分を見つけ出してしまったなという心境です。

「光をはこぶ娘」は一番新しい作品のようですが、「妖精王の月」「歌う石」
「ドルイドの歌」「夏の王」はメリングの四部作とも言われているようですから、
近いうちにこのあたりも読んでみようと思っています。

「妖精王の月」1995年2月講談社
「歌う石」    1995年12月講談社
「ドルイドの歌」1997年講談社
「夏の王」2001年7月
「光をはこぶ娘」2002年12月講談社

「空の青さをみつめていると」

2004/02/10
青空が本当にきれいな日でした。
空には雲がほとんどなくて、ずっと遠くまで薄青くて、かすかに霞がかかっても
いるのでしょうが、青くて、透き通っていて、なんともいえない「春」を感じる
空でした。秋の青空とは全然違う。
そんな空を眺めていたら、ふと、谷川俊太郎の詩集「空の青さをみつめていると」
を思い出して、ぱらぱらとページをめくってしまいました。
2004/02/11


(少し古い本だけれど)好きな本

ロンドン骨董街の人びと 六嶋由岐子 新調文庫 ISBN4-10-149131-3
ラ・ヴィタ・イタリアーナ 坂東真砂子 集英社文庫 ISBN4-08-747346-5
モロッコ革の本  杤折久美子 ちくま文庫 ISBN4-480-02507-3

つい最近、この3冊を「また」読んだ。「また」というのは少なくとも2回目以
上ということですね。「ロンドン骨董街の人びと」と「モロッコ革の本」は3回
目、「ラ・ヴィタ・イタリアーナ」は2回目だと思います。
「モロッコ革の本」の3回目は、本の内容にちょっと時代を感じてしまったけれ
ど、「ロンドン骨董街の人びと」はしばらくしたらまた読むかもしれないと思っ
てしまった。かなり気に入っている本ですね。

六嶋さんはイギリス・ロンドンに留学し、美術史を学び、その後ロンドンの格式
ある古美術商スピンクに職を得る。これだけでも素晴らしくすごいことだと思う
のですが、スピンクでのさまざまな体験を通してのエッセイは何度読んでもあき
ない。この本、林望さんの解説がついているのですが、よいエッセイの条件とし
て「ユニークな視点」と「独自の観察」ということを揚げられている。エッセイ
ではあるけれど、上質の小説を読むような、そんな印象がぴったりして、何度読
んでもあきない。
「モロッコ革の本」はそもそもブックデザイナーで活躍されていた著者が手作り
の製本技術を学ぶためにベルギーに留学した間の日記のようなエッセイ。なぜこ
の本が気に入っているのか、自分でもよくわからないところはあるのですが、
製本という文化への興味なのでしょうか。最初にこの本に出会ったときから、と
ても印象深い本でした。
「ラ・ヴィタ・イタリアーナ」は文句なしに楽しく読める。
それぞれロンドン、ベルギー、イタリアの暮らしが見えて何度読んでも興味が薄
れないというおもしろさを感じています。2004/02/11



言わないではいられない!(2)「最後 の惑星」

「最後の惑星」ユルゲン・ローデマン/サカヨリ シンイチ訳 新評論
ISBN4-7948-0040-1
原書の出版は1983年、日本語訳は1989年

「よりによって、うちのおやじが火星に行ったんだ」へっ?これっていったい何の
本だと思わずびっくりしてしまった。
もちろん図書館の児童図書コーナーで借りた本だし、いわゆる児童書と呼ばれる
範疇に入る本だとの認識ではありました。図書館でぱらぱらとページをめくっ
ていた時はそれほどびっくりもしていなかったけれど、さて、まじ読もうかと最
初の行を見たときに、えっ、何か間違って借りちゃったんだろうかなんて思って
しまった。いえ、だからと言って何を期待していたというわけでもないのですけ
れどね。
だけど、どうやらこの本の語り手君は普通の男の子のようだし、いかにも SF で
も、いかにも推理小説でもなさそうだしね。ほんの少しの違和感を持って読みは
じめたのですが、10ページ、20ページと読み進むうちに、あ〜れ!どんどん
はまりこんでいくではありませんか。
「おやじ」はいったい何で火星なんかに行くことになっちゃんたんだろう?って
私も妙な興味がわいてしまってね。

この本を読もうかと思った理由の第一は、ドイツの作家の本だったこと、その作
家のことはよく知らなくて、SF かなとも思った。それでもまあ、「おやじ」が
火星に行くということですから、少なくとも SF ではあるのですが、SF ではな
いですね。SF という形式を借りて、ちゃんと伝えたいメッセージを持った少々
毛色のかわった物語。

結末は地球であほなことをやっていたら火星みたいに廃虚の星になるよというと
ころかな。それにしてはなかみには少々の古さは感じるのですが、実に「いま」
タイムリーだったような気がする。

「おやじ」は科学者。アメリカの火星探索宇宙船の乗り組み員になる。そして、
火星に行く。無事火星に到着し、探険に出るのですが、なんとそこは数年前に
ソ連(この本が書かれた時代にはまだソ連だったし、ドイツには東西の壁があっ
た)が火星探索にすでにきていたという痕跡を発見。火星にはその昔、とても栄
えた都があった。けれど、いまはぼろぼろに崩壊して、それがどうやら核戦争か。
「おやじ」たち探険隊が火星でソ連が先にきていた痕跡と、古い都が
あった痕跡を見つけたときから NASA は報道管制をひいて、「ぼく」たち家族は
「おやじ」が火星でどうなったのかわからなくなる。それでもともあれ、無事だ
とわかって、ぼくと妹はアメリカまでお父さんを迎えにいく。
ところがそうすんなりとは「おやじ」に会うことはできなかった。スパイもどき
の脱出作戦で彼ら親子はやっとドイツに向かう飛行機に乗りこむ。その飛行機の
中で「おやじ」は火星でのできごと、そしてあれやこれやを長い時間をかけて話
してくれたのだ。

その話しのなかで、「おやじ」お父さんが一番いいたかったことは、地球
で東西の線や南北の線をひいて戦争やったりお馬鹿なことをしていたら、地球
は亡びるぞというメッセージ。核戦争で廃虚になった火星を見てきた「おやじ」
は地球を守ることに力をこめる。

この本のなかで、軍備拡張や戦争はなぜ起こるのとか、「ぼく」が「おやじ」に
あれこれ質問する場面がある。
「互いの不信」「猜疑心」そして、「無知と不安」だと「おやじ」は答える。
戦争なんて二度とごめんだ、そういうことをユーモアもまじえてきちんと書いて
いるドイツの本があるのだ。

時代状況が少し古い面はあるけれど、そんなことはたいしたことじゃない。読ま
なくてはいけないのは、なぜ「戦争が起こるのか」について、考えようとする態
度だと思う。2004/02/05



言わないではいられない!イラク派兵 反対!

2月3日のニュース23という番組を聞いていた。「高校生が武力に頼らないイ
ラク復興支援を求める署名と請願書を提出した」というニュースがはじまって、
おっ!とこんなことをやってくれる高校生がいるんだとわずかな希望を感じて顔
がテレビに向いた。ところがそこには小泉さんが顔が写り、小泉さんに「読まれ
ましたか」とアナウンサーが聞いていた。
「いや、読んでない」と答え、「う〜ん」と彼特有のなんとも言えない顔つきで、
「自衛隊がどれだけ素晴らしい任務についているかを知って欲しいですねぇ、
勉強になるよ、うん」みたいな返事をしてました。

お立場上、弱気を見せることはできないだろうけれど、その反応はないだろう
と思いましたね。

署名っていままでにもいろんな形でやってきたことがあったけれど、何千人も 
のそれぞれの思いがあるのは確かなわけで、そういうものを見もしない、何も
知らないって言って、放ってしまうのかと思うと、言いようのない暗澹たる思
いというか。

「1票」のためには頭をさげても、思いのつまった署名にはこんな態度をする
のかと、わずかな数秒のニュースが妙に気持ちに残りました

そのニュースはどうやらこの件のようですね。
学校現場に自衛隊イラク派兵の賛美を要求する小泉首相に抗議の声を集中しよう!

最近の小泉さんのおしゃべになる言葉は矛盾だらけ。予算委員会の答弁でも、
「犠牲者がでたらどうするか」という質問に、「自衛隊の任務は崇高だから」とか、
まったくの的はずれ答弁が多々。極端にいうと、「危険はないが、危険はあ
る」というようなしゃべり方になっている。

2月3日、陸上自衛隊本隊派遣について、中国は「日本の近年の軍事・安全保障
分野の動きは突出しており、今回のイラクへの派遣も疑いや憂慮を呼んでいる」
と懸念を示しているように、年末からの動きにはますます拍車がかかっているよ
うで、ほんとに恐い。
過ぎ去ったことを取り戻すことができない以上、もう同じことを繰り返さない
という大きな決意をしなければ、いったいこの「戦後」50年とは何だったのか。

イラク派兵のニュースとともに、ここのところ「さとうきび畑」という歌もよく
テレビから流れてきます。
ざわわ、ざわわ
さとうきび畑のさわめきは葉っぱのこすれる音だけじゃない、 その土のなかで
戦争の犠牲になった人々の声がいっしょにざわめているってことをやっぱりいつ
も思いのなかに置いておかねば。

湾岸戦争の時、たとえ難民の救済のためでも自衛隊機を出すなと大声で叫んだ
あの勇気はどこにいったの?

イラクへの自衛隊派遣はどういう説明をつけようが、平和憲法違反です。



AMATO OPERA アマトオペラ

「トニーとサリーの小さな小さなオペラハウス」
講談社  佐山透 1700円
ISBN4-06-211705-3

いつだったか、半年ほど前だったと思うが、近くの小さな本屋さんの書棚で「ト
ニーとサリーの小さな小さなオペラハウス」という本を見た。本のタイトルが目
について、手にとったが、しばらくながめて書棚に返した。お財布にお金が入っ
ていたら深く考えずに買ってしまったかもしれないけれど、1700円がちょっと高
いかなと思ったのです。その時、パラパラとページをめくっただけですから、本
の内容についてはほとんど何もわからなかった。けれど、なんででしょ、書棚で
本を見つけて、わずか数秒だけ手に取っただけの本でしたが、妙に心に残り、い
つか買おうとは思っていました。「本」も不思議なもので出会いものみたいなと
ころがあります。本屋さんでみつけてその時に買わないともう買えないし、読ま
ないという本があります。せめてタイトルくらいを覚えておけば注文して買うこ
ともできますが、まあ、通りすがりに見た本というのは、よほどの話題の本でな
い限り、最近の本屋さんの事情を考えると、たいてい普通は2度出会うことがな
い場合のほうが多いかもしれないです。

そういう意味でいうなら、「トニーとサリーの小さな小さなオペラハウス」とい
う本は「読んでね」と呼びかけられた本かもしれないなぁ。
今日、たまたま図書館に行った。特に何を借りるという目的があったわけではな
く、書棚の間を歩いていたら、「見てみて!ここよ」とお声がかかったのです
(笑)ほんとに。ふと見ると、そこに「トニーとサリーの小さな小さなオペラハ
ウス」という本があるではありませんか。あ、あの小さな本屋で見た本だと思っ
ったとたんもう手にとって借りる態勢に入っておりましたね。

この本のタイトルにはサブタイトルがついています。
世界一幸福な夫婦の物語
いや〜、実は最近はあまり他人の人生に触れたくない、そんな心境で1年ほど過
ごしています。人の生活、実にさまざまなことがあります。そのことに向き合っ
ている時、ほんとうに辛かったり、苦しかったり、実にいろんなことをくぐり抜
けていかなくてはいけない時期ってやっぱりあるんだろうね。なんかそんなこと
を実感として思っている時は、自分の生活でせいいっぱいになっているから、他
人の人生に触れることがもっともっと辛いことのように思えてしまうから、実は
テレビのドラマも見ないし、いま、私には、小説というものが読めなくなってい
る。

ブロードウェイがあり、メトロポリタン劇場がある世界有数の都会ニューヨーク
の片隅で、世界一小さいオペラハウスに夢を托したイタリア移民のサリーとトニー
の物語。いや、物語ではないですね、何の予備知識もなく、彼らが生きた姿に触
れて、なんだかすっごく感激しています、いま。

オペラって日本ではどうもそう簡単に話題にのぼるものじゃない。私自身も劇場
で生オペラは3つだけ(「マルタ」「魔笛」「アッティラ」)。見たいと思いつ
つ、なかなか行けなかったりする。それは都合よく日が合わないこともあるけれ
ど、チケット代金の問題もあるし、何よりいっしょに行く人を探そうとすると、
そこでつまずく(笑)ことも多いから、オペラに行くのはひとりで行くとか、な
んとも出にくい状況もあるのは確か。そして、それなりのホールだと、やっぱり
ジーパンはまずいかとか(とはいえ、4階席だったらジーパンでもいいかと勝手
に解釈もしてるけれど)まあ、それなりオペラに行くには日本は障害が多い国か
もしれないね。

だからこそ、誰もが楽しめるオペラをフルステージで、しかも無料で!(最近は 
チケット料金を取っているそうですが、きわめて安い値段)そんなことできるの
かしらとやっぱり思ってしまうけれど、世の中にはほんとにいろんな人がいて、
メトロポリタンオペラだったら200人の出演者がいるオペラをわずか20人で
やってしまう、そして言い知れぬ感動を与えてしまう人たちがいるんですねぇ。
でっかいホールなら、2000人近くの観客が入るのに、わずか200席にも満
たない小さい劇場で、「ラ・ボエーム」だの「アイーダ」だの「蝶々夫人」など
を上演するというのですから、すごいものです。
「アイーダ」ってテレビで見たけれど、ヴェルディのオペラとしてもなんかすっ
ごい豪華絢爛の舞台だし、出演者もすごい数だったように覚えてる。

オペラの感動はどこにあるのだろうか?もちろん素晴らしい設備の整った世界的
に有名な大きな劇場で、有名な歌手の声を聞き、舞台芸術の素晴らしさに触れる
ことも感動の極みだと思う。でも、世の中それがすべてじゃないだろうね。
感動のなかみはあるときは、技術でも舞台の豪華さでもなく、たぶん、
そこに人生があるかどうかってことかもしれない。そういうものをオペラに人生
かけたトニーとサリーの劇場の舞台にかければ、オペラの世界に入り込むのは時
間の問題なのかもしれない。
本を見てから、読むまでにちょっと時間がかかったかもしれないけれど、読んで
よかったなぁと思えた本。2004/01/24

Amato Opera Theater
劇場の歴史については Mission --> From Dream to Reality のページへどうぞ。




ニューイヤーコンサート

ニューイヤーコンサート

いつの日かウィーンフィルのニューイヤーコンサートを生で聞くことができた
ら!1月1日夜、生中継のテレビの画面をみながら、ふとそんなことを思って
しまった。かなわない夢かもしれないけれど、そう思っていればそうなること
もあるから、やっぱりいつか生でウィーンフィルのニューイヤーコンサートを
聞いてみたいという夢を持ち続けておこう。

2004年、新しい年のご挨拶を申し上げます。紅白歌合戦も曙とボブサップ
も見なかった。元旦天皇杯の決着がつく頃にやっと目が覚め、夜になってウィ
ン・フィルのニューイヤーコンサートの最後ラデツキー行進曲でやっと私の気
持ちも新年になった。

ワルツやポルカといったシュトラウス一家のおなじみの曲も、指揮者が違うと
やっぱり雰囲気が違う。選曲にも当然意味はあるし、盛り上げ方が違うのだと
改めて感じる。今年の指揮はリッカルド・ムーティさん。なぜかちょっとお茶
目な感じがそここにあふれ、なんだかとっても心に残るニューイヤーコンサー
トだった。テレビならではのバレエの映像も素晴らしかった。そして、例年の
ように「美しき青きドナウ」の前に指揮者からのメッセージ。「平和への祈り」
のような言葉だった。

音楽には人の心に訴える何がやっぱりあると思います。その思いが世界のすべ
ての人々に伝わるように祈りたい。。Peace on earth....Luke 2:14
2004/01/06


甲野善紀さん


先日、トリビア!?というタイトルで
ちょっとした感想書いておきましたが、ちょっと追加しておこう。
そもそも「トリビアの泉」って、某テレビ局の番組だし、実際のところなんだか
よくわからないのではありますけれど。

トリビア!?のところで、NHK教育テレ
ビで放送されている「人間講座」(古武術)がなんだか珍しくて、へぇ〜!(こ
れがトリビア度をはかる言葉らしいけれど)という感じでしたが、この講座の先
生、甲野善紀さんという方は人間味あふれた素晴らしい方のようです。
私はその後、その人間講座を数回見ました。居合抜きのあとには、竹刀のような
ものの扱い方や手裏剣のこと、それこそ現代生活のなかでは普通の人間にとって
はまったくもって無縁の「もの」の話しが続くわけですが、なぜか不思議なこと
に甲野さんの話しぶりに妙に魅せられ、引き込まれてしまっているのです。
はて?これはいったい何だろうと思ってしまうのですが。

小さい時から武道的な修行に励んでこられたそうですが、もちろん子どもの頃は
我流であれこれで、いかにうまく屋根から飛び降りるかとか、「危ない遊び」に
近いこともあれこれやってこられたようですが、何か一本、ものすごい関心事に
導かれて古武道の道を究めようとされているようですね。人とつき合うのがへた
だから、畜産大学に進まれたというなんともおもしろい経歴もお持ちのようです
が、小さい頃は人前で話しをするなど考えられないことだった方が、いまや、テ
レビで「人間講座」を開講しておられるわけです。
たとえば、本来人間の体はこうだから、こう動くのが理論的といったような形で
動きのあれこれを説明されて、自らその動きを体で示されるのですが、う〜ん!
なんと無駄のない、理屈にあったきれいな動きをされるのか!とひとつひとつに
感嘆の言葉が出てしまうのです。

古武道の研究がそれだけにとどまらず、たとえば、介護のときの寝ている人の起
こし方や、バスケッ トボールでの無駄のないボールの扱い方、階段の登り方な
ど、あらゆる場所で甲野さん独特の理論に基づいた動きが日常生活にいかに役立
つかを見て、いま、私は相当びっくりしているのだ。そして何より、甲野さんの
あの独特の語り口、一度生でお話しを聞いてみたいものだと思ってしまった。
2003/11/13


東九条マダン

2003/11/02 東九条マダン に行ってきました。

東九条マダン

プンムル、和太鼓とサムルノリはすごかった。ただただ圧倒される。太鼓の音が
お腹に響きズシーンと来る。日本の楽器と韓国の楽器の掛け合いがすごい。話し
をしてる。通じ合ってる。

イ チサンさんのライブの時、ストレートで素直な反応がすごかった。
ちょっと感動してしまう。イラクの戦争のときに作った歌だといって歌い
はじめてから、すっごいのっていて、曲の間も「あ〜、ええなぁ」みたいな
反応。「そうや、そうや」と。
人の命をお金にかえてという歌詞
この歌が終わったときに、もう「アンコール、アンコール!」と。
すると、近くにいた人が「アンコールははやいでぇ」
「いや、あんまりええ歌やし、もういっぺん聞きたいんや」と。
なんかすっごい素直な感想と反応にものすごい好感を持ってしまった。
戦争とか平和という言葉への反応がすっごい素直で敏感。

マダン、日本人が失ってしまった何か大事なものがちゃんとあるみ
たいな、そんな感じがした。

韓国のお寿司とキムチと、ケーキを買ってかえった。

楽しかった。とつぜん行こうと思いたって、思わず走って行ってしまったという
感じがするけれど、行ってよかった。心の呪縛が取れない私は、最後のライブで
いっしょに歌い踊ることはできなかったけれど、いつかきっと身軽になって、わ
たしもいっしょに歌わせて!
2003/11/02


トリビア!?

某テレビ局の番組で「トリビアの泉」というのがある。最初、これはなんじゃ?
という感じだったが、「トリビア」という言葉がなにやらじわじわと巷の話題に
なっている。まあ、一度見てみようかと思ってその番組を見ると、確かに
「へぇ〜、そうなん!」という言葉がなんとなく自然に口をついてくる。まあ、
そのことを知っていようが知らなくてもどうってことのないようなことばかりが
あれこれ出てくるわけですが、そのひとつひとつに確かに「へぇ〜」に!や?
がついた声がもれたり、思わずプッと吹き出してしまうことがある。
しかしこういう番組は2、3回見ると、まあ、秋が、いや飽きもくるけれど、
世の中にはどうでもいいけれど、聞けば知ればおもしろいと思う、そういうこと
は確かにいろいろあるんだわさと思うね。

さて、某日、某HK の番組を見ていた。見なくちゃいけないと思って見ていたわ
けではなく、それこそなんとなく。「料理」とか「お宅訪問」とか、「太極拳」
そして「お父さんのためのピアノ教室」とか。その合間に片山右京さんまでが出
てきて、車の運転技術まで教えてくれる。はぁ、次から次となんだかあっちとび、
こっちとびではあるのですが、それなり役立ち、それなりどうでもいい番組が続
くのだ。

そのままチャンネルをかえずにいたら、いつのまにか「人間講座」という一種の
教養番組がはじまった。この日は武術家の登場で、やや!居合抜きについて語り
だしたではないか。真剣なんだろうか、日本刀の扱いや名称について実に詳しく!
それから刀の構造について語り、刀の抜き方からしまい方まで懇切丁寧に解説が!
うう、だけど、これが思わず見惚れてしまったのだねぇ。抜くのはそれなり誰に
でもできるかもしれないが、刀をしまうことはたぶんきっと難しいのだ。そして、
どんな構え方があるか、その構え方での刀の抜き方、相手との対し方についての
実演がはじまる。

まあ、確かに武術、武芸にはある種哲学あり、なんだろうな、30分ほど知らず
知らずその番組を見てしまったのではあるが、その番組を見ながら、私、ふと思
い出した言葉が「う〜ん、これはトリビアかも〜」と。

普通の生活をしている人間にとって「刀」などまったく縁はないし、その手の映
画やドラマも一度も見たことがない。そんな者が居合抜き講座を見て、どうする
ねん?で、刀の抜き方、しまい方を見て、「へぇ〜!」という言葉を連発させて
いた。はぁ、これこそトリビアかもねぇ。そして、こうやって居合抜きってどう
なんだよと誰かに言いたくなるわけで、はぁ〜、「トリビア」ってのは確かにど
うでもいいんだけれど、おもしろいもんだね。人生いろいろ、ほんとに日々いろ
んなことがありますもん。こんなことどうでもいいやんとは思っても、それが何
かすごい発見や生き方をかえてしまうような入口になるかもしれないし〜って思っ
てしまった。2003/10/30



夏の読書の行き着く先はやっぱり幽霊だった
---L.M.Boston「グリーン・ノウ」シリーズ
夏の読書の行き着く先はやっぱり幽霊だった---M.L.Boston「グリーン・ノウ」シリーズ

2003年夏、7月から8月はじめ今年の夏は涼しいままかと思っていましたが、
とんでもない9月に入ってからのほうがよほど暑かった。連日真夏以上の暑さ。
ただ暑いだけでなく、蒸し蒸しと暑いのだ。阪神は優勝を目指して熱い日々、
しかしながら9月に入って M2 が点灯したとたんに連敗続きの暑い夏の日々が
続く。そして15日、ほんの少し秋めいた日、とうとう阪神はホーム甲子園で
優勝を決めました!ここで決めるべきだったからそうなったのかな。ほとんど
満席の甲子園球場での優勝フラッグを持っての場内行進、なにやら感動的なシー
ンでもありました。京都パープルサンガも残留せえよとの熱い声援に13日やっ
と最下位脱出年間順位14位にまで浮上。

さわやかな秋のはじまり。さまざまな意味を込めて実りの秋になりますように。

8月、火星接近、きれいな月の横にピカリと光る火星が!ふとブラッドベリの
「火星年代記」を思いだし埃をはらってページをめくった。そして、ついでに 
H.G.ウエルズの「宇宙戦争」まで読んでしまった。暑い暑いという言葉がとび
だす真夏の日々、しかしながら、これじゃあ、ますます頭も心も熱くなる。

ああ、これじゃいかんと思いつつ、せめて心を静め、夢に遊べるものはないか
と出久根達郎さんの本を読みまくった。古本の話、猫の話、愛犬の話などなど。
この方のエッセイはなぜか大好き。そして、なぜか「古本」。古本の話はなぜ
か心やすらぐのだと思いたいけれど、古本を巡ってのおっそろしい話しもあれ
これあって。ついでに紹介しておくと、横田順彌「古書狩り」(古書をめぐる
けっこうこわ〜い短篇集)、紀田順一郎「古本屋探偵の事件簿」はお勧め。
その他もろもろ古本をめぐる話はまた別にまとめましょう。

そして、またふと目についたものは、リンボウ先生の本だった。ああ、これこ
れ、ひさしく忘れていたけれど、しばしリンボウ先生とゆっくり話しがしたい、
そんな心境になって、さっそく手もとにあった「イギリスは愉快だ」「リンボ
ウ先生遠めがね」「林望のイギリス観察辞典」「ホルムヘッドの謎」を読み出
した。なぜか「イギリスはおいしい」という本が見つからない。けっこうまじ
で本箱を探しまくったのだが、なぜかかくれんぼ。またひょっこり出てくるの
だろうけれど。

「イギリスは愉快だ」
「リンボウ先生遠めがね」
「林望のイギリス観察辞典」
「ホルムヘッドの謎」

著者さんは1984年から1987年にかけてイギリスで暮らした。そして、
1984年の10月頃から約8ヶ月ほどマナー・ハウスに住んだ。8ヶ月が長
いか短いか、それはなんとも言えないけれど、林望氏は「ケンブリッチ中で、
いやイギリス中で一番幸せな日本人」(「イギリスは愉快だ」(p.40))であ
るのは確かだと私は思う。いや、世界中で一番幸せかもしれないぞ。

1984年の秋から約8ヶ月にわたって著者さんはヘミングフォード・グレイ
にあるルーシー・マリア・ボストンのマナー・ハウスに住んだのだ。その家は
1120年に造られたこの国でもっとも古い家。ルーシー・マリア・ボストン
はその家で「グリーン・ノウ」シリーズの本を書き、パッチワークを縫い、薔
薇を育てた。

著者さんがヘミングフォード・グレイに住む場所をみつけたのは、ほんとに偶
然だったようだ。とはいえ、それはやっぱり著者さんの努力の成果。偶然見つ
けたとはいえ、「ヘミングフォード・グレイの古いマナー・ハウス」がすべて
の人にとって「素晴らしい場所」であるかどうかはわからないわけで、その素
晴らしさを見出したのはやっぱり著者さんの豊かな感性だと思う。そこに住も
うと決めた時、著者さんはその館の主人ルーシー・マリア・ボストンとは誰な
のか、そして、そのマナー・ハウスがどういうところなのか、知らなかったそ
うだ。しかし、そこに住み、「グリーン・ノウ」物語を読み、自分がいま、住
んでいる屋敷そのものが「グリーン・ノウ」の世界そのものであること知り、
「グリーン・ノウ」物語のなかでの暮らしが始まった。

メアリ・ボストン(Boston,Lucy M.)
  1954 グリーン・ノウの子どもたち
  1958 グリーン・ノウの煙突
  1959 グリーン・ノウの川 
  1961 グリーン・ノウのお客さま
  1964 グリーン・ノウの魔女
  1976 グリーン・ノウの石

この夏、「グリーン・ノウの子どもたち」をまた読んだ。これで3回目にはな
ると思う。1回目よりは2回目、そして3回目、この物語がますます素晴らし
くおもしろいものだと思った。3回目は、林望氏の「イギリスは愉快だ」を右
におきつつ、「グリーン・ノウの子どもたち」を読んだ。この物語の世界がそっ
くりそのままいまも「生きて」いて、まだそこにあるんじゃないかと思うよう
な錯覚を覚えつつ。

ルーシー・マリア・ボストン
1990年5月25日97歳で亡くなった。けれど、きっと彼女はマナー・ハ 
ウスのどこかに住んでいるんだ。愛すべき幽霊となって。会いたいです、メアリ・
ボストンさんの幽霊に。( 2003/09/16)



散歩の効用

散歩の効用

「となりのトトロ」の挿入音楽に「さんぽ」という曲がある。軽快なタッチで心う  
きうきするようなマーチ風な曲だ。

あるこう、あるこう、わたしは元気

こんな歌詞がついていましたっけ。うろ覚えですから怪しいですが。

子どもの散歩はこんな風に元気があるほうがいい。散歩というのは歩くことで
はあるけれど、元気がありあまって時には走るのもやっぱり散歩でしょう。

大人の散歩はたぶん「さんぽ」の曲に乗っての散歩はやっぱりしないだろうけ
れど、常よりもゆっくり歩きながら、見慣れた景色であってもゆっくり眺めた
り、時にはもの思いにふけりながら、あるいは連れがあるときは、何くれとお
しゃべりをしながら、というのが普通かもしれませんね。もっともおしゃべり
をするのが目的で散歩に出るということもありますものね。

散歩で歩くなら、できたら川べりを歩きたいとは思いますが、なかなかそんな
に恵まれたコースが近くにあるわけでもない。京都だったら、鴨川べりの散歩
は最上のコースかもしれないけれど、自転車では行けても鴨川べりを歩いての
散歩はなかなか実現できません。

常日頃の散歩コースというのは、近くの住宅地や公園をぐるっとひとめぐりと
いうのが普通だけれど、京都という土地柄か、ここまで行ってみようかとなる
とやはり神社仏閣の庭というのが散歩コースにはいってくる。京都の寺や神社
というのは、おもいのほか広いのです。住んでいる近くにはいくつもの寺や神
社があり、それぞれに観光地として有名なところばかりですが、いつもいつも
人でいっぱいというわけではありません。季節が違い、時間帯が違えば、本当
に広い広い庭には誰もおらず、ひっそりと静かで素晴らしい散歩の場所なので
す。人が多いときにはとても見ることもできないようなものをゆっくりゆっく
り歩きながら、そして足をとめて眺めることができます。梅や桜で有名な神社
や寺の庭にはいつもひっそりとたくさんの木があり深い森のようだ。おびただ
しい数の絵馬に書かれたひとりひとりの願い事を読むのも楽しい。ほとんどが
「合格祈願」ではあっても、ね。

散歩は歩くことだけれど、歩いてどこかに行くわけではないし、歩くこと以外
に何かはっきりした目的があるわけでもない。どこかに行くとか買い物をする
というような目的があるなら散歩ではなくなるのかもしれないですが。ただた
だ「歩く」のではあるが、思いのほか「効用」があるのだと感じている。どん
な?というのはときどきに応じて違うような気もするけれど、単純に「気分転
換」の効用はあるし、見慣れた風景のなかにも新たな発見があったりすること
もあるし、気が滅入っているなら多少の「晴れ間」気分をもたらす効果もある
ようだし、どんなに気持ちがぐしゃぐしゃでも散歩によって多少の立ち直り効
果はあるかもしれません。2003/09/02


カンブクロとは?

カンブクロとは?

日本のサッカーについての本を読んでました。
一冊目は、

キャプテン翼、勝利学
深川峻太郎 集英社インターナショナル 1200円 ISBN4-7976-7053-3

これはなかなかおもしろかったです。「キャプテン翼」は数冊しか読んだこと
がないのですが、なかなかおもしろいマンガだと思っていました。この本、
「サッカー」についての話がおもしろいというよりは、著者さんが「翼くん」
に惚れ込んで、翼がまるで実在のサッカー選手であるかのような記述がなんと
もおもしろかったのですが。「キャプテン翼」このアニメはヨーロッパの国で
も放送されており、子どもにも大人にも人気の日本アニメ作品のひとつなのだ
そうです。サッカーの先進国と言われる国でも十分に通用する「翼」、これだ
けのアニメを作ることができる日本という国がサッカーの後進国だと言ってし
まうのはおかしいと確かに妙に説得力のあるおもしろい本でした。

さて、もう一冊、こちらもなかなかおもしろいのです。

サッカーのエスノグラフィーへ
徹底討論!民族とメディアとワールドカップ
市之瀬敦 他編著  社会評論社 2000円 ISBN4-7845-0399-4 

これもやはり日本がサッカーの後進国であるなんて、そんなことは言えないよ 
という視点が見え隠れするシンポジウムの記録。「サッカー」という競技はイ
ングランド起源で、日本には外国から伝わった競技であるというのが普通の認
識ではあるかもしれないのですが、なんのなんの日本にこそ「サッカー」の原
型になった「蹴掬」というスポーツがあったではないかと。雅なスポーツらし
いですが、確かに。京都には蹴掬の神さまを祭った神社(白峰神社、蹴掬の碑
がある)があり、いまでは「サッカーの神社」となり、必勝祈願にかけつける
サポーターもいる。

白峰神社

W杯!サッカー神社で勝利祈願

日本の雅な「蹴掬」が即サッカーというスポーツの起源だと言うにはちょいと
飛躍もあるかもしれませんが、ともあれ「足でボール蹴る」という人間の基本
的な欲求?に関する遊びは日本でも古くから行われていたということですね。

「サッカーのエスノグラフィーへ」という本の最初は「蹴掬」の話(これはあ
とがきのほうがもう少し詳しいですが)、いずれにしろボールを蹴るという話
から本題に入ろうとしているのですが、日本でも古くからボールを蹴ってきた
のだというもうひとつの証拠として、「山寺の和尚さん」というわらべ歌があ
げられています。確かに!山寺の和尚さんがどういう理由かはわからないです
が、「掬」を蹴りたい、ところが「掬」がない。「掬」がないから、自分で
「掬」のかわりになるものを作ってしまうのですね。なんと、猫を「カンブク
ロに押しこんで」、和尚さんは猫を蹴ってしまうのです。

「山寺の和尚さん」というわらべ歌、たぶんご存じでしょう。わらべ歌ですか
ら、書いた歌詞を見て覚えたというよりは、みんなが歌っているのをなんとな
く聞きながら知らず知らず覚えてきた、わらべ歌というのはそういうものです
ね。

私は「猫をかんぶくろにおしこんで」は「猫を紙袋に押しこんで」だと思って
いました。

ところが、「サッカーのエスノグラフィーへ」という本ではこんな歌詞になっ
ていました。(この出典は何だろう?)

-----------
山寺の 和尚さんは
掬は蹴りたし 掬はなし
猫を棺袋に押し込んで
ぽんと蹴りゃ にゃんと鳴く
にゃんがにゃんと鳴く
よいよい
----------

文字では「棺袋」と書いてますが、これは「かんぶくろ」と歌われます。この
歌詞をみて、ちょっとびっくりしてしまったのです。「かんぶくろ」は、「紙
袋」ではなく、「棺袋」!?

「棺袋」(かんぶくろ)とは、「死者を埋葬するための袋」なのだそうです。
もちろん「棺桶」というのがあって、桶だと棺(ひつぎ)ですよね。木製、土
製、その他、時代とか地域によっていろいろでしょうが、棺桶という場合は少
なくとも形のある埋葬用の箱とか瓶(かめ)のようなものということになりま
す。「袋」につめて埋葬するようなこともあったのでしょうか。ないとは言い
切れないと思います。身分や地域、習慣によっては「袋」にいれての埋葬もあっ
たのではないかとは思います。「棺袋」(かんぶくろ)という言葉があるのか
どうか、ともあれ、広辞苑を見てみましたら、「棺袋」という言葉はなく、
「かんぶくろ」とは「紙袋」からきたものという説明になっていました。

(広辞苑)
「かんぶくろ」
かん‐ぶくろ【紙袋】
(カミブクロの音便) 紙製の袋。

「棺」
かん【棺】クワン
死者を入れて葬るための箱や桶。ひつぎ。「納―」「出―」
―を蓋(おお)いて事定まる

さて、「山寺の和尚さん」というわらべ歌、「猫をカンブクロに押し込んで」
の部分は、「紙袋」なのでしょうか、それとも「棺袋」なのでしょうか。

わらべうたというのは、手遊び歌、鬼を決める歌、子守歌、数え歌、てまり歌、
京の通りを歌った歌はねつき歌、人を集める歌、などなど、いろんな種類にわ
けることができるようですが、「山寺の和尚さん」の歌はこのどれかの範疇に
入るものではないようだ。

わらべ歌の歌詞を記録しているページがないかと探してみましたら、いくつか
はあるのですが、「カンブクロ」の部分が、不思議なことにはっきりと「紙袋」
と書いているところは少なくて、「かん袋」というような歌詞になっている場
合が多いのですね。

「紙袋」と書いてあったページ
猫を紙袋(かんぶくろ)
 山寺のおしょうさん

「かん袋」と書いてあったページ
山寺の和尚さんの歌詞
「ねこをかん袋に 押しこんで」
「かん袋」となっていて、これが「紙」か「棺」かは不明

わらべ歌歌詞
 「猫(ねこ)をかん袋(ぶくろ)に おしこんで」

紙の袋に猫を押し込めるというのは、その紙袋がよほど丈夫なものでない限り
はかなり難しいかもしれないですね。

さて、「山寺の和尚さん」というわらべ歌に出てくる「カンブクロ」とは、いっ
たい何なのだろうか? 2003/07/09


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