タヌキ山事件(1)
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1 はじまりはバスにのって
その事件はタヌキ山という変わった形の山がある静かで小さな町でおこりま
した。その「できごと」は新聞のニュ−スになりました。でも、たった十行ほ
どの小さな記事でしたから、たいていの人は見逃してしまったかもしれません。
さて、事件のことをお話しする前に、タヌキ山とタヌキ山のある町のことに
ついて少しお話ししておきます。
タヌキ山というのは、はげ山で、山はこげ茶色をしています。そして、その
山には、少しへんてこりんなところがありました。山肌に、妙に大きいだ円形
の白っぽい岩が垂直にはりついているのです。それで山はまるでマンガに出て
くるタヌキのお腹のようにみえます。だからタヌキ山という名前がついたのだ
と言われています。
へんてこりんな山…と言いましたが、町の人たちはとりたてて山のことなん
か気にする人はありません。自分がいつも見なれているものは、たいていおか
しいとは思わないものですから。そんなちょっと変わった山のある町でしたが、
とっても静かできれいな山あいの町でした。
さて、事の起こりはこの美しい小さな町に、ある日、一人の男がやってきた
ことからはじまりました。
この町にくるには、山ひとつ向こうのとなり町からバスに乗らないとくるこ
とができません。鉄道はとなりの町が終点でしたから、そこから、バスに乗っ
ておよそ二時間、でこぼこの山道をゆられなければいけません。
バスは朝と午後と夕方の一日三回、となりの町からやってきます。そして、
役場の前の広場でむきをかえて、また帰っていきます。バスにはたいていきまっ
た人が乗ります。この町の役場で働いている人とか、学校の先生とかです。
この町に始めてくるという人はとてもめずらしいし、まして、町の人がよそに
でかけるというのはもっとめずらしいことでした。
さて、男の人は午後にとなりの町を出るバスに乗ってやってきました。山道
をみどり色のバスがポコポコ走ってきて、町役場の前にとまりました。
「シュウ−テンデェ−ス」
車掌さんもかねている運転手は、ハンドルをにぎったまま、その日のたった
一人のお客さんにいいました。
男の人は一番うしろの席にきゅうくつそうにすわり、体をまげて眠っていました。
「シュウ−テンデェ−ス」
運転手はもう一度声をはりあげました。男の人はようやく体を起こし、あた
りをキョロキョロながめます。
「終点です」
男の人はあわててたちあがり、少し足もとをふらつかせながら、バスの前の
出口に歩いてきました。
「ちょっとおたずねしますが、この町に旅館かホテルがありますか」
男の人は運転手に聞きました。
「旅館、さて?」
運転手はたよりなげに首をかしげます。
「遠いところからおいでのようですが、この町にどんな用があるっていうの
ですか。めずらしいお方だ…」
運転手はつぶやくように言って、不思議でたまらないといった顔で、男の人
をながめました。
「いや、まあ…」
男の人は少しどきまぎしました。
「そこに見える塔のある建物が役場ですから、旅館があるかどうかそこで聞
いてみてください」
男の人がバスからおりると、運転手はドアをしめ、そして、となり町へひき
かえしていきました。
バスをおりたった男の人は、それほど大きくない黒い手さげカバンをひとつ
もっているだけでした。くたびれかけた灰色の背広は、上着もズボンもしわが
いっぱいついていました。
男の人は役場の入り口にむかいます。でも、すぐに、入口のとびらもほかの
窓も、みなしまっているのに気がつきました。
「おやまあ、もうそんな時間になっているのか。確かバスに乗ったのはお昼
すぎだと思ったのに」
腕時計を見ると、四時十五分。
「とにかく泊まれるところをさがさなくては…」
役場のとなりは消防署、そのとなりに病院。小さな山あいの町でしたが、な
かなかりっぱな建物がたっています。
ふりむくと、役場のちょうどま向いにのれんが出ている食堂がありました。
屋根の上に出ている看板をよく読もうとして、男の人は少し上を向きました。
夕日があたって店の看板は光っていました。看板の文字のかわりに男の人はみょ
うなものをみたのです。
「なんだ、あれは…」
男の人はタヌキ山をみました。
バスの中ではうつらうつらねむったままこの町のついたものですから、男の
人はほとんど景色をながめていませんでした。男の人はタヌキ山をはじめてな
がめたのです。
「ふわぁ、山だ。それにしてもなんてへんてこりんな山だろう」
はじめてタヌキ山を見たら、誰だってこういうでしょう。男の人は驚いて、
目をまんまるにして山をながめました。
「ふぅ−ん、う−ん、こりゃあ、おもしろい。こんなへんぴな町にやってき
たかいがあったというものだ」
山をみつめながら、男の人はぶつぶつとつぶやき、うなずくように首をふり、
やがて満足気な様子にかわっていました。
「とはいえ、とにかく宿をさがすことだ」
そうつぶやき、男の人はもう一度タヌキ山をながめました。
男の人はかばんを持ち直して、通りの向う側に見えている食堂にゆっくり歩
いていきました。
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