タヌキ山事件(2)
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2 あのゴツゴツが問題だ
「旅館をさがしているのですが、泊まれそうなところがありますか」
紺色ののれんをかきわけて、男の人は店の中にはいります。プ−ンとうどん
のにおいがしました。せまい店の中に、テ−ブルが五つばかり並んでいます。
お客さんらしい人は一人もいませんでした。
「いらっしゃい」
うつむいてテ−ブルをふいていたおかみさんが足音をききつけて、大きな声
をはりあげます。ふきんをたたみながらおかみさんは顔をあげ、ペコリとおじ
ぎをし、今度は小さい声で「いらっしゃいませ」といい直しました。
「あの、旅館をさがしているのですが。泊まれそうなところを教えていただ
けますか」
「えっ、旅館?」
おかみさんは思いがけない言葉に驚いた様子で、いぶかしそうに男の人をな
がめます。
「どこか遠くからおいでですか」
「ええ」
「それはそれは…。でも、旅館といわれましても…。さあ。ちょっと待って
下さいね」
おかみさんはゲタの音をひびかせて、奥にひっこみます。
かわりに主人が手ぬぐいで手をふきながら顔を出しました。
「どこか遠いところからおいでだそうで。旅館ねえ。はぁ、旅館ですか。と
ころで、どちらからおいでですか。こんなところにわざわざ、よくこられまし
たねぇ」
おかみさんと同じくらい主人の方も驚いています。
「ええ、旅行といいますか。仕事です」
「へぇ、仕事?それはそれは大変なことですね」
主人は急にうたがわしそうな顔つきになり、男の人をジロジロとながめまし
た。めったに人がこない山の町なのに、仕事とはいったいどんな用むきなのか、
主人にはまるで見当がつきませんでした。
男の人は遠慮がちに答えます。
「実は私は考古学の研究をやっている者です」
「ほほう、考古学を。むつかしいことはわかりませんが、その方面の研究の
仕事でこちらへこられたのですか」
「まあ、そういうことです。となりの町で学会がありまして。すぐ帰るつも
りだったのですが、この町のことをそこで聞きましてね。ついでと思って足を
のばしました。そうそう何度もこれるところではありませんからね」
「ええ、そうですとも。じゃあ、となり町からはバスで?」
「ついさきほどついたところです」
「それはそれはさぞやお疲れのことでしょう。この町には見るところなどあ
りませんが、静かないい町です。考古学のご研究とかおっしゃいましたが、そ
れじゃ毎日勉強で大変なことでしょうから、きっといい骨休めになりますよ」
主人はほっと安心したように、もみ手をしながら、急におしゃべりになりました。
「ところで、旅館ですが…」
「ああ、そうでしたね。旅館というと、そうそう確か一軒あることはありますよ」
そう言って主人は男の人に、町に一軒だけの旅館の場所をていねいにおしえました。
店を出ると、男の人はおしえてもらったとおりの道を歩きはじめます。本当
に静かな町でした。まだ、夕方だというのに、通りにはほとんど人かげがあり
ません。男の人は散歩をするようにゆっくり歩き、ときどきあのへんてこりん
な山の方に目をむけます。山は黒々したかげのように見えました。
−まったくかわった形の山だ。なにかおもしろいことがあるかもしれないぞ。
あれこれ考えをめぐらしながら、男の人は歩いていきました。
あわてたのは旅館の人たちです。
なにしろ、年に二、三回もお客さんなどないものですから、すぐに部屋に案
内することもできない有様でした。
突然の、それも、遠い都会からきたという男の人が玄関にたつと、奥の方で
はバタバタと人が走りまわる音がひびいてきました。
男の人はその旅館に三つしかない客室の、一番いい部屋に通されました。と
いっても、古びた部屋で少しかびくさいにおいがしました。それでもようやく
男の人は、ほっと安心し、しわのつきすぎた上着をぬいで、ネクタイをゆるめ、
ふう−っと息をはきました。
窓をあけると、もうすっかり暮れた暗い空の中に、黒いかげのようなてへん
てこりんな山が見えます。この旅館はあのへんてこりんな山に近いところにあ
るようでした。 すこし興奮気味の男の人は、疲れているにもかかわらず、目
をキラキラとかがやかせ、黒々とした山をながめました。
「いらっしゃいませ」
旅館の主人がお茶を持ってやってきました。
「なにしろこんなへんぴなところですし、失礼をいたしました。
それにしても、遠いところからおいでだとかお聞きしましたが、どちらから
こられたのですか。この町にはめずらしいものなどなにもありませんが。ええ、
静かで、いい町なのだけがとりえでして…」
男の人は、自分は考古学者で、きのうまで、となり町にいたことを話しました。
「ほう、考古学を。じゃあ、大学の先生でいらっしゃいますか。そんなおえ
らい方がお泊まりになるのははじめてのことですよ。では、この町へは、何か
研究のためにおいでになったのですか」
「いいえ、この町へはただ足をのばしてみただけです。いいところだと聞き
ましたのでね。ええ、来てみて驚きました」
「ほう、何かめずらしいものでもございましたか」
主人は町のことを考えて、首をかしげます。
「ええ、あの山のことです。あれはちょっと変わった山ですね。なんという
名前の山ですか」
「えっ、あの山。タヌキ山のことでしょうか。あれが何かめずらしいですか。
わたしどもは毎日見なれているものですから」
「ほほう、タヌキ山。タヌキでも住んでいるのですか」
「そうですねぇ。タヌキやキツネくらいは住んでいるでしょうね。たまに、
タヌキを見かけたという話もあるにはあるようですが。でも、そもそもあの山
がタヌキ山といわれるのは、山がタヌキのお腹に見えるもので、いつのまにか
そういう名前になったということですよ」
男の人はみるからに学者らしい顔つきになり、額にしわをよせました。そし
て、うでぐみをし、あけはなした窓のむこうに見える山のかげをながめます。
「それにしてもかわっている」
「そうですか。そんなにかわっていますか」
主人はあらためて、黒々と見える山をながめます。変わっているといわれる
と、不思議なもので、なぜか急にかわっているようにも思えます。
「ウ−ン」と声をもらし、主人はまず山の形のことを話します。
「あれは、ほら、おしるこのおわんをふせたような形ですね。ええ、なにし
ろハゲ山で、木は一本だってはえてはいません。それにあの岩。山の真中には
りついているたまごみたいな白い岩。あれがあるから、あの山はタヌキ山なん
ていわれるんです」
ほう、ほうと男の人はあいづちをうちながら、山の形を思い浮かべて、主人
の話しを聞きました。
「白い岩ですって。私が見たときは夕日が照りかえってそんなものは見えま
せんでした。どんな岩ですか」
「そうですね。なにしろ大きくて、白くて、まるでたまごみたいにすべすべ
しているようで。ええ、のっぺりしてましてね。きれいな岩ですよ」
「聞けば聞くほど、おもしろそうだ。ほかに何かかわったことがありますか」
男の人はもうタヌキ山のことに夢中になっていました。
「かわったことといわれましても…。はぁ、みんなの話しでは白い岩の真中
あたりがほかのところよりゴツゴツして見えるとかいいますが。
でも、まあ、わたしどもは先生のような学者ではございませんから、それに
小さい頃から見なれていますから、タヌキ山がかわっていると思ったことはあ
りませんね」
主人はそれ以上気のりがしないようでした。でも、男の人はますます目をか
がやかせて、もっと話しを聞きたがります。
「ほほう、真中あたりが特にゴツゴツしているのですね。なぜでしょう」
「さあ。まあ、とにかくあすの朝、じっくりとごらんになることですよ。あ
あそれから、タヌキ山を真正面から見るのなら、役場の三階の窓がいいそうで
すよ。役場はご存じですね。あそこがバスの終点ですから。もっとも、三階の
窓というのは、町長さんの部屋だそうですから、わたしどもは入ったことはご
ざいませんが。でも遠くからご研究にこられた先生なら、町長さんにお会いで
きるでしょう」
主人はそういうと、もう一度、首をかしげてタヌキ山をながめました。
「そんなにかわっていますかね」
「かわっていますとも。この町にきてよかったと思っていますよ」
男の人(さて、もう学者と呼ぶことにします。その方がふさわしいと思いま
す)はうでぐみをして、満足気にうなづきます。
主人はなんだかわけがわからないといった顔で学者をながめ、思いだしたよ
うに、お茶を入れ、学者にすすめました。
「ではどうぞごゆっくりおやすみください」
手をついて、ていねいにおじぎをして、主人は部屋を出ていきます。
学者はうでぐみをしたまま、外をながめていました。
−う−ん、タヌキ山にはきっと何かある。まちがいない。 学者は何度も何
度もうなずきました。
次の朝、目をさますと、学者はさっそく窓をあけます。きのうの夜、黒々と
見えていた山が目の前にせまって見えます。
「ほう、これは!なんとめずらしい山だ」
主人から聞いたとおり、こげ茶色のはげ山の真中あたりが白く見えて、本当
にタヌキのお腹のように見えます。ただ少しななめ方向から見ているためか、
いびつにゆがんでいるように見えます。
「あの岩はなぜあんな風にはりついているのだろう。きれいな岩だ。まるで
大きなたまごだ」
学者は目をこらして岩をみつめます。しばらく見ていると、やはり、真中あ
たりがほかのところよりブツブツしているように見えました。
「これはただごとではないぞ。どうしていままで、誰にも知られずにいたの
だろう。何かある。きっと何か大発見があるはずだ」
朝の光の中で山を見た学者は、ますます興奮し、部屋の中をあっちにいった
り、こっちにきたり、うろうろとあるきだしていました。 主人が朝食をはこ
んできたとき、学者はまだ考えこんで、部屋の中をあるきまわっていました。
「タヌキ山はやはりかわった山ですか。何かおかしいところがございますか」
「うん、きっとある。まちがいない」
「そうでございますか」
主人はなぜか不安そうな顔になっていました。
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