それは全くの偶然だった。まさか自分がその町に住むことになるとは、そして、生涯をその町で暮らす決心をするとは・・・
こどもの頃の私にとって、亀岡といえば、旅行に行くときに通る通過点でしかなかった。父の田舎は鳥取、母方の親戚も兵庫県の丹波地方、海水浴は丹後半島・・・と、旅行といえば必ず京都駅から山陰線に乗った。嵯峨野の街を過ぎ、保津峡の渓谷に沿ってくねくねと走った後、急に田園風景が開ける・・・それが亀岡だった。その風景を見るたびに、これから始まる列車の旅に胸を躍らせるのだった。
ところがである。いよいよ就職という段になって、全く予期もしないことが起こった。はじめての勤務先が、その亀岡だったのである。新規採用は京都府の北部にまわされると聞いていたから、丹後だとか中丹だとか、もっと北の方を予想していただけに、ちょっと意外だった。覚悟していなかった。比較的近いのでホッとした反面、亀岡というのにショックを受けたというのが正直な気持ちだ。2〜3年勤めたら、京都市内に帰ろう。確かにそのときはそう思っていた。 あれから十数年。霧にはやっぱりまいってしまうけれど、田んぼの広がる風景に負けて(?)、そのままずるずるこの町に居着いている。そして、これからもこの町で暮らす決心をしている。それは、今の生活が、この町に来てから出会った多くの人々に支えられていることもある。その多くは、生粋の亀岡人ではなくて、私と同じように他からやって来た人々である。私も、まだ完全な亀岡人になれたわけではない。心は半分以上京都市民のままでいる。そしてこれからも亀岡人になることはないだろうと思う。だけど、いつの間にか亀岡を好きになっている自分がいることに、少し驚いている。 |