大地に踏んばる
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探る未来の青年団 茅葺きの民家が数多く 残る美山町。小 雪がちらつく中そろいのウインドブレーカーを着た美山町青年団のメンバーたちが、家々の軒先に出された古新聞や段ボールを次々と回収していく。 「おおきに」。「ご苦労さん」。 住人たちから温かい声がかかる。 「仲問と一諸に地域のために役立っているという達成感、やりがいを感じる」。京北町上弓削から団員仲間に加わる佐伯謙聡(二七)は、照れながらも息を弾ませる。 脳性まひで会話が少し不自由だ。北桑田高美山分校を卒業後、 職業訓練校でコンピューター操作を学んだ。今は京都市内の百 貨店でパソコンを使った仕事に携わる。 昨年末開通した新しい深見トンネル。木曜日、愛車を駆ってトンネルを抜け、美山町の宮島自治会館へ向かう。美山町青年 団の例会「木曜会」が開かれる日だ。
五年前、高校の同椒生だった団員から、青年団が作る冊子の表紙をパソコンで作成するよう頼まれたのがきっかけだ。 「みんな僕の目をちゃんと見て話をしてくれる。同じ世代の人間が集まり、何でも気兼ねなく話し合える雰囲気が新鮮だった」。京北町の青年団はすでに解散。隣町、美山の青年団に加わることを決めた。 入団一年後には、仲間の勧めで府連合青年団の事務局次長に。昨秋、東京で開かれた全国青年大会では、仕事や障害について意見発表し、努力賞に輝いた。 「最初は遠慮がちだったけど、自分の意見をはっきり言うようになった」と団の仲間。佐伯は「以前は健常者と話をすると、つい引っ込み思案になっていた」という。 戦後間もなく、全国的に盛り上がった青年団活動。消防団など地域の防災や祭礼、まちづくりの中核として活躍し、多くの人材を輩出した。 しかし、府内では現在、青年団が残るのは美山町や京田辺市、舞鶴市など数自治体になった。美山町青年団も、かつては数百人の規模を誇ったが、現在は二十人余り。 「だれもが車を持ち、どこへでも遊びに行ける。仕事が多様化し、集まる時間もなくなった」。府連青団長を十二年間務め、美山町青年団の先輩として活動を見守る新川豊実(四一)は話す。 最近、自分のホームページに青年団活動の報告を載せた。掲示板には「まわりに友達がいない」といった同世代の声が届く。車座になって夜遅くまで町の 将来を語り合う、そんな青年団の復活は難しいかもしれないと思う。 「けど、若者が減った田舎だからこそ、アイデアを出し合って存在感をアピールしたい。違う土地の若者の意見ももっと聞きたい」。キーをたたく指に力がこもる。 (敬称略) (平成14年1月4日 京都新聞丹波版) |