◆版元発行の小冊子『新評論』に寄せた著書紹介文より
 
 ユネスコ総会で世界遺産条約が採択されたのは1972年のことである。1972年といえば札幌オリンピックが開かれた年であり、そう思うと随分と昔のことである。

 ところが、わが国において世界遺産が注目されるようになったのは、ほんのここ数年のことではないかと思う。それに関していえば、日本がこの条約に批准したのが1992年、世界で実に125番目の加盟国ということで、長らくその枠外にいたことが大きな原因なのだろう。だが、私見ではあるが、現代の日本人という人種がきわめて歴史に関心の薄い人種であることもまた、わが国でなかなか世界遺産に注目が集まらなかった一因ではないかと思うのだ。

 日本に来る外国人旅行者を見てもわかるが、外国で史跡や遺跡を訪ねても、日本人以外の旅行者は比較的熱心に目の前にある風景と分厚いガイドブックを付き合わせながら見学している。片や日本人旅行者は、定まったコースを歩き終えることだけが目的であるがごとく、回遊魚のように群れ歩いているというのが大半だ。

 それはおそらく歴史教育にも問題が潜んでいるのだろう。年号や人名は暗記させられても、歴史の力学は教えられない。その大きな理由は、現在の日本人が置かれた現実は類い稀なくらい平和であり、どんなときに歴史がドラスティックに変動するかを知らなくても生きていける、と教える側も教えられる側も信じきっているからではないかと個人的には推察している。

 だが、しかしである。「日本人は平和惚けだ」と罵られようが、本来は平和惚けになれる国家が理想ではないか。災害に襲われても略奪行為は起こらないし、ピストルを常備しなくても平和な市民生活が営める。だから、歴史に興味がないままに海外へ物見遊山に出かけても恥ではないし、逆に心から興味をもたないまま教養主義的に遺跡を旅するのもナンセンスだ――。

 そんな開き直りにも似た気持ちで、情報誌の取材という名目のもとに嫌々訪ねた世界遺産であったのだが、干からびて物言わぬはずの「文明の化石」は思いのほか多弁であった。子細は本書をご購読のほどを。(大西 剛)