そのうち、viとemacsは使えるようにならないとなあ。
教科書には、必ず逮捕・留置・勾留するのは例外であるということが書いてある。
なぜなら、無罪推定を受け、有罪確定までは自由という、
ある意味形式的な理由ではなく
恣意的な権力の行使を避けるための手続法と言う根本に基づくのである。
最近、検察官の捜査情報漏洩や警察官の収賄事件で、
何故、検察官・警官を逮捕しないかと非難されている。
この点について3つの面から考えてみよう。
不公平と言う面・刑事訴訟法の原則・実質的側面である。
先頃、雑誌に投稿されたコラージュを掲載しことが
名誉毀損にあたるとして編集長が逮捕された事例があった。
これ自体かなり不当な逮捕であり、
言論の自由を脅かすものであることはひとまず置いておく。
現行犯を除けば、逮捕などが許されるのは、
逃亡もしくは証拠隠滅のおそれがあるときに限られている。
この点において明らかに不公平といえよう。
また、双方逮捕すべきでない。
ここのところへ話をもっていかない報道には問題が大きい、
名誉毀損事件は自身の問題でもあるのだから。
さて、
留置所に48時間置かれた後は拘置所に移されて取り調べをうけるのであるが
一等国であるはずの日本には未だ代用監獄と言われるものがある。
これは、警察署の留置所を拘置所として使うものでえん罪の温床といわれている。
拘置所くらい建ててもいいじゃないか。
この警官の賄賂事件ではどのようなことが起きるだろう、
これが、組織ぐるみであれば尚更、証拠隠滅や口裏合わせし易くなるではないか。
ではどうすればいいのだろう、単純な解決は無いが別の地方の機関に取り調べさせるとかはどうかな。
しばらく前に究極の選択というフレーズが流行したが
しばらくの政治混迷・経済波乱に対峙する我々は
それを迫られているようだ。
ひとつは、経済絶好調の後の大破滅血をも流す生活、
いまひとつは、経済中破滅後のまったり低迷とした生活である。
vimを入手して練習しはじめているが、
まだ日本語表示させるのに必要なフォントの設定をしていないのはともかく
何故か、好んでexモードで書いてしまう、ちょっとおどろきだ。
なお、この文章は、YooEditで書いている。
2001.4.18追記
実は、コマンドモードで文章を打ってしまう以上に、
viとexで微妙に違うコマンドが嫌いなのである。
いま、ホームページのコンテンツを文法に従って書き直している。
手書きでタグを書き換えながらだが、文法チェックはコンピュータソフトが得意らしい。
つまらないが多くのミスがみつかる。
しかし、他にも気付いたことがある、
文章をきちんと構造化して書く機会に恵まれるということだ。
こればかりは、一般のテキストエディタで書くことの良さだろう。
まあ、ワードプロセッサでもできるけれど、
見栄えのために文章を無視したタグになったりするので、
いったん素のテキストファイルに出力して
タグを文章の論理に合わせて付加するといい。
ところで、研究者などを別として、
きちんと論理構造をもった文章を書く機会はどれくらいあるのだろうか。
少なくとも、私には小中学校で習った記憶がないのである。
教育改革が叫ばれているなかで異論の少なそうなのに。
何故、教えないのか不思議である。
つい先頃バージョン4.77がリリースされたので入れてみた。
私は、コンポーザーは使わないほうだが、
htmlエディタがただでほしいという人にはお勧めだ。
すこぶるというほどではないが、調子がいい、
特にブックマークの文字がばけないようだ。
なお、ハードディスクの容量に余裕がない、
場所を変えているなどの場合は
スマートアップデートは選ばない方がいい。
何故なら、昔と違ってjarファイルの形式で、ダウンロード・インストールされるからである。
参照url
http://home.netscape.com/
ちかごろ、首相公選制が人気である、この問題点について論じてみよう。
よく言われている理由としては、国民不在での総理大臣選出過程があげられている。
しかしながら、議院内閣制であっても、
党首を総理大臣に選出するという原則が働いている限り
選挙人を選ぶというかたちでの公選と同等なのである。
また、国会と内閣の緊張関係が持続するため、選びっぱなしとならないメリットがある。
連立組み替えごとに衆議院解散をする慣例が確立されれば十分ともいえる。
だいたい、制度いじりだけで成功するわけない。
立憲君主制(天皇制)と並立することが矛盾であるかを論じる前に、
王制を存続をさせるべきなのだろうか。
私はそう思わない、
はやくあの方々に人並みの暮らしをする自由を保障すべきだ。
世襲の自由を制限された方々を置かなくては動かない政府などいやだ。
ひとり、出産したしないで一喜一憂しなければいけないのもいやだ。
憲法学者も苦慮する身分制の名残の制度だから嫌いだ。
まあ、話をもとにもどし結論からいうと
首相公選制と立憲君主制は完全には矛盾しない、
解釈には幅があるから矛盾しない解釈もとれる。
しかし、無理のない解釈ですっきりした制度のためには
あっさりと大統領制を採用すると良いと思う
もちろん、私が共和制支持者だという理由もある。
直接選出は怖いというのが歴史の教訓である。
長期多選の知事というのがいる、
3回ぐらい連続当選すると多くは反対勢力が根絶やしに近くなる、
腐敗しても監視するものがいなくなり、
行き着いたときは大赤字など問題が山積している。
あまり、権限の無かった時代の地方自治でさえこうなのである。
国家レベルでみるともっとひどい。
ほとんどの大統領制は委任独裁に陥っている。
国民の自由は制限され、腐敗は進行し、、。
直接選出する、大統領にはそれほど権力をもたせないことが安定の制度設計である。
近頃、株価の調子も戻ってきたらしい、
1日ごとに一喜一憂していた人の顔も明るくなっている。
短期の乱高下をならして相場の方向を確かめる移動平均でみても、
ゴールデンクロスを形成しているようだ。
(相場の本当のところはチャートでもひいてね。)
まあ、結局はファンダメンタルズが左右する以上は
熱狂がいつまで続くかはちょっと心配ではあるが。
学者にも何故か、参議院の評判が良くない。
曰く、”政党化している・利益団体代表・衆議院のカーボンコピー”
特に、全国をひとつの選挙区とする旧全国区・現比例区などは、
銭酷区などと揶揄されている。
改善案として、”職能制・推薦制”、果ては廃止案までもでている。
本当に、悪評は悪評なのであろうか、
むしろ、美点なのではないだろうか、というのが
参議院は、移動平均であるという考え方である。
記憶に新しいドットコムバブルをみても判る通り、
我々は、時として不合理な判断をする、
しかし、長期的には合理的な水準へ落ち着く判断をするといえよう。
これを議院として任期6年で半数ずつ改選されると構成してみたというのがこの考えである。
批判点・改善案を論破してみよう。
衆議院も参議院も選挙で選ばれる、
すなわち有権者が思う政治方針と多く合致した候補者が当選する。
(アローの定理はあるけど)
だから、有権者が政党化するなら当然に政党化する、利益団体代表であってもおかしくない。
また、選挙権者は20歳以上の国民と同じだから、同様の傾向をもって当然である。
全国区の選挙資金の過大な負担については考慮の余地はある。
一方、小選挙区だと非常な金権選挙となっている、有名な選挙区が日本でもある、
大統領選挙だと全国区かつ小選挙区だから極端な例としてアメリカ合州国がある。
しかし、全国区は廃止するべきではないというのが私の考えである。
なぜなら、全国に薄く広がった、少数意見の代表者が議席を得る可能性が必要だからである。
この点、衆議院にも全国区があってもいいとも思っている。
改善案については、
身分制の中世議会的なものは国民主権・平等主義に矛盾するので到底採用できない、
職業構成自体が変動することを視野に入れていないことも問題である。
また、利益団体代表・政党化の批判がそのままあてはまるどころか、より強化されるであろう。
参議院廃止案は大統領制導入なら、それなりに検討してみる価値はあるだろう。
しかし、現在あえて、廃止するほど意義のない、あるいは有害なものとは思えない。
日本国憲法では参議院の権力はあまり強くないからである。
むしろ、移動平均としての役割を果たしている。
時々の熱狂をならして、政党間の緊張をつくりだしているではないか。
これを決定不能というべきではない、
民主政治が委任独裁制に陥ることを防ぐ代償なのだから。
しばらくこのコラムを書かない間に、
ニューヨークなどでは飛行機がハイジャックされWTCにぶつかるなどの事件が起き、
十分な証拠も無しに、超大国アメリカ合州国がアフガンを武力攻撃している。
このことが不当であることは論評が多く出ているので繰り返さない。
あらためて考えたいのは平和は難しいということである。
我々は、主観的には善いことをしてあげたいと考えていると思いたい。
いや、悪いことをしたいと考えているとも思いたくない。
しかしながら、問題がある。
私の善いこととあなたの善いことは同一である保障は何処にもないことである。
私は個人としての権利を重んじ、自由を尊ぶ
しかし、あなたは共同体としての権利を重んじるかもしれない。
いわんや、信仰については、正に神々の争いだ。
消極的定義しかできないものなのだろうか。