かなしみは、音を立て

2005.04.12

生まれてくる創造の芽を摘まないで!


日経新聞にアジア知的財産権シンポジュウム広告特集があった。
この中の小池一夫(談)の次の言葉を重視したい。

(インタビュア)将来は?
(小池)不安感を抱いている。日本にはキャラクターが育たない土壌がある。
流通は、70%以上売れるものしか置かず、育てようとする考えはない。
しかし、
売れないものの中にこらから育つ可能性を秘めたキャラクターが多数あり、
それが、埋もれていく心配がある。出版社も抱え込みを行っている。
これでは、2007年以降のコンテンツ産業は伸びない。

これは、漫画や出版業界に限定されたことではなく、
特に、音楽業界ではより深刻なのではあるまいか。
囲い込みはもちろん、
正規の外国のレコードを輸入することさえ法律で制限しているのである。
これを考えるとさすがに、RAIAの広告を観るとパロディを作りたくなる。
ファイル交換ソフトは道路や自動車と同じく、
輸送手段にすぎないことを考えて欲しい。

ーーー広告ーーー
生まれてくる創造の芽を摘まないで!
やろう!自作作品のアップロード。
ファイル交換ソフトを使ったフェアで自由な交換は、
人間精神の未来に多大な幸福を与えます。
(このような行為の道具にもかかわらず交換ソフトの作者は、
刑罰を受けようとしています。)
違法配信に対する刑事罰の上限が、
2005年1月から、罰金は300万円から500万円に、
懲役が3年から5年に引き上げられました。
ーーー広告終わりーーー

2005.06.30

わらびもち


ちいさな小石のようなつるりとした
実はじゃがいもからできている”わらびもち”の食べ方である。
きなこに砂糖を混ぜたものをかける、黒蜜ときなこをかける、
それらは、風味に欠ける点があったが、
メープルシロップをかけてみるとそれぞれの風味や食感が活かされたものとなった。
きなこも好みで加えても良いだろう。

2005.08.15

(せりふ割り修正しました 2005.09.01)

「終戦記念日」に関する対話


A 今日は、日本各地で「終戦記念日」行事が行われているね。
B ほんとだね、連合国側でも今日8月15日に戦勝行事を行うところが多いようだ、
A でも、ふと疑問に思うのだが第2次世界大戦の終わった日は9月2日ではないかな。
B そうだね、
正式な降伏文書に東京湾上の戦艦ミズーリ上で署名したのはその9月2日だが、
他方で日本のポツダム宣言受諾は8月14日だ、ラジオ放送は根拠になりえない。
もし玉音を根拠にするなら戦争責任も問う必要があることを忘れてはならない。
A まあ、何処の時間帯での日付かも問題だが、
日本に占領されていた地域や日本の交戦国が祝うのは意味があるわけだ。
C おいおい、占領されていた地域といったが、
植民地の宗主国が変わっただけとなったところもあるじゃないか。
B 確かにそうだ、彼らはさらなる独立戦争を遂行しなければならなかったし、
また、内戦や連合国の主導権争いに翻弄された地域もあった。
A まったく今もあちらこちらで続く悲劇の型の一つだね。
B ところで、敗戦記念である「終戦記念日」がなぜ日本で行事になるのだろうね。
C まさか、「次は勝ってやる!」と祈願するわけでもないだろう。
それなら、真珠湾攻撃の日さらには柳条湖事件などの第一次大戦後の日中戦争を
記念しないといけないだろう。
冗談はさておき、わたしは「終戦記念日」をこう意味づけているんだ。
科学技術の発展により、全生物絶滅が可能なほどの破壊力のある兵器が眼前にある。
人類の永遠の願いである戦争のない世の中をいまこそ作らねばならない。
第一次大戦後の思潮を受け継ぎ、また占領国の都合の産物でもあるが
日本は日本国憲法9条により戦争を放棄した。
それ故、これを「終戦記念日」と名付け記銘する。
まあ、独自の意味づけだが、経験を受け継ぐことは大事だと思うよ。
A 「体験は受け継げないけど経験は受け継げる」という言葉もある。
しかし、アメリカのアフガン攻撃には補給部隊を送り参戦してしまった。
B イラクへは陸軍を送った。それでも、参戦していることをわからないとは。
ABC ほんとうの「終戦記念日」は遠いね。

2005.09.01

武術はじめました

中国武術の教室(名前はひみつ)に今年の7月半ばから通い始めた。
様々なひとが集まり淡々と練習している雰囲気も良い。
そのためもあって続いていると思う。

私の通い始めた当初の目的は、失礼ながら、運動不足の解消にあった。
もちろん、その一ヶ月ほど前に信頼できる書籍を読み少しは予習をした。
立身中正などの原則を知ることや
不十分な圧腿などのストレッチと冲捶という突き技ぐらいだが。
武術はもちろんスポーツも体育の時間以外にしたことがない者にとって、
実際の教室は想像以上の違いがあった。
例えば、最初の見学時の体験基本練習では、途中から足が挙がらなくなった、
そして、大きく一歩踏み出して弓歩になり拳を突き出す動作も、
途中で足がつき、くるりと90度開転して馬歩になり、冲捶もどきになるありさまである。
(そのつもりがないのに足が上がらないのである、
闖歩の技術を知らなかったら転んでいたに違いない。)
もちろんその次の日は推して知るべし。(圧腿もきつかった)
もし、その次の練習日が休みで2週間後にのびなかったら見学体験だけで終わっていたかもしれない。
一ヶ月半ほどしてからは、疲れの残り方の面で少しは体に余裕が出てきたようだが,体型はいまだ改善されずである。

いまは、強くなりたい上手くなりたいという気持ちが芽生えてきた。
強くなりたいといってもやってない自分に対して勝てるということが目標である。
いまでもまったく出来ない基本練習もあるし、体も柔軟とは言えない、
(親切な人に正しい仆歩を教わっても固くてそのようにできないのがくやしい)
もちろん、技でも評価の対象外の下手さである。
特に、旋風脚など開転系の技が形にもならない。
思わず発した、どうしたら、上手くなれるかの愚問に、「練習です」と即座に答えられた。
そういえば、自己評価で少しはできたと思えるものに共通しているのは、
訳も分からないままではあるが「練習していたもの」に関係している。
むかしむかし、某アニメを見て、
「弓歩から後側の足をけり出しながらけり出す足の逆の拳を突き出すこと」を
何故か歌を歌いながらやっていたのを思い出した。
もちろん、悪い癖として残っているのかも知らないが。


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