不撓不屈 |
対インフルエンザ絶対防衛線 |
平成14年12月15日、防府読売マラソンで初の2時間40分を切る2時間38分44秒をマークしてから、この別府大分毎日マラソンまで、わずか50日足らず。 準備期間としては、余りにも短すぎた。 |
そこで、考え方を改めた。防府そのものを最後のポイント練習としてとらえ、その後は疲労を抜くことに専念するのだと。
所詮50日間では大してレベルは上げられない。
付け焼き刃のハードな練習は、却って疲労を溜めることになる。 |
好不調の波も、難しい調整を強いられた。
フルマラソンの後も、連続で10km35分を切る好調ぶりを見せたかと思えば、
2週間前のハーフでは、1時間18分と、防府の中間点通過よりも遅いタイムであった。 |
しかし、焦ってはいけない。好調が2ヶ月も続くわけがない。
今は体の芯の疲れが出てきているときだ。
そう自分に言い聞かせて、さらに練習量を落とす、という選択をした。 |
もちろん、走る量は減らしても、準備は怠らなかった。
防府で成功した食事制限による減量、超スローテンポでの基礎体力は踏襲。
一度成功した試みは次回以降の標準装備となる。
こうして積み上げた経験が、レース前一連の「儀式」として執り行われるのであった。 |
ところが、レースが近づくにつれて、厄介な敵が現れた。インフルエンザである。
今シーズン、インフルエンザは全国的にも未曾有の大流行を見せ、特に関西方面では、学級閉鎖などが相次いでいた。
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もしレース直前に罹ってしまうようなことがあれば、全てが終わってしまう。
レース直前に課せられた最大の課題とは、練習量やピーキングや体重などではなく、
「絶対にインフルエンザに罹らないこと」であった。 |
職場でも、通勤途中の電車の中でも、風邪を引いていると思われる人が数多くいた。
意識しだした途端、普段の生活が感染の恐怖との隣り合わせであった。
マスクに、うがい、手洗い。レース前から、既に闘いは始まっていた。 |
指令、340 |
平成15年2月2日、大分県は曇時々晴れというまずまずの天候に恵まれた。 それまでの週間予報では、ずっと傘マークが付いて離れなかったのだが、直前になって好転。 2年前のような雨中戦は免れた。 |
2年前といえば、記念大会で約500人もの選手であふれかえった大分陸上競技場だったが、今回は拍子抜けするほど空いていた。
今回出場者は200数十人ということで、半分以下だから当然と言えば当然である。
そして2年前と決定的に違うのが、関門の厳しさであった。 25kmを1時間33分、35kmを2時間11分、40kmを2時間33分で通過しなければならない。 私は2年前と同じように、関門の通過タイムを書いた紙片を腕時計の脇に貼り付けた。 要求されるペースは、それぞれ3:43、3:48、4:24となった。 前回の防府と同様、ストップウォッチは減算タイマーとした。 設定時間は、3分45秒。前回より3秒縮めた。 これでは25kmの関門に間に合わないが、おそらく序盤はこれを上回るペースで走れるであろうと見込んでのことだった。 前半の目標ペースは、3分40秒。タイマーの「残り5秒」が目標である。 スタート10分前、スタート地点への召集がかかった。 ここではきっちりとナンバー順に並ばされるのだ。 デュークさんをはじめとするネットランナーらと互いの健闘を誓い合って、それぞれのスタートポジションに散っていった。 正午、号砲が鳴り、200人余のランナーが一斉に駆けだした。 正直、最後尾になるのではないかと危惧したが、さすがにそれは免れたようである。 先頭はいつもの一般ランナー。またやっている、と半ば呆れながら見やる。 トラック1周のタイムは、90秒。スタートロスを考えると、まずまず無難な滑り出しか。 緊張の中でも、冷静に判断できていた。まずはキロ3分40秒だ。徹底的に維持せよ。 とりあえず30kmまではこれしかない。そこから先は、その場で考えればいい。 前方に、1km標識が迫る。赤字に白の大きな看板で見やすくて有り難い。 時計は…9,8,7,6,…いま。残り5秒。ジャスト3:40だ。この調子、この調子。 しかし、ふと後ろを振り向くと、ランナーの姿はまばらで、ほとんど最後尾に近い位置であった。 このペースでも最後尾だと!?あまりのレベルの高さに、唖然とした。 前方には2,30人はあろうかという巨大な集団が出来ていた。 おそらく考えていることは同じだろう。 僅かに余裕を残して関門を通過できる設定ペースで走っているのだ。 そしておそらくはこれが最後の集団。30kmまで引っ張ってくれることを願った。 早くも2km標識。時計を見ると、残り11秒。いかん、いくらなんでもこれは速すぎる。 このペースでは最後まで持たない。集団の中でも、心もち後方に位置を下げた。 しかし、これより後ろにはもう集団はない。付くべきか、離れるべきか。 結局、集団のペースはそれ以上は上がらなかったので、やや後方での追跡が続いた。 その後も、わずかに設定よりは速いペースだったが、誤差は10秒以内だったので、そのままのペースで維持した。 やがて先頭集団とすれ違う。これまた大集団となっているようだった。 しかし、中央分離帯に遮られ、TVに映るような状況にはないのが残念だった。 最初の折り返しを過ぎて間もなく、5km通過。18分08秒。 予定では18分20秒に通過するはずだったから、わずかに速いが、これなら許容範囲内だ。 この集団に命運をかけることとなった。 |
DRAGON FLEET |
10km通過タイムは、36分18秒。 依然として設定ペースより若干速いが、無理しているという感じはしない。現状維持だ。 |
なお、この大会ではGT-mailsにより、チェックポイント通過タイムがメールで速報できるようになっていた。 今回、ネットランナー数名でりかねん氏の所へデータを持ち寄り、掲示板で実況中継をするという試みがなされていた。 |
だから、今通過したタイムも、ほんのわずかの時間差で広く衆目にさらされるものとなる。 少しも手を抜くことは許されない。このタイムを見て、どう思われているだろう。 オーバーペースと指摘されなければよいが。 |
11km地点、最初にスペシャルを置いたポイントだ。 集団のやや後方でランナーの密度はあまりなく、無事回収に成功。 いや、密度が少ないのはランナーだけでなくスペシャルの数もであった。 ほとんどのスペシャルは既に取られた後なのだから。 |
12km地点、そろそろ大分市街地を抜け、海岸部に入ろうというところで、見覚えのあるランナーに追いついた。 シオバラ氏だ。シオバラ氏は、50歳台ながら別大出場を続けている、驚異のベテランランナーである。 少し会話を交わした。 |
「もう少ししたら海岸に出るからね、前の集団に付いていった方がいいよ」 「前ですか、わかりました」 |
それまでは、オーバーペース防止とスペシャル回収のため、集団からはやや引いた位置にいたのだが、海岸に出ればまともに向かい風を受けることになる。 アドバイスに従い、スロットルを踏み込んで前方の大集団のすぐ後ろにピタリと付けた。 |
やがて、右手に広がる、別府湾。そして名物の向かい風にさらされることとなった。 2年前も走った道だが、その時は雨で風も弱かったため、これほどの向かい風は経験がなかった。 |
集団が、縦に長く伸び始めた。 皆が皆、前のランナーの真後ろに付けようとするので自然とそういう形態になるのである。 大きなカーブが何ヶ所かあるが、そのたびに最短のライン取りをするように集団が動く。 |
その姿は、さながら一つの意思を持った巨大な生物のようであった。 例えるなら、龍。私は龍の尾となって、ひたすら付いていくだけだった。 |
集団の中に、見覚えのある姿を発見した。面識はないが、ユニフォームに覚えがある。 そうだ、前回の防府で、30km過ぎまで3機編隊で快進撃を続けた中の一人ではないか。 同じペースの集団にいることが、何かとても心強く感じられた。 |
15km、20kmと無難にこなす。ややペースは鈍っているが、この向かい風の中では仕方あるまい。 この調子なら、25km関門は難なくクリアできそうだ。となれば次の懸案は35km関門。 それには、このペースでどこまで持ってくれるかにかかっていた。 |
程なく中間点を通過。タイム、1時間17分18秒。上出来。 前回防府の時よりもおそらくいい記録のはずだ。 前回に続いての2時間40分切りも十分射程圏内にある。 |
中間点を過ぎれば別大国道海岸部も終わりが近づいていた。 コースは別府市街地に入っていった。しかし、まだ向かい風は終わっていない。 龍の艦隊はいまだに続いていた。 |
市街地に入ってしばらくすると、かなり前方ではあるが赤いユニフォームを確認した。 FRUNのユニフォームは今回2人しかいない。とすれば、デュークさんだ。 集団には入らず、単独走のようだった。この向かい風の中ではかなりの負担だったに違いない。 |
少しずつではあるが、デュークさんの姿が近づいてきた。早く追いつきたい。 しかし、追いついてしまうということは、デュークさんのペースが落ちているということだ。 矛盾する思いに駆られつつも、とうとう25kmの関門で並んだ。 |
第一関門通過:1時間31分35秒(関門閉鎖まであと1分25秒) |
よし、1分以上の貯金を作った。これで次の関門まではキロ3:55でもOKだ。 これなら今まで何度も経験したペースである。何とかなりそうだ。 完走が、そしてさらにその先が、見えてきた。 |
程なく、2回目の折り返し。今までさんざん苦しめられた向かい風が、一転して味方となる時が訪れた。 折り返した瞬間、世界が変わった。 |
スタート以降、ずっと曇りがちの天気だったのが、別府市街に入った頃から晴れ始め、しかも向かい風が一転追い風、体感としてはほぼ無風状態に一気に変わったのだから無理もあるまい。 スタート前、下に半袖を着ようか迷ったあげくランシャツだけにしたこと、無駄だと思いつつもサングラスをしたのは正解だった。 私は、ツイている。 |