| 両舷全速 |
| A new enemy has come |
2003年2月。別大毎日マラソンで、当時の自己ベスト大幅更新の2時間36分をマークし、 さらなる躍進への期待が高まった。 だが、新たなる闘いは苦戦を強いられることとなった。 |
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同年春から職場の異動があり、
多忙な部署のため従前のようにいつでも好きなだけ練習できるという環境ではなくなってしまった。
それでも同年8月の北海道マラソンで2時間44分と、
練習不足の割にはいい記録が出た。そこに落とし穴があった。 |
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03年11月、東京国際女子マラソン併設の市民マラソンで、
キロ3分30秒の暴走を続けた後、大失速。
それでも無理矢理レースを続けた36km地点で、肉離れに襲われた。 |
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その後の防府、別大も欠場せざるを得ない状況となった。それよりも問題だったのは、
この肉離れ以降、走ることに対するモチベーションが一気に失われてしまったことだった。 |
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それまでは、走れて当たり前、レースに出るたびに記録もぐんぐん伸びて、
何の疑問も持たなかったのだが、ここへ来て、記録も伸び悩み、
好きなように走れなくなり、故障までしてしまうと、
一体何のために走っているのか疑問に思ってしまうのだった。 |
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そう、新たなる敵は業爆でも故障でもなく、モチベーションの欠如だったのだ。 自分よりもっと忙しくても、自分以上に質・量ともに練習できているランナーは山ほどいる。 要は心がけの問題なのだ。 |
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何のために走っているのか。その答えはなかなか見出せないまま、
翌2004年になってからもウルトラマラソン等で不甲斐ない結果を何度も露呈していた。 |
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一つの光明が差したのが、2004年8月、5度目の北海道マラソンだった。
相変わらず十分な練習とはいえなかったが、それでも2時間42分。
そうか、これならもう少し練習さえすれば、再び2時間40分を切れる。
何の根拠もないが、何となくそんな気がした。 |
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2時間40分にこだわらねばならない事情がもう一つあった。別大の出場資格である。
肉離れで「1回休み」となってしまったため、次(17年)の別大を最後に、
出場資格が切れてしまうのだ。いわゆる「カド番」である。
できればそれまでにもう一度40分を切って有効期限を延ばしておきたかった。 |
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折しも、福岡国際マラソンが出場資格を大幅緩和という話が舞い込んだ。
あのあこがれの平和台を走れる。福岡で、2時間40分を切る。
月間300kmも走れているかどうかという状態では、かなり難しい目標ではあったが、
今までの知識や経験を駆使すれば何とかなりそうな気がした。 |
| Take The "A" Train |
2004年12月5日、前日までの雨も止み、福岡は晴天に恵まれた。風はやや強そうだったが、 風への対処も経験済みだ。あとはシナリオ通り事が運ぶかどうかだ。 |
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服装は、迷うことなくランシャツランパン。気温は上がるだろうと予測した。
しかし、日陰で風が吹くと寒さを覚えたので、手袋をはめた。
そして頭には、最近のレースで一番足りなかったもの…「根性」と書かれた日の丸ハチマキを締めた。
残念ながらおまけでの出場組は平和台でなく、大濠公園がスタートとなる。 平和台競技場を走るためには、何がなんでも完走しなければならない。 ヘリの轟音と、沿道の歓声の中、2時間40分のドラマの幕が、上がった。 今回のシナリオは実にシンプルだ。 2002年の防府で初めて2時間40分を切ったときのやり方をそっくり真似ればいい。 「三段ロケット」と名付けたその中身は、30kmまでを1時間51分、 40km通過を2時間30分(区間10kmを39分)、残り2.195kmを10分で走るのである。 言うのは簡単だが、実際はかなり厳しい状況だった。2002年当時に比べて練習量がかなり減っている。 それだけのペースを守れる脚ができてなければ…その時はアウト。 マメが潰れるようなことがあれば…その時はアウト。 もし肉離れが再発するようなことがあれば…その時もアウト。 余裕はほとんどなく、少しでもシナリオから狂いが生じれば達成できない、難しい任務となった。 脚を少しでも長持ちさせるため、スタート直後からペース設定を守ることは絶対条件だった。 よく、スタート直後は周りに流されてついついキロ3:30、 3:20といったオーバーペースをやらかしてしまうが、今回それは命取りになる。 大濠公園を周回しながら、周りに抜かれても焦るな焦るなと自分に言い聞かせた。 半周したところで1km地点。ラップタイムは?…3分39秒! Good Job!! これだけ流されそうな雰囲気の中でよくペースを守れた。 この調子で行こう。1周したところで2kmのラップも3:38。 もう少し落としてもいいぐらいだ。 絶対にアクセル踏み込むな、そう言い聞かせながら、公園を後にした。 30kmまでは、何も考えずキロ3:45あたりの集団についていこう。これが最初の作戦だ。 このレースについては、適当な集団が出来るかどうかという心配は無用だった。 さすがに少なくとも2時間50分のタイムを持つ粒ぞろいのランナー達、 前にも後ろにもずらりと連なっていた。 集団で走るのをバスに乗る、と表現することもあるようだが、 これはまるで列車に乗るという感じだった。そうだ、これはA列車だ。 頼むから30kmまで乗せて行ってくれ、そう願った。 |