| Deja vu |
しばらく向かい風の区間が続くが、A列車に乗っていれば問題なし。 向かい風では集団後方待機、これは2003年別大で学んだ。 給水の時に危険なので、人の多すぎる真ん中も避けるのだ。 |
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通過、36分53秒。よし。申し分ないペースだ。すると、近くに見覚えのあるランナー。
超ベテランのシオバラ師匠。2003年別大でも序盤一緒に走り、アドバイスをもらった。
その後残念ながら別大の資格は切れてしまったらしいが、今回再取得を目指しているのか。 |
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10kmを過ぎて左旋回、東向きに進路を変えると、一転して追い風の状況となった。
急に走りが軽くなった。ペースが、若干上がった。
でもこれは追い風によるものだから構わない。脚を使わない程度で貯金しよう。 |
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追い風なら集団内に待機する必要はない。玄界灘の師走の風を背に受けて、
A列車の前寄りの車両へと少しずつ進んでいった。これはこの5kmが一番速いラップが出るかな。
偶然ながら、ペースメイクの理想とするうっすらした山型のグラフが描けそうだ。
最後まで美しいランカーブを描いてくれと、願った。 |
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そうこうするうちに、中間点通過。ラップは1時間17分52秒。ううむ、残り半分を1時間22分か。
ハーフマラソンでも油断すると出せないタイム、果たして最後まで行けるのだろうか。 |
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そして22km付近で最初の給食を採ることにした。
今回おまけ組はスペシャルドリンクも置かせてもらえないので、自前で持って走る。
これも、北海道マラソンで対処済みだ。ユニフォームに安全ピン4本で留めた小袋の中に、
カーボショッツを入れておく、名付けて「空中給油」だ。
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しかも、今回は1袋140kcalのパックを3本携帯した。
今までは両脇腹に1本ずつの計2本だったが、より確実を期すため、
ナンバーカード内側の腹中央にも1本搭載した。
ちなみに、朝食後からスタートまでも中途半端に時間が空くので、レース前にも2本を補給していた。 |
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博多駅前を過ぎ、25kmを通過。いまだにキロ3:45前後の安定したラップを刻んでいた。
いよいよ後半戦に突入だ。 |
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またしばらく東向きの進路で、追い風の恩恵を受ける。
この頃になると、若干ペースの落ち始めたランナーをぽろぽろと拾い始めた。
これもどこかで見た覚えのある光景だ。2000年の防府だっただろうか。 |
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またしても「定刻の逆襲」が始まったのだろうか。これは、ひょっとすると、行けるかもしれない。
何の根拠もないのだが、何となく期待してもいいような気になってきた。
頼むから最後まで何もトラブルが起きませんように。 |
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既に集団はばらけてしまった26km付近、前方に見覚えのあるランナー発見。
T村君だ。こんな前を走っていたのか。彼とは年齢も同じ、ベストタイムもほぼ同じと、
まさにライバルと言っていい存在だ。
しかも最近はかなり私の負けが込んでいたので、たまにはやり返すのもいいだろう。 |
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ただし、急激に近づいてはならない。脚を使ってしまってはダメだ。
幸い、ペースアップせずともこの相対速度なら絶対追い越せる。
じっくりと近寄っていって、一気に抜き去った。頼む、今回は逃げ切らせてくれ。 |
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やがて、対向車線が慌ただしくなってきた。そろそろ先頭ランナーがやってくるのか。
運のいいことに、ここは見通しのいい片側2車線の道路。
ひょっとしたらTVに映るかも、ということで道路中央に進路を寄せた。 |
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来た。3人いる。あっと言う間にすれ違ってしまった。
映ったかどうかわからないが、とにかく腕をぶんぶん振り回してみた。
この時、2002年の防府と全く同じ様な光景になっているとは想像だにしていなかった。 |
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そしてついに、30km地点通過。タイムは1時間50分55秒。
奇しくもシナリオと5秒差という展開だった。第一段ロケット、切り離し完了。
次の目標ペース、キロ3:48。ここで2回目の燃料補給を行った。第二段ロケット、頼んだぞ。 |
| Full speed ahead |
30km過ぎに2度目の燃料補給。対向車線のランナーの数が一段と増えてきた。 31km過ぎてようやく折り返し。ここでも旋回動作は慎重に行った。 |
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というのも、急に曲がると、足に余計な力が掛かり、
せっかく馴染んでいる靴と足の位置関係がずれて違和感を覚えたり、
マメの要因となることもあるからだ。
回頭完了、進路西南西、目標 平和台。残り12km、本当のマラソンが、ここから始まる。 折り返しと同時に襲ってきたのは、先程までと打って変わっての向かい風だった。 一気にペースが落ちる。このままではまずい。 と、その時、前方に見覚えのあるランナー。ネットランナーの知人、亀べー氏だった。 亀べー氏の持ちタイムは私より上。ここで追いつくと言うことは本調子ではないのだろう。 最初は抜き去った、と思ったが、気づいたら抜き返されてまた前を走っている。 向かい風のキツイこの状況なので、ありがたく後ろにつかせてもらった。 何も会話を交わすことはなかったが、背中がついてこいと言っているようだった。 2km程引っ張ってもらい、ラップはキロ4分を切るペースまで回復した。 しかし、さすがに練習不足のツケは重く、徐々にペースダウン。 35kmあたりでついにキロ4分をオーバーしてしまった。 いかん、キロ4分ではダメだ。何としても40kmまではキロ3:48を守らねば。 37km付近で最後の燃料補給。頼む、最後までもってくれよ。 ペースはキロ4分を出たり入ったりを繰り返していた。 そしてついに迎えた40km地点。通過タイムは、2時間30分16秒。 ひゃあぁ、シナリオから16秒オーバー、残り2.195kmを9分44秒。 今までのレース経験からすればこれぐらいは行けているはずだが、 潰れたレースでは10分をオーバーすることもしばしばだった。 脚が最後まで持つかどうかで、命運が決まる。 ひゃあぁ、シナリオから16秒オーバー、残り2.195kmを9分44秒。 今までのレース経験からすればこれぐらいは行けているはずだが、 潰れたレースでは10分をオーバーすることもしばしばだった。 脚が最後まで持つかどうかで、命運が決まる。 それにしても、競技場はまだか。 事前にコース下見をしていないし、そもそも競技場からスタートしていないので、 ゴール前の風景がどうなっているのかわからぬまま走っていた。 残り1kmは切っただろう、ふっと左に曲がると、平和台競技場が突然目の前に現れた。 やったぞ、平和台の土を踏める。 レース前は、もし生還できたら「シューズよ、これが平和台の土だ」 などとキザなセリフの一言でも吐いてみたいと思っていたが、 実際はそんな余裕は一切なかった。2時間40分に間に合うのかどうか、焦りまくっていた。 時計は既に2時間37分を回っていた。トラックに踏み入れたのは第4コーナー付近。 これをなぜか自分は第2コーナーと勘違いしてしまい、 トラックを2周回らねばならないのかと思って、焦った。それでは間に合わない! しかし、すぐ左横にフィニッシュラインがあるのに気がつき、残り1周とわかった。 よかった、これなら何とかなりそうだ。徐々に脚を早める。2人ほどのランナーを追い抜いた。 最終コーナー、もうここまで来れば大丈夫だ。もういいだろう。 両舷全速!! ついにこの日初めてスロットル全開を許可した。体中が、うなりをあげるように、加速した。 ところが、さっき抜いたはずのランナーに、大外から猛然と抜き去られた。 やられた、上には上がいるものだ。もはやここで争う意味もなかったので、 その背中を見送りながら、フィニッシュラインを越えた。 記録は、2時間39分05秒。 シナリオ通り、2時間40分のドラマに終止符を打った。 あの別大から、実に1年10ヶ月ぶりの40分カットだった。 記録 2時間39分05秒 126位(完走者343人中) ゴール後は、大会オフィシャルの大きなタオルを背中にかけてもらった。 TVで見るようなエリート大会と同じ待遇が、ありがたかった。 まだ続々とランナーが帰ってくる中、フィールドの芝生に仰向けに寝ころんだ。 うーーーー。 ため息とも感想とも何ともつかないような声をあげ、空を見上げた。 青空が広がり、ところどころ白い雲が流れる。すがすがしい光景だった。 |