東京国際女子記念市民マラソン、悪夢のアクシデント
東京国際女子マラソンが25回目を迎えることを記念し、
今回初めての試みとして一般市民ランナーも参加可能な大会が併設された。
男子の場合、出場資格はフルマラソン2時間30分から3時間15分までの記録を持つ者、となっており、
くりりん選手は先頭から6分遅れるだけの持ちタイムで出走できることとなった。
しかしながら、この日の天候は11月にしては異様な高温と強い風に見舞われ、
メインレースの高橋尚子選手がまさかの大失速をしたのを筆頭に、市民ランナーも総崩れの展開となった。
くりりん選手も例外ではなかった。が、気候による影響は二次的なものであって、
最大の原因はオーバーペース。5キロ通過が17分24秒、10キロでも35分48秒と、
キロ3分30秒近いペースで序盤突っ込んでしまった。これは、練習不足にもかかわらず、
北海道マラソンや青垣ハーフマラソンでそこそこの結果が出せていたことを過信してしまったことにも伏線があった。
中間点を前にペースはズルズルと降下、キロ3分50秒を超え、キロ4分、4分15秒となり、
とうとう34キロ地点でキロ4分30秒をオーバーした時点で気力が萎え、歩き出してしまった。
しばらく歩いているうちに気を取り直してジョグを再開、ところがふくらはぎに軽い痙攣を感じてまた歩く。
そして再び走り始めた36キロ地点で悲劇は起こった。
先程とは比べ者ものにならない大きな衝撃が両足のふくらはぎを襲い、そのまま路上に倒れ込んだ。
足がつったのではない。曲げようが伸ばそうが痛くてたまらない。長い間路上でのたうち回った。
初めてのアクシデントによるレース途中棄権を余儀なくされた。
その後もすったもんだのあげく収容車で救護所へ運ばれた。診断結果は、左脚ふくらはぎの肉離れ。
当分の間安静を強いられることとなった。
[2003年11月16日]
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2003年の記録
この日の気象状況
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天候 | 晴れ | 平均気温 | 19.3℃ | 最高気温 | 24.8℃ | 平均風速 | 4.2m/s |
(気温・風速は最寄り地点の気象庁データによる) |
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