2006年4月22日、カフェ・コーダルオンにて初ライブ。
元ヴォリズエライトの日向達也をはじめ、ヴォリズのCD録音から度重なるライブのサポートでお馴染だったパーカッショニスト吉岡 孝とカントリー、ブルーグラス、ブルース、ハワイアンとアメリカン・ミュージック・オールマイティーなドブロ・プレーヤー岩城一彦が加わり、賑やかで呑気で気楽な音楽を全員で歌い奏でる。
2007年8月に谷口 潤がベーシストとして加わる。
結成当初よりバンド名が長くて不評であるが、実は日向が大学時代にやっていたバンド名の再利用である。その思い入れはかなり強かったのだが、友人のライターfenさんが思いつきでつけてくれたニックネーム「靴ピカ」の方が遥かに好評であるため、最近はどっちでも良くなってきている。いつかライブに来てくれた人が歌い踊り出したら死んでもいい(ちょっと嘘)。
日向達也 | ギター、ブルースハープ、ボーカル |
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岩城一彦 | ドブロ、ギター、マンドリン、ボーカル |
吉岡 孝 | カホン、パーカッション |
谷口 潤 | ベース |
2002年12月1日 | 藤井貴子と日向達也により結成。 ギターとボーカルのユニット。 |
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2004年9月30日 | 西村哲也プロデュースにより,1st CD 『空はまるで』 発売。 |
2005年12月末 | 解散。 |
2006年 | 藤井貴子は東京で音楽活動を開始。 日向達也は「靴ピカ」を結成。 |
高校1年で初めてアコースティック・ギターを購入するも、コードもろくに弾けない内に友人に誘われビートルズのコピーバンドでベース(ポールのパート)を担当する。高校2年の途中で仲間割れの末バンド脱退。南沙織のファンクラブに入ったり、フリーやバッド・カンパニー等のベースを完コピーしたり、シカゴ、ブラッド・スウェット アンド ティアーズ、ポール・サイモンと同時にファニーカンパニーや頭脳警察、フラワー・トラベリング・バンドなどを聴きながら退廃的で無節操な日々を送る。3年の時にシュガーベイブを初めて耳にし山下達郎や大滝詠一、細野晴臣に傾倒。本を山ほど読みあさり活字中毒になる。
大阪芸術大学デザイン学科に入学後、先輩にウエストロード・ブルースバンドを初めて聴かされジャパニーズ・ブルースに衝撃を受ける。その後、好きだった女性からライ・クーダーを聴かされ、今度はミシシッピー・デルタ・ブルースに衝撃を受け、ブルース三昧。しかしクラブで組んだバンドでは、アコースティック・ギターを担当しカントリーを演奏するチグハグな日々。その後、満を持してウエスト・コースト系のバンド「テキサス☆シューシャイン・ボーイズ」を自ら作りギターとボーカルを担当。下宿の友人と作った初のオリジナル曲を数曲演奏する。またもや仲間割れの末バンド解散後、何故かアングラ劇団の美術を担当し音楽活動一旦休止。ブランクの後、以前から親交のあった同じデザイン科の友人・時任三郎(ギターとボーカル)を勧誘し先輩(バンジョー)と共にブルーグラス・バンド「くされキャベツ・マウンテンボーイズ」を結成しフラット・マンドリンを担当する。先輩脱退後、同バンドを解散すると同時にまたも時任(ボーカル)とブルースバンドを結成しベースを担当。二人で先輩のブルースバンドのライブステージに飛び入りし、客に受け調子に乗る。2、3回のライブの後、時任の脱退と共に解散し、音楽から離れる。
卒業から数年のブランクを経て、高校時代のバンド仲間とアコースティックギター・ユニットを結成する。大好きなブルースやラグ・タイムに影響を受けつつ日本語の詞を曲に乗せることに無常の喜びを感じる。数々のライブで歌い演奏し数年後に解散。ギターをケースにしまいこみ、子育てと家事と仕事に専念。
10年以上のブランクの後、中学の同級生・山崎正人と再会し、彼の率いるR&BバンドMOJO SAMのライブを見たことで音楽熱が再燃してしまう。意を決して参加したとある音楽のワークショップをきっかけに2002年「ヴォリズエライト」を結成。3年間の活動の後、解散。
2006年、「靴ピカ」結成。
好きなアーティスト | ジョン・セバスチャン、ポール・サイモン、ジャンゴ・ライン・ハルト、スティーブ・ミラー・バンド、ブルース・ブラザーズ、エリック・ジャスティン・カズ、ライ・クーダー、マリア・マルダー、アン・サリー、笹子重治、ムーンライダーズ、細野晴臣、バンバンバザールなど |
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趣味 | スーパーで買い物、活字を読む |
性格 | 温厚、呑気、いいかげん、人見知り、気が長い、気に入った人にだけ優しい |
特技 | 早起き、炊事全般、人の話を聞く |
苦手 | 説教、自慢、忍耐、根性、熱血、体育会系、竹を割ったような性格の人、最初から答えを決めている人の質問 |