実は、私、ふたごです

 私と妹は一卵生双生児。見た目、ほとんど同じ。喋り方も、声のトーンも仕種も似ている。

同じDNAから生まれていると言う事は臓器移植にも都合がいいということかしら。

 それぞれの歴代ボーイフレンドは全然ちがうよっていうけれど。姉がダメなら妹で、妹がだめなら姉でもいいや、てな輩もいらっしゃったわね〜。

名前について 性格について妹の結婚街で免許証DNA

コンタクト料理屋で歯医者で同窓会で(2000/8/13)


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名 前

 志津子と美津子。愛国心と大和魂に溢れた伯父、松本明重さんの命名。
「美しく、志、豊かであれ」という意味です。順番から言って姉に美津子、妹に志津子というつもりだったのに、姉の私が志津子になっています。何故か?

 昔は後から生まれた方が姉だということで、父は京大病院で生まれた赤ん坊の後に生まれた方に「美津子」の名前を、先に生まれた方に「志津子」の名前をつけ、会社へ行く途中区役所に立ち寄った。そこで聴いたのが「今は先に生まれた方が姉です。」の一言。病院へ電話して付け直してもらうのも面倒だったのか、「ほな、先に生まれた方は・・・志津子です。」てなことだったらしい。

 

双子の性格

 小学校、中学校の頃、双子でも性格は全然違うよねエ。と言われた。私達はけっこう性格も良く似ているのに。何故か?

 周りの人たちの思い込み。派手な方、やんちゃな方、お転婆なほうは姉、という風評が蔓延してしまった。それで妹が、階段の手すりを滑って遊んでいた時も、ワッと言って人をおどかすような事をした時も、学校のガラスを蹴って割った時もすべて私の仕業になった。元来あれこれ説明したりするのが面倒なほうなので「コラッ!!」と言われると反射的に「ごめんなさい!もうしません」という癖がついてしまった。これが原因ではないかと思われる。

 いまだに道で逢った同級生が「え〜と、派手な方か?おとなしい方か?」と言う。「派手な方ですよ〜。」と機嫌良く答えてはいるけれど。派手にせなあかんのかしら、と思うよね。刷り込み効果かしら。

 母によると、少し違うらしい。中学校の頃、お弁当だったのだけれど、毎日「おいしかったよ〜。」と言うのが私で、そのくせ結構残してくる。妹は「こんなん、あかん。」とか「これは嫌いや」とか言いながら残さず食べてきたって。今、妹の方が外受けがよく愛想がよい、と言われているけれど。

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妹の結婚

 妹は、23歳で結婚した。私は29歳で。私が結婚届けを出そうとした時、私の戸籍がなかった!!!何故か。

 父は四国愛媛県は面河村の出身で、愛郷の心強く、いつかは四国に帰って百姓でもしながら生活をするのだと言っていた。祇園へ、ゴルフへ、ライオンズへと忙しくしている父を見て、家族一同誰も四国に住める人ではないと思っていたけれど、その気持ちは判る、と彼が私達の本籍を一度見た事があるかないかという、あの秘境、上浮穴郡面河村に置いておくのを黙認していた。
 妹が結婚した時、父が届けを出した。生年月日も全く同じ二人のただ一字、「美」と「志」が違うだけの姉妹。面河村の役場の係りの方はごく自然に姉の方の戸籍を抹消し、新戸籍に移した。かくして私は戸籍上の妻となる。
 数年後、真相が判明し、訂正されるまで身に憶えのない婚姻関係にあった。すごいね、こりゃ。妹のだんなさんが私の事を紹介する時、ニコニコしながら「こちらが先妻さん、こっちが今の嫁さん」と言ってくれる。誤解されないかねエ。

 

街で

 妹から突然電話。「しいちゃん、昨日どこにいたん?」「???」
「先刻、あなた昨日和服で全日空ホテルにいたでしょうって言われた。」
「ピンポーン、大当たり〜」
「この前大きな袋もって高島屋にいたでしょう!」
「ピンポンピンポン」
「美術館は誰といたん?」
「ひょ〜!! 」

 同志社国際高校で教師をしていたときに、生徒から「先生、昨日の晩、祇園にいたやろ!」と言われた事がある。そ知らぬ顔で「誰といた?」「外人さんと」「ふ〜ん」と、妹の素行が判る事もある。

 いずれにしろ顔の広さが(大きさではない)2倍。人の目に付く頻度が2倍。お茶会で、コンサートで、パーティで、あらゆるところで知らない人から声をかけられる。うっかり見過ごすと後で陰口をいわれるので目配り気配りが大事。お愛想一番。同級生などはまず、「えっと、どっちやろ?」と訊ねてくれるけれど、知らない人はまず思い込みで話し掛けられる。説明している暇のないときは妹になったまま挨拶だけして後で妹に報告。

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免許証

 勿論身替わりなど絶対にしてはいけないと思う。しかし実の子供が「なんで叔母ちゃんの写真が貼ってあるの?」という免許証があると点数が残り少ない時には貸してもらおうとか、思ってしまう悪い私。運転免許を取りに行く時、わたしより数年前に資格をとっていた妹に替わりに試験を受けて〜と頼んだ憶えがある。命にかかわることやから自分でしなさい、と言われそれもそうやと受けにいった。

 入試も身替わりしようと思えばできたかもしれない。学校の授業はよく入れ替わって遊んだ。彼女がうちの大学に来た事もあるし、私が彼女の大学に行った事もある。周りの人たちの驚くのを見るのがおもしろいから。今考えればもっと積極的にお互い交流しておけば、大学も2つの大学を行き来して仕事も学校も人の2倍楽しめたかもしれない。今からでも遅く無いかも。今だからできるかも。

 

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D N A

 一卵生双生児として同じDNAから育っても、外見はほとんど同じでも違う所ができてくる。兄弟が何人かいると、同じ親から生まれたのかと思う程違う子供たちができて当たり前。なのに、お兄ちゃんはできるのにとか、妹はかわいいのにとか、比較されたりしたら迷惑な話。ひとりひとり全然違う個性なのですよね。

 クローン技術が発達して、もう一人の自分を作れるかと言うと、それは無理。私達一卵生双生児がそれ(クローン)なのですから。感覚的に私達同じにはなれないし、不可能だと思われます。思考回路は勿論、生命活動の中で神経細胞を始めあらゆる組織の形成過程における偶発的事象による相違の発現はコントロールできませんものね。

と、考えているはずなのですが・・・

 自分の子供だからこれもできるはずだとかこれはできないとか、思い込みで子供に枠をはめてはいけないと思い、あらゆる可能性があり、またできない可能性もある別個の人格、個性であることを認めているつもりなのに、子供から「私はおかあさんとは違うから」といまだに言われる。まだまだ客観的になりきれていない。いわんやふたごの妹に対して自分の分身の意識の強い事はなはだしい。

 今日、実家に立ち寄り母に妹の顔を見に来たというと、「今英語のレッスン(先生をしている)で忙しいから。鏡でも見ときよし。」と言われ、素直に玄関先の鏡に見入り、そうそうこんな顔・・・と納得していた。[1999.1.21]

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コンタクト

コンタクトと言っても接触、遭遇じゃない。コンタクトレンズの話。私も妹もとても目が近い。

 私は左が0.02ぐらい。右は0.2ぐらいか?(矯正視力の数値しか知らない。)妹はちょうど私と左右が逆で、右目の方がわるい。だから洋服でもなんでも共有できていたのだけれど、眼鏡だけはそれぞれのものでなければ使えなかった。

 今時代はコンタクト。最近使い捨てのレンズを使い始めたのですが、とても良いので妹に勧めたの。そしたら、あっさり「頂戴。」って。「なんで〜!!!」「左右入れ替えてつかうねん。」「なるほど〜」[1999.3.26]

眼鏡上下逆使いの図

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病院で

昔の話。妹が京大病院へ行った。子宮の不正出血とやらで。時期が悪くて、インターンの居並ぶ中での診察だったそうな。恥ずかしくってね、思い出したくもないと言う事だけど。その時ね、見た事もないインターンの一人が妹に声をかけたって。「松本さん?!」って。妹はあんた誰?見たいな顔をしたらしいけれど、きっとその人は妹を私だと思ったに違いない。同学年かその前後の医学部の人だろう。で、知らん顔されたと思っているかな。カルテを見ても一文字違うだけだし、双子だとは御存じないだろうし。知らない内に自分の裸を見られてしまったような気がした。妹曰く「なんぼタダかもしれんけど、思い出しても腹が立つ。もう行かへん。」

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料理屋で

 ある料理屋に立て続けに何度か行った。
 3度めにふと大将に「妹、来てますか?」と尋ねた。勿論来てはいないとわかっていてきいた。そうしたら「ええ、一昨日もおみえでした。」「そうですか」と聞き流しておいたのだが、その後妹にその話をして大笑い。そら、行かなあかんねぇと、妹も喜んで御亭主と連れ立って行った。

 次に私が友人と行った。
「お飲物はこの前の・・?」「この前って何でした?」
『えっ!?・・黒龍とか・・」「妹やね。」
「えっ、ええ。」「それで結構です。」
「あの、妹さんでしたか。なんや旦那さんやとかいう人と御一緒に」
「そうでしょ。」

あまりいじめたらあかんね。

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歯医者で

数年ぶりに出会った歯科医の岩橋さん。まだシングルだった頃からの知り合い。

「どないしてんにゃ?」「元気です」
「この前、おうた(会った)やろ?」「へ?」
「木屋町で。眠眠(餃子屋さん)で。」「へ?」
「外人と一緒やったやろ?」「・・妹どっしゃろ?」
「あかん!何言うてんにゃ、僕の目はごまかせへんぞ。」
「だいぶ前どっしゃろ?妹が言うてましたわ。おうたて。
 (妹が路をあるいていたら、餃子屋さんの中からガラス叩いて
 わーわー言うたはる人がいたらしい)」
「2年程前や。」
「その頃はうち、出歩いてへんかったし。ホンマに妹がおうたいうてましたえ。」

と、それでも憮然としてはった。

すぐに妹に電話して告げる。

「あんたのせいで濡れ衣やんか」「外人て、誰やろ」「お茶のお弟子さんちゃうか?」
「そうかもしれん」「今度おうたらそう言うといてや」「逢わへん」「・・・」

岩橋さん、絶対うちのこと嘘つきや思といやすのっせ、まだ!

うち、坊主の髪と嘘だけはゆうたことない。ほんま。


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同窓会で 

2000年の京都教育大学付属高校の同窓会があった。お客様があり、
1次会は欠席。妹は1次会のみ出席。

 二次回の会場をやっと捜しあてて行くと、「お召し変え!?」と声がかかった。今来たばかりなのに。(先日岡重さんでわけてもらった「お猿さん柄の黒と紫の浴衣」を着ていったのだ)
 戸惑っていると、そのへんのうちの一人から、「みっちゃんと違う。しいちゃんや!」と声が上がった。「おお〜っ、さすが双児や〜」とどよめき。

 この歌舞伎そこのけ早変わり、受けてました。

 「妹はどんな格好やったん?」と訊ねたら、誰も思い出せない。髪型も「???」だった。そのうち、一人が「着物やった」、と思い出してくれたけれど、「色は紺やったかな〜」(後で妹に確認したら白の紗の着物だったんだすって。人の事は曖昧にしか見ていないものですね〜)[2000.8.13]

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