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Art Works

二瓶晃


livre/livre


“思考する書物”をめぐるマルチメディア・インスタレーション作品。
紙片に浮かび上がる「ことば」がスクリーン上に再構成され、一連のテキストとなります。だれかの言葉は、書物(livre)という塊となり、どこかに配達(livre)されることで、一つの思考としての像を結びます。


Sterngucker

星のように急がず、しかし休まず、人はみなおのが負いめのまわりをめぐれ!(ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ)


Garden of Pendulum

上海藝倉美術館で展示した《时间花园 Pendulum》を会場に合わせて再構成した作品。


Quartets



境内に電気的に繋がった4個の装置を大覚寺境内に配置。 各々の装置は鑑賞者の動きやその時々の環境に応じて連動して動作する。 目に見えないが、確かにそこにある何かに想いを馳せることで、 今見ているものが違って見えることを促す作品。


时间花园 Pendulum



元・石炭漏斗内に設置されたマルチメディアインスタレーション作品。天井から吊り下げられた振り子状の照明によって、鑑賞者の影がうつろいながら壁面に投影される。これは現世的な浄土であり、“デジタルな影絵”によって「この世」(此岸)と「あの世」(彼岸)が繋がる、死と生の再生の世界となる。

一瞬花园 Ephemeral



黄浦江の水面の揺らぎや外灘の遠景を音に変換したサウンドインスタレーション作品。ガラスの向こうには、黄浦江の向こうにある現実としての外灘の風景。川の水の流れは絶えることなく続いているように見えるが、よく見ればそれは決して同じ水ではなく、移り変わっている。この世に同じものなど二つと無く、それでいて、流れ自体が絶えない。鑑賞者は人々の死生もまた同様であることを見出す。


VARIATIONS II


演奏者と同じようにJ・ケージの指示通りの楽譜を自ら作成し、それをもとに演奏ではなく美術を構想。フルカラーLEDライト、スポットライト、映像を記譜から導きだされた数式を根拠に配置。それぞれが、楽譜に沿ってオートマティックに“演奏”しつつ各々の演奏者(男声・女声・チェロ・ギター・ピアノ)や客席の気配を汲み取りながら、その境界を越え浸透させる試み。

〈演奏〉大井卓也(ヴォイス)・北村千絵(ヴォイス)・佐藤響(チェロ)・寒川晶子(電子ピアノ)・橋爪皓佐(ギター)


消滅の夢 ABRAXAS

《ABRAXAS》をギャラリーフェルナンドでの展示用に内容を改変し制作。


ABRAXAS


H.ヘッセ『デミアン』をモチーフに作中に登場する聖書の「カインとアベル」の逸話を交錯させた作品。天井から吊り下げられた不規則に動く照明と床面に仕込まれたディスプレイで構成。照明はガラス上に書かれた複数のことばを照らし出す。すべての事象には、人間の内にある世界と同様に最初から矛盾や葛藤の原型がひそんでいることを表している。


DAS SCHLOSS ―予め失われた真理のために

F・カフカの小説『城』をモチーフに二名の作家の作品の組み合わせで展開されるマルチメディア・インスタレーション。城の舞台を模したインスタレーションと城の主人公Kとして操作するゲーム画面を組み合わせて城の世界観を追体験する。鑑賞者は不確かなイメージと、確かな私をめぐる物語によって、存在が不確かであること自体がその存在を強固にすることを体感する。


Espejo S / Espejo Z

カメラで撮影された自画像の輪郭に合わせて、遺伝子構造を象徴する左巻きと右巻きの螺旋の映像がリアルタイムに重ね合わされる。

〈共同制作:人長果月〉


River Never Stops

鴨長明『方丈記』の冒頭、「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」から着想を得たインスタレーション。二名の作家によって制作されたインタラクティブな川の映像と、方丈記の一文を投影したガラススクリーンによって構成。時間の流れを制御する象徴としての砂時計を鑑賞者が反転させることにより、複数の映像や装置、音響が変化する。


Tracing Suujin

崇仁(すうじん)地区は、日本有数の同和地区の一つであり、たびたび改変される川と道によって規定されてきた地域である。地域を流れる高瀬川とその方向を軸に、会場である元・崇仁小学校と崇仁地域の地理的・地形的特質にもとづいて展開されたインスタレーション。

〈共同制作:井上明彦〉


na ra ―水と地のあいだ

4人の美術家が奈良とその周辺のフィールドワークを重ねながら、ドローイング、映像、写真、立体、印刷物、ワークショップなどを通じて日本の古都を地質学的次元から捉え直す試み。

〈共同制作:井上明彦、田中朝子、岡田一郎〉


Acte gratuit

《Acte gratuit》rev.ed.の一部をギャラリーに合わせて改変し制作。


E-motion

〈共同制作:森公一、精山明敏、真下武久、堀翔太〉


Acte gratuit

《Acte gratuit》の改変版。天井高の高い展示スペースに合わせて照明・音響設計を大幅に改変し制作。


Acte gratuit

A・ジイドの『鎖を離れたプロメテ』で書かれた「無償の行為(動機の無い行為)」をモチーフに制作。部屋の中央にあるオイルランプの炎から出る紫外線はUVセンサーによって検知されているが、鑑賞者の動きによっても変化する。炎と鑑賞者の関係性によって作品に内在する反復と繰返しを中断せざるを得ない状況が、作品内の鑑賞者自身によって作り出される。


Terre des hommes ―人間の土地

サン=テグジュペリの『人間の土地』に記されたテキストから着想を得て制作。机に置かれた一冊の本とガラスのスクリーンとの二つの要素で構成されている。一つの物語を基にした潜在的空間と顕在的空間という複数の役割を予め組み込んだ舞台空間であり、インスタレーションにおけるインタラクティブ性や鑑賞者の存在とは何かを問い直す作品でもある。


光・音・脳 light/sound/brain


光や音の体験がヒトにもたらす情動反応について、脳科学の方法を用いたアプローチによって、実験的に探る試み。光と音が充満する特殊な環境に身を置いた鑑賞者に対し、脳血流測定装置による血流測定を行い、血流の変化に応じて色や音が生成変化し鑑賞者に与えられる。一種のバイオフィードバック・システムとしての芸術体験。

〈共同制作:森公一、精山明敏、前田剛志、真下武久、砥綿正之〉


Ritournelle

G・ドゥルーズ+F・ガタリの共著『千のプラトー』の「リトルネロ」という概念をモチーフに制作。音、照明、テキストに満たされた空間はある種の舞台空間であり、そこに立つ鑑賞者は必然的に役者としての立ち振る舞いを要求される。反復と混沌が交差した空間の中でのインタラクティブな体験(鑑賞者として、そして他の鑑賞者を見る傍観者としての体験)は自分のテリトリーを巡る追体験となる。


hydrosphere

現代の“山水(画)”を念頭にCGによってカオスからの地球誕生の物語を表現。微小物質が泡立ち膨張する宇宙から地球が生まれてくる運動の過程や大地から海への映像が、宙空に吊るされたアクリルスクリーンに写し出される。

〈共同制作:森公一、砥綿正之、前田剛志、真下武久〉


virtul/actual

人と自然の根源的な関係性を体感する場を提供するメディアアート・プロジェクト。鑑賞者の脳の状態を脳波測定装置によって測定し、その測定値を複雑系アルゴリズムを介したイメージとして視覚化することを試みる。

〈共同制作者 森公一、砥綿正之、前田剛志、真下武久〉


flâneur

W・ベンヤミンによって言及された“遊歩者”をモチーフに制作。展示室には『パサージュ論』の断片が投影され読みすすめることができるが、時おり背後から近づく足音によってその思考は遮断される。鑑賞者はテキストを読み進めながらその世界を俯瞰するとともに“遊歩者の孤独な部屋”にいる自分を見つめる「何者か」の眼差しを体験する。


Cogito ergo sum

ハーフミラー越しに明滅するテキスト「Cogito ergo sum」により、鑑賞者の自己の存在の生成過程を表現。


L’ÉPUISÉ/消尽したもの

S・ベケット『名づけえぬもの』の物語中の台詞を使ったインスタレーション作品。反復される、言葉や照明・音響の中で、可能性の消尽によって起こる、絶望と救済について考察する。


double entendu

S・ベケットの戯曲『ゴドーを待ちながら』の台詞を使ったインスタレーション作品。一・二幕のテキストを、各々二枚のガラスに投影すると同時に役者によって演じられた台詞も再生する。センサーによって鑑賞者の動きがそれぞれのテキストの表示に影響を及ぼすことによって、新たな「世界」の解釈が生まれる。


WATER SURFACE OF NARCISSUS

鑑賞者が覗き込んだ、ガラスのスクリーン上のイメージは鑑賞者自身の自画像の「影」を取り込み、その位置や角度、時間などに応じて変容を続けていく。鑑賞者は反射するはずの自己のイメージを正確に把握することができないが、その変容された自己のイメージが自身の行動によって生み出されていることに気づくことになる。


Going Anywhere

美術家・植松琢麿企画による「船をつくる」プロジェクト。8名のアーティストが、各々作家個人のコンセプトやスタイルを用いて小さな船を作り宙に浮かべる。個人の造形に収まりきれない創造に意味が生じるプロジェクト。

〈共同制作:植松琢磨(企画)他〉


Clear Square Glass Placing
(Joseph Kosuth for Data Glass)

2004年当時、先端の映像装置であった島津製作所の小型HMD(ヘッドマウントディスプレイ)を用いた産学恊働のプロジェクトに参加した作品。透明な板ガラスを見ることで上にテキストが浮かび上がる。ジョセフ・コスースの作品へのオマージュとして制作。


Passing

W・ベンヤミン『パサージュ論』から着想を得て制作。壁面のスクリーンと、そこへの通行を阻むかのように中空に架け渡される半透過のスクリーンで構成。像は無数のパサージュから織り成され、鑑賞者はその先へ向うことの逡巡と訣別の中に都市の敷居を感じ取る。


a hand wished a hand

鑑賞者が透明なガラスに手をかざした瞬間、ガラスに映像が投影される。映像には鑑賞者の手の位置に合わせて手を差し出しているおぼろげな人の像が映し出される。現代のコミュニケーションの欠如と可能性の両面を提示。

〈共同制作:人長果月〉


DISCARNATE PEOPLE

《DISCARNATE PEOPLE》の改変版


DISCARNATE PEOPLE

フロストガラスの一面には階段を下り続ける人の映像、逆側の面にはその人の映像をリアルタイムに「文字を利用した画像」に変換した映像を投影。そして、文字は一定時間を経過するとバラバラに崩れ落ちていく。情報化の中で疲弊していく「肉体なき人々(discarnate people)」をガラス一枚の薄い皮膜に隔てられた二種類の対照的な映像を利用して表現。


PANOPTICON

美術家、映像作家、写真家、ファッションデザイナーがPANOPTICON(全展望監視システム)をモチーフにインスタレーションを共同制作。

〈共同制作:池側隆之、河合晋平、山本香、田端浩司、山田浩之、谷本研〉


geometrical shift
-prefabrication with programmable VOID

ネットワーク空間にアクセスする不特定多数の意志によって決定された計算結果よってひとつのヴォイド(建築的内部空間)を創出するプロジェクトのプロトタイプ。その空間は不特定多数の中のあるひとりの持つパーソナリティーによって決定づけられると同時に、そのひとりが抱える社会的システムの生成過程をあらわしている。


closed circulation

《名前が僕を語らなくても、例えば世界は止まらない。》を元にMIDI制御した映像と音響を組み合わせた大規模なインスタレーション。

〈共同制作:井浦崇〉


名前が僕を語らなくても、例えば世界は止まらない。

《名前が僕を語らなくても、例えば世界は止まらない。》の改変版。規模の大きな円形ホール用に内容を改変し設置。


名前が僕を語らなくても、例えば世界は止まらない。


リニアに配置された26の明滅するサークライン(丸型蛍光灯)とその明かりに照らされる26のキーワード。サークラインの明滅はもう一つの円形の装置の回転によって制御される。抗いようのない世界によって形作られる自己の形成を半永久的に動き続ける一対の装置によって視覚化した。


self meltdown ―まず虚構の中で自分を殺せ

電気的に結ばれた8つのVUメータのついた装置によって構成。装置は被験者が上部に乗れるようにつくってある。8つの装置のVUメータはノイズによって同時に一定間隔で振れており鑑賞者が乗ることによって微妙に動きが変化する。結ばれた世界のなかの自分の存在の不確かさを表現。


寺田町の住宅

 


exist/not exist


仮設建築物(工事現場用足場)を用いた建築的実験。鑑賞者の動きに応じてベル音と光が反応し時空間を作り上げる。被験者が感覚的に構造物の中での“存在”を感じる可能性を提案。


南海天王寺支線跡地に関する考察

〈共同制作〉


いちばん高い塔

 


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最終更新日:2020.3.19

Copyright©2018 Akira Nihei.