京言葉の本音(裏)の意味                                                                                 (京都新聞/1996年頃?にスクラップしたものを参考。)
                                                                     

方 言 使 い 方 と 説 明
やす
京の言葉に「やす命令に否定へん」という、代表的な助動詞を解説した言葉がある。
単独では用いず
「はよ、お食べやす」「おやめやす」のように、「お・・・やす」の形で使われる敬語である。
普段の買い物などは「これ・・・おくれやす」を「
これ・・・おくりゃす」と簡略化して発音する。
「どうぞ、お出でやしとくれやすぅ」とやすを重ねて、二重に敬意の度を強めたりする。こうなると「来い!」
と同様の命令のようなもの。和服の美人にささやかれりゃ、至上命令のようなもの。この、二重の「やす」
には恐ろしい企みが奥に隠されていないとはかぎらない。二重の敬語をどうかいくぐるかが・・・。
へん 「へん」は「ありまへん」「あきまへん」などのように、打消しの意を表す。「へん」が「ひん」と分化して、
「せーへん(しない)」が「しーひん」となったりする。京都の挨拶をまともに受けて、その気になって、
長居でもしたら、
「そんな意味でゆうてへん・・・けったいなお人やなぁ」 という事になる。
上がる下がる 「そこの信号を上がって、東に入ったとこどすわ」 道を尋ねて返ってくる返事のひとコマである。
京都では北が「上がる」 南が「下がる」と云う。 JRの「上り」「下り」とは全く意味が違う。
京都市内の住所はタテ・ヨコの通称名に、上がる、下がるをくっつけて役所に届けてある。
郵便物もこれで通ってきたのである。そこには町名や番地が記入されていないのだ。京都の人でも、
町名を知らないから、特に、中京区・下京区・上京区では郵便番号を調べるのが厄介な作業である。
加茂川、高瀬川、堀川、紙屋川は北から南へと流れて、当然、高い所から低い所へ下るのである。
姉三六角 「まるたけ、えべ(び)すに、と数えてたら間違わへん」整然と碁盤目伏に大路小路が通った京の町通り。
目的地にたどり着くのに、便利な通り名唄である。京都の人ならこの唄のおかげで路を間違わない。
北から南に数えて、
丸竹夷ニ押御池、東から西へは、寺御幸麩屋富、柳堺高、間の東に車、烏丸
宝永四年(1707)にはすでにリズムをつけて歌っていたらしい。京都独特の子守唄でもあったのである。
あまり 「すーは夜に買うもん違う」と言い伝えがある。 酢「すー」は京都特有の長音化の発音で、蚊を「かー」、
字を「じー」などと発音するのである。 酢は「摩(す)る」ですり減らす、という意味が嫌われた。
商家では酢を「あまり」と呼ぶ。髭(ひげ)も剃るといわずに「あたる」。するめも「あたりめ」である。
あんばよう
「孫があんばよう、肩たたいてくれます。ほんに、しあわせどすわ。」丁度具合のいいことを、「あんばよう」
というのだが、言葉の響きに喜びが漂うのである。吊りあいや具合のことを「あんばい」とも言う。
あんばようは、「塩梅よく」に基づく。都合よく、上手に、いい具合に、の意味がある。
えらい 「えらいもんや」 「えらい、お方どすなぁ」 京都の人なら、そう言われて、まともに受け取る人はいない。
褒めているのか、けなしているのか。京都の人なら一つ一つイントネーションを微妙にいい分けることが
できるし、当然、聞き分ける。チョット首をひねって、やたら
「えらい」が強調されるとあぶない人。
「えらいことしよった」はとんでもないことをしやがった。「えらい目におうた」はひどいことになった。
「えらいことになった」は切羽詰った窮地である。「えらいもん」は難題。「もう、えらい」はしんどいである。
おこらはるえ 孫を連れたおばあさんが、電車に乗ってくる。孫はオモチャノの刀で隣に座った人をたたこうとする。
「おっちゃん、怒らはるえ」 おばあさんは隣の人に叱ってもらおうというのではない。「あなたは子供が
大人に戯れることに寛大ですか?」「それとも禁止しているのですか?」と問いかけているのである。
関東の人なら、内心は怒っていても、気の小さい大人と思われたくないから、ニコニコして子供の相手に
なるのである。しかし、隣の人が怒れば別だ。おばあさんは、ここではじめて叱るのである。暗黙のうちに
社会一般のルールを、距離を測りながら教えるのである。最近は周りの人が怒らないのも困りものだ。
おぶう
(ぶぶ)
「いて、参じます」お茶屋からお花がかかった芸舞妓さんは、おかぁさんの「いっときなはれ」の言葉に
送られて、間違っても「お早よう、お帰り」ではない。早く帰ってもらっては商売にならない。
お茶は、暇な芸舞妓が、持て余した時間にお茶を臼でひいたという、言い伝えを嫌ってのことらしい。
茶柱は出花。
 「ほれ、出花が立って、きょうは縁起がええわぁー」
かまい 「しょうむないことに、かまうさかいや。頼まれもせぇへんのに」ちょっとした話のはずみに、余計なことに
巻き込まれて困ったことが起きる。家のこと放ったらかしで他人の世話を焼くと、嫉妬半分で、ずばりと
嫁さんに釘をさされるのである。「あんたは構いやから・・・。」【構い】は構いたがりの転成名詞

いちびる人を「いちびり」。 よくしゃべる人を「しゃべり」と同様である。
本人は無理してかまっているわけでもないのだが、つい、放っておけなくなる善意の人である。
かなんなぁ 「かなん」は、適わないの音声変化の簡略化。「かなん」には絶対的な否定の意味と、「どうしょう」という
感情が、あとの状況までの取り越しを含んで、逆の意味に使われたりする。贈り物をもらって、
「こんなもんもろうて・・・かなんなぁ。」 こんな例は、特別に困っているわけではない。
かにここ
Canicoco
私自身のハンドルネームに使用している方言の言葉だが、私にぴったりなのでパソコンを触って以来
(1987年)採用している。京都でもあまり知られていないが、語源については 参考 ←クリックがある。
京都では
「かにここどすけど、食べておくれやす」などの用法があり、「つまらないものですが」の意味。
「かにここしか残ってへん」と言えば、「もうわずか」の意味。大事な待ち合わせに何とか間に合ったとき
「かにここ、間におうたわ」。「昨日のゴルフ、かにここ100切れた」。ぎりぎり、辛うじての意味である。
かなり、古い用例では、文化文政年間に、粋人の流行語となって、おおいに弱っていることの意味に使
われたという。努力とうらはらに、心身ともに疲れ果てて、お手上げ状態の時は 
「もう、かにここや!」
くさ 「どさくさ」、「ごてくさ」、「どんくさ」、「しんきくさ」、「ぼつくさ」などなど。小うるさい気持ちを表す接尾語。
「何をごてくさ、言うてんにゃ」ごてくさは、ごてに同じで、くどく小言をいうさま。「あんた酒くさいなぁ」から
「にんにく臭い」などのように、助動詞を接尾語に使うのである。そう言われても、
「ぼつくさ」言わざるを
えないのも、この世である。 霞ヶ関の役人は保身のことしか考えてへんのかいな。
「あほくさ!」
けっこう 「おおきに。お勘定はいつでも結構どすえ」スナックのママさんにいわれてその気になっていると、月末
にはちゃっかり請求書が回ってくることは、まず間違いない。この「結構」の言葉は使う側と受け取る側の
都合で、どうにでも変化する言葉だ。曖昧なのが都合がよいのだろうが、気が付いた時はもう遅いのだ。
こーとな 「こーとな、おべべ着たはりますな」と、言われて褒め言葉なのか、悪口なのか、決め付けられないのが
この「こーと」である。そのあとに、
「よう、似合うたはりますなぁ」と続けば褒め言葉になって、【こーと】は
地味で上品な趣向の意味になる。言われた方も
「へぇへぇ、それは・・・おおきに」としたたかに応える。
こうばいがきく 「あの人は勾配が利きまっさかいなぁ」 世話好きで損得とは無縁で、こまごましい連絡から、行事一切
を取り仕切り万事そつがない。目配りが利いて何事もまぁーるく収めて、冠婚葬祭のしきたりにも詳しく
尊敬を受けている人。町内に一人でもこんな、ご人がいるといないで大違いだ。勾配は、傾斜の度合い。
傾斜があれば早く転がることから、気働き、機転のが利くの意味。勾配が利かないのは、別に「どん!」
という。 「どん!でっさかい」と謙遜するのが通常である。 関東でいう「どじ!」である。 
ごきんとはん 「おおきに、ごきんとはんに遠いところを・・・」あまり聞かなくなったが、あいさに(ときおり)西陣あたりで
はひょこっと出会ったりする挨拶がある。ごきんとは「御金当」の字を当てる。貸した金品が約束の日に
きちんと返されたときに、「おかたいことで」 「ご丁寧に」と使う挨拶語で、几帳面な人、率議な人の意味。
じょさいない 「ほんに、あの人はじょさいないなぁ」 これはなにかにつけて、手抜かりなく行き届いた人。機転がきく人
「こうばいがきく」と微妙に違って、「無駄のない人」。「しっかりした人」。「ちゃっかりした人」をさす。
語源は、あるがままの如在。そこつ、粗略ではないの意味。「抜け目のないお人どす」これは悪口である
「この帯ええけど、じょさいない値ぇやなぁ」といえば、高い値やなという意味。
すか 駄菓子屋は、街角の子供たちのワンダーランドだった。一番人気は「あてもん」だ。「なんや、すかかぁ」
はずれに、がっかりしたものである。「かす」を逆さまにしたような言葉だが、いかにも「はずれ」の語感だ
「すか」は見当違い、やり損ない、無駄に終わる、あてが外れる、肩透かしをくう、などの意味がある。
日本経済の景気対策には、もう
「すか」を食いっぱなしである。政治家も「すか」ばっかりなんやろか?
すこや 「そんなん、すこいわ」 トランプゲームに興じる子供たちの輪のなかで、年嵩(かさ)の子が、ルール違反
の子をたしなめる。すこいは形容詞で、狡(こす)いの意味。人の目をかすめて素早くずるいことをすること
である。
「気ーつけや、あの人すこややで」。こんなレッテルを貼られたら、もう遊んでもらえない。
すこいのは、好かれない。
「すこい」と云われたくないと、京都人はだれもが思っているのは確かなようだ。
すぼっこな 「あの人の隣はかないまへん。気ー使いますやん。すぼっこなお人でっしゃろ」。カラオケなどで盛り上が
りは最高潮。そんなときでも、乗りの悪い人が必ずいるものだ。本人にすれば面白くなくて、逆らっている
わけではないのだけれど、端(はた)はたまらないものだ。 「すぼっこな」は愛想もくそもないという意味だ。
「すぼっこな子、やったのに、ええ娘はんにおなりやしたなぁ」 これは本当に褒めているのだろう。
「すげんど」もある。これはすげない態度。
「あの店、いつ行っても、すげんどにしゃはるし、もう行かへん」
せいてせかん 「せいてせかんよーやけど・・・」 せいては自動詞「せく」の形。「せいては事をし損じる」のせいてである。
直訳すれば
「あんたはんのご都合もございまっしゃろけど、こちらは大変急いでいるのどす」の意味である
忙しいと知っているから、遠慮がちに、この言い回をするのである。 聞く限りでは「せかんようやけど」の
言葉が入るのだが、仕事が遅れようものなら、次から仕事はこないと覚悟がいる。大阪でも頻繁に使われ
るようだ。ずいぶんとまわりくどい、もの言いである。
せんぐり 「せんぐり、ゆうといてや」 「再三、念を押してといて」と言う意味。相手を怒らせて、かえって逆効果となり
かねないのだが・・・。せんぐりは分量のおおいさま。【先繰り】。再三に。後から後から続く様である。
「せんど言うて、聞かしたのに」といえば、何べんも、口を酸っぱくしていったのに・・・。の意味。
「せんど待たしておいてからに」は長時間待たせて。 「せんど食べた」は飽きるほど食べたの意味。
せんぶら 「ちょっと、千ぶらせぇへんか」西陣のど真ん中を南北に貫いた千本通の散策を「千ぶら」と呼んだ。
普段着にゲタ履きで、今出川通から長者町通まで2kmほどを、ぶらぶら散策しながら、「見る」「食べる」
を楽しんだのである。150m足らずの、西陣京極には、西陣キネマ、大映国際、西陣東映、千中劇場
などが軒を連ねていた。なかでも、
「マリヤのぜんざい」が大変な人気であったのである。
だんない 「えんばんと、手持ち(お金)がないのやけど、だんないか」。「そんなん、だんない、どうぞ、どうぞ」
「だんない」は「大事ない」から派生した言葉で、「さしつかえない、たいしたことはない」の意味である。
「だいじなもんお借りして、すんまへんどしたなぁ」これは「だんない」とは大いに意味が異なる
ちょか 「階段でちょかしたらあかんがな」「そうでのぉーても、あんたはちょかやさかい」子供の頃に親からよく
こう言って叱られたものだ。【ちょか】は落ち着かないさま。動詞では「ちょかつく」となる。
ちょっと  
そこまで
「で、これからどちらへ?」 「へえ、ちょっとそこまで」 「そうどすか、まぁ、お気をつけて」 「おおきに・・・」
尋ねている方は「そこまで」の「そこ」がどこであるのか、それ以上は問わない。なに、はなから行き先など
詮索しての問いではないのだ。「ちょっと、そこまで・・・」 に 
「そこってどこどすねン」などと追いかければ
「なんや、あのお人・・・」次から挨拶などしてもらえない。そこには行動を確かめたり返答を期待する気持ち
などまるでない。【京の長挨拶】ということばがあるが、街角でシーソーのように頭を下げあう風景である。
どうどすやろ どっちつかず、の優柔不断はほめられたものではないが、付き合いのなかでは、不同意を相手に傷をつけ
ずに、やんわりと伝える術がある。
「どうどすやろ?ちょっと都合が・・・。」と、くやしそうに伝えるのである。
相手には同意出来ないのが残念でしょうがない雰囲気を見せるのである。相手も
「いやいや、しょうがおへ
ん、又、次の機会にたのんまっさ」
となるのである。NOをうまく伝えるのがコミュニケーションというもの。
・・・どすけどぉ 「粗茶どすけどぉ」といってもそれは、ただのお菓子ではない。客となってなにげなく出されるお茶受けだが
深〜いもてなしの態度が集約されていることに、思いをめぐらさねばなるまい。偵察の茶菓子なのである。
その茶菓子を粗末な態度で口にすると
「あんまり、ええ趣味したぁらへんお人」と軽く見られることになる。
先ずは、じっくりあじおうて
「上品なお味どすなぁ」と述べておくのがよろしい。
とぼる 「まだ、とぼ(灯)ってへんのかぁ?」「もう、とぼるやろ」・・・「とぼった!とぼった」 八月十六日の「大文
字送り火」は京都の風物詩である。宗教的な思想のことなど関係なく賑わうのである。大きなコップに水を
入れて、これに真っ赤な炎の大文字を写して一家で飲み回す。中風封じのまじないである。
なんぎやな 「わぁ、えらいこっちゃ。なんぎやな」花見小路のバーで遊んでいるうちいつの間にやらカッターシャツの
肩に口紅がついている。男性ならニ度や三度、それがために、山の神が般若になった経験がある筈。
(難儀)戸惑うこと。困ったときに思案して考え中なのである。 
「なんぎやなぁ、どないしよう・・・・」
はきはき 「はきはき、ものをお言やす人」と言われたら、京都では褒められていると考えない方がいい。相手の
気持ちを一応考えながら、遠慮深く、思慮深く・・・。 だからこそ言葉がもって回る。しかし、その奥には
きっちり言いたい用件が詰まっているのだ。田中真紀子さんのように、はきはき言えば角が立つのである。
へぇへぇ 「へぇ、おおきに」。応答語の「へぇ」は標準語の「ハイ」に相当し、室町では今でも「へぇ」を使用している。
この「へぇ」は関東での「ヘイ」とは違うのである。「へぇ」に「おおきに」や「そうどすえ」と結びつく慣用語だ。
しかしこの「へぇ」がなかなか厄介で、単なる相槌から、肯定、否定まであるからややこしい。
京都の人なら、ニュアンスで話し分けられるのだ。
「へぇへぇ」と後上がりのアクセントには気をつけよう。
納得したのではなく、こちらのたくらみが見透かされて、軽んじられているのだから・・・。
ほかす 「ほかすのも可愛相やし」と思い、子供が捕ってきた虫の亡骸をねんごろにとぶらって土のなかに埋める。
「ほかす」は捨てるの意味である。 「ほ(放)る」とも言う。ほうか(放下)すの転化か。 心身にまつわる
一切の執着。お寺さんの言葉では「ほうげ」。「捨てる」にくらべ「ほかす」には、意味深い含蓄があるのだ。
含蓄とは関係なく、
「うちの父ちゃん、ほかしたろか」とゴミ同様に陰でいわれているのやも。
ややこし ややこしいは、じつにややこしい。接尾語の「しい」の「い」を略して「ややこし」とも使われる。込み入った
複雑な、うさんくさい、紛らわしい、面倒な、あやしげな、などなど・・・様々な意味を表す。
「あの二人、どうもややこしおっせ」はあやしい仲。「あの会社、どうもややこしそうやで」は危ない会社。
ややこしいとこに、おできがでけて(出来て)人にも言えしまへん」は秘所のことになる。言い難いことは
「ややこしおっせ」で済ますほうが無難というもの。嬰児(ややこ)の形容詞化で、扱い難いの転義。
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