カナディアンロッキーへツアー(四)

上西 耕三

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 下山後、私たちは本日の宿泊先のマウントログソン山麓にあるロッジ(山小屋)へ。ロッジと聞いていたので、私自身あまり期待はしていなかったが、訪ねてみると原野の中の閑散としたたたずまいで、考えていた以上に辺ぴなところであった。
 古いログハウスを食堂にして、その周りに小さなコテージが5〜6軒建っている。ここからロッキー山脈最高峰Mt.ロブソン(3954m)が観える。原野の彼方にそびえる白銀のMt.ロブソンの姿は、神聖な感じのする山容であった。
 私たちを迎えてくれたのは、全体的に怪しい感じのする人物で、頭に乳白色の毛色で編んだへんてこりんな帽子をかぶり、あごヒゲを生やした関西弁を話す日本人青年Aさんであった。このロッジはAさんを中心にしてスタッフも全員日本人で構成されていた。Aさんからこのロッジの簡単な説明や注意事項などを聞いたが、その中でビックリしたのは総長の近辺の散歩は、必ず二人以上でしてくださいとのことで、熊野出没が考えられるというのである。えらいところやなぁと思うとともに、自分たちのおかれた状況が、いかに自然に近いかを感じ取ったのである。

 夕食はロッジ前の広場でとのことで、山旅に相応(ふさわ)しい野外での食事となった。それもロッキーの懐深い大自然の中だから、私たちもキャンプをしているような錯覚にとらわれた。
途中から私たちと同じツアー会社の在日朝鮮人の人たちとのグループと合体して焚き火を囲んでの酒盛りとなった。人数も20名近くになると、焚き火というよりキャンプファイヤーに近い感覚で話の輪ができる。ここで話を盛り上げてくれたのが、うちのツアーリーダーとこのロッジのAさんである。中でも、Aさんのお客をもてなそうとする姿が自然体で、Aさん自身も私たちと一体になって楽しんでいるから、カナディアンロッキーの自然のすばらしさ、魅力がAさんの姿からじわーっっと伝わってくるから不思議であった。

 その日の深夜。ベッドに入ってウトウトしはじめたとき、突然「皆さん起きてください。美しいオーロラです」の大きな声とドアをたたく音で飛び起きた。
夜空を見上げると、確かに白い帯状の雲の様な物が星空に横たわっているがただ白いだけで、以前雑誌で観たようなあのオーロラの美しい天然色の色彩がないのである。聞くところによると、夏のカナダのオーロラは白いだけで色彩がないとのことで、ちょっと残念だったが、オーロラをこの目で観たと言う現実にみちたりた気持ちになった。そして、ふと自分の姿を見たらパンツスタイルのままで、皆んなといっしょにオーロラを眺めていたのである。あわてて部屋にもどったが、深夜だからよかったものの、昼間やったらえらいこっちゃと一人で苦笑した。

 翌日、私たちはMt.ロブソン山麓のキニーレイクを訪れた。残念ながら天候が悪く、Mt.ロブソンの姿を観ることはできなかったが、ロッキーでの、のんびりとしたトレッキングを楽しんだ。

 ロッジに帰り、夕食が済むと、いつもの様に自然と広場の焚き火を囲む。ツアー行程も大詰めを迎え、あとはバンクーバーからの帰国だけとなると、名残惜しい。特にこのロッジでの2泊は、世間の喧噪(けんそう)から離れ、ロッキーの手付かずの大自然を満喫できた。そしてAさんのように自然とともに自然体で生きる心暖かい人との出会いで、私たちの心身も自然とリラックス出来たのである。

 翌日、専用車でカムループスの空港から空路バンクーバーへ。
バンクーバーは海岸線に町が広がっているため、全体的に開放感のある、さわやかな感じのする町である。市内観光後、私たちはこの町の目抜き通りのロブソンストリートでショッピングを楽しんだが、都会にありがちなギスギスとした感じがない。私は田舎に住んでいるから、この街の感覚が心地良かったし、気に入った。

 夕食後、同室のOさんと最後のおみやげのかい出しにホテルから出たが、表に出ていきなり方向感覚がわからない。そのとき外国人の青年たちとすれ違ったので、私は勇気を出して若い女性に向かって「イックスキューズミー(すみませんが!)」と言うと、立ち止まり振り返ってくれた。私はこのときとばかりに覚えた手の英語で「ハウドウアイゲットツーロブソンストリート?(ロブソンストリートにはどう行ったらいいのですか?)」と言った。すると女性は「オー、アイムニューヒヤーツー(私もここははじめてなんです)」という。私はえ〜ぇッ。この会話、英会話で覚えた手の戸一緒やと思ったとたん、頭はパニック。あとはOさんがフォローしてくれたが、こんなこともあるんやなぁと思わず吹き出した。
 バンクーバーの夜は、ゆっくりとふけてきた。深夜になって、酒でも飲もうということで探すが、店は閉まっているわ酒場は分からないわで、へとへとになってホテルに帰ってきた。スーツケースの中にかろうじて缶チューハイが一缶残っていて、Oさんと最後のさびしい酒盛りとなった。

 朝、目を覚ますとOさんの姿はなく、テーブルの上にメモ用紙が置いてある。成田空港組は早朝のきこくとのことで、一足早く出て行ったのである。私はメモ用紙を読みながら、あえて私を起こさずメモにして別れを告げたOさんの心使いが嬉しかった。
 窓の外は、旅の終わりの名残惜しさを暗示するかのように小雨がパラつき、街全体が霧に煙(け)むっている。私は、窓からバンクーバーの街をボンヤリ眺めていたら、カナダでの楽しかった出来事が、スナップ写真のように次々と浮かんでくる。そして、そのスナップ写真に写っているすべての顔は、どれも輝くような笑顔であった。

 ゆっくりとした朝食後、私たち名古屋空港組は、バンクーバー空港に向かった。
小雨の中を、車は一直線に走る。ワイパーの音だけが静かな車内をいっそう静寂にしている。私は、窓から霧に煙むるバンクーバーの街をじっと眺めていた。


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