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バイオスフィア実験生活 史上最大の人工閉鎖生態系での2年間
(アビゲイル・アリング/マーク・ネルソン著、平田明隆訳、講談社ブルーバックス、1996年、840円、ISBN4-06-257147-1)

“バイオスフィア2”については、近年マスコミでこれだけ騒がれた科学実験も珍しいので、細かい説明は不要だろう。もっとも、日本での報道は、アメリカのそれに比べてかなり地味な気はしたけれど。本書は、その史上最大の人工閉鎖生態系の中で二年を過ごしたクルー自身による体験記である。
 本職のライターの手になるものではないため、ぶっきらぼうで単調な文章がやや忍耐を強いる。が、現場で手を汚す人間ならではの、武骨な中にキラリと光る言葉に出会えるのが本書の醍醐味だ。「満足に食べられないというのは、いわば生き物の運命ともいえる」「ここでは手作りの経験こそが値打ちがある。閉鎖システムの中では、自ら手を汚したことのない教科書的な理論家ではなく、実際に「できる」人が絶対に必要なのだ」「一つのシステムを簡素化するには天才がいる。それを複雑にするのは馬鹿でもできる」――
 なるほど、「ああ、エビと藻が入れてあって密閉してあるアレのでかいやつか」と頭の中で納得してしまうのは簡単だ。だが、そのアイディアを実際に人間が暮らせるレベルの現物として実現するには、どれほどの些細な、しかし、決定的に重要な問題をこつこつとひとつずつ潰してゆかねばならないことか……。理学部はだめで工学部が偉いとか、そういう次元の低いことを言っているのではない。バイオスフィア2のクルーの一人が憤慨して言う――「われわれは科学者と技術者という形に分けられるのか?」
 C・P・スノーの“ふたつの科学”はもう古い。いまや人文科学と自然科学などという二項対立は解体されてしまっていると信じる。だが、それぞれの内部でのタコツボ化は、より学際的なアプローチを要請している時代にますます逆行しているような気がする。バイオスフィア2のような“メンテナンスの科学”のプロジェクトは、とくにそうした部分を拡大して見せてくれるのだ。
 それにしても、“自然と調和して暮らしている”らしいと西欧人におだてられて続け、ちっともそんなことはないくせにその気になっている日本人こそ、こういう分野の科学でイニシアティヴを取ってみせるべきだ(日本にも小規模なものはあるけれども)。常任理事国になりたかったら、連中と同じ哲学で猿真似を続けるよりも、「さすが東洋人の発想はちがう」と、自然と調和している民族だと勘ちがいされているのを利用して世界の尊敬を得るくらいのマーケティング的発想がほしい。まあ、つまらん事務手続き上の規制はたくさんあるのに、欧米では常識レベルの環境保全規制すらないというおかしな国の政府にはあまり期待してないけども。真面目な話、科学技術の下に厚生を作るのが、正しい二十一世紀的ありかたであると思うのだがどうか。
 おっと、話が本から離れてしまった。ともかく、血湧き肉踊る本ではないけれども、貴重な体験記として一読の価値がある。バイオスフィア2は、「小賢しい人間の作りものにはなかなか真似できないのだから、自然ってほんとうに偉大ですねえ」という牧歌的な研究ではない。将来“自然なしでやってゆく”ための攻撃的な研究なのだ。いま自然を大切にしなくてはならないのは、われわれがそれについてろくに知らず、壊したら再生できないからだ。自分で作れない、もとに戻せないものを壊して苦しむのはバカのすることである。親の脛を齧りながら反抗している尻の青いガキのようなもので、いまの人類はその段階にある。しかし、いつの日か、自然を破壊しても大丈夫な甲斐性ができたとき、人類は初めて「自然は大切だ」と堂々と言えるようになる。バイオスフィア2は、この宇宙の中で知性を持ってしまった人類の、真の自立への第一歩として、宇宙開発にも匹敵する重要な意味を持つのだ。


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