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ライトジーンの遺産
(神林長平著、朝日ソノラマ、1997年、1800円、ISBN4-257-79026-1)

 臓器崩壊という原因不明の現象が蔓延し、ほとんどの人間がどこかに人工臓器を埋めこんで生き長らえているというのが本書の世界だ。人造人間を完成させるまでの技術を持った強大な企業ライトジーン社は、世界征服を図ったため危険な存在として解体され、その技術はそれぞれ専門の臓器を担当する複数の企業に受け継がれた。主人公の菊月虹(キクヅキ・コウ)、通称セプテンバー・コウは、ライトジーン社が完成させた二人の完璧な人造人間のひとりである。この世界では、精神感応や予知、念動などの超能力を持つ者は“サイファ”と呼ばれており、ライトジーン社が遺した人造人間には、最強のサイファの力が具わっていたのだった。彼には五月湧(サツキ・ユウ)、通称MJ(メイ・ジャスティナ)と名告る女の兄がいる。「私を生んだのは姉だった」という表現を許してくれない『言壺』のワーカムがなんと言うかはともかく、MJはみずからの能力で性転換を行なったため、正しく“女の兄”なのである。物語は、人造人間でありサイファであるコウが、性格もライフスタイルもまったく異なるMJと着かず離れず、謎の刑事課長・申大為とその部下タイス・ヴィーと共に人工臓器に絡む事件に関わってゆくというオムニバス形式で進行する。「アルカの腕」「バトルウッドの心臓」など、人工臓器メーカーと身体パーツの名が章題となっている。
――と、ここまでご紹介すれば、膝を打つ方もいらっしゃるだろう。そう、手塚治虫の『どろろ』なのである。主人公のコウは、いわば、生まれるまえから全身を人工臓器に置き換えられた存在、それゆえに特殊な能力を“ハンディキャップとして”持っている存在とも考えることができる。MJが性転換をしているという設定も、『どろろ』をご存じの方ならニヤリとなさることだろう。妖怪を斃すたびにほんものの身体をひとつひとつ取り戻してゆく百鬼丸の姿は、一章読み終えるごとにセプテンバー・コウと重なってくる。いかにも神林長平らしいのは、この世界が人工臓器を持つ人間だらけで、“ほんもの”と“つくりもの”との境界が妖しく交錯している点である。百鬼丸とちがい、けっして“ほんもの”の身体を取り戻すことのないコウが、どのように報われるのか――これは読んでのお楽しみということにしよう。
 言語と機械の等価性を憑かれたように掘り下げていた(そして、ときに堂々巡りしていた)神林長平が、いずれ本格的に身体論をぶつけてきたとしても不思議はないと思っていたが、巨匠の名作をもののみごとに換骨奪胎して、このような形でエンタテインメント性溢れるハードボイルドSFに仕上げてみせてくれるとは、その卓抜な着想と力量には改めて驚かされた。しかも、このまま完結してもよし、続編や外伝をいくら書いてもよしといううまい終えかたで、反響次第では再びコウたちの物語が読めることになるだろう。
『魂の駆動体』を転換点に、第二期・神林長平が快調に回転しはじめた。


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