SF MAGAZINE
冬樹 蛉
〈はじめに〉
総括企画は毎年恒例とはいうものの、本誌そのものを総括するのは初めてではないかと思う。インターネットをご利用の読者はご存じかもしれないが、私はウェブマガジンの〈SFオンライン〉誌上で「SFマガジンを読もう」という連載を持っていて、本誌に掲載された全小説作品の紹介と寸評を毎月行っている。本誌と〈SFオンライン〉とは直接の繋がりはないから、いささか言いにくいこともあちらでは遠慮なく書いているつもりである。他誌で批評企画を担当しているそんなライターに自誌の総括をさせるとは、編集長も思い切ったことをするものだと驚いた。これすなわち、〈SFマガジン〉なる雑誌を極力多角的に捉え、妥当な批判は進んで参考にしようという編集部の方針と解釈するので、僭越とは思うが遠慮なく“総括”させていただくこととする。
一九九八年一月号(通巻四百九十九号)から十二月号(通巻五百十号)までに掲載された作品は、連載を除き、全八十七篇。うち海外作品は五十二篇、国内作品は三十五篇(十二月号・神林長平「戦意再考〈前篇〉」を含む)となっている。小説を掲載するSF専門誌が国内に一誌しかない状況を考えると、この比率は妥当なところであろう。海外SFをコンスタントに訳載している雑誌媒体は事実上本誌だけであり、その伝統的使命を負いつつ、一方で専門誌ならでは載せられないであろう国内SF作品発表の場としての役割を担うには、ページがいくらあっても足りないはずである。それを思えば、九八年も〈SFマガジン〉は非常に健闘したと言えるだろう。
望むらくは本誌のよきライバル誌が出現して、発表されるSF作品の絶対数を増やし、日本のSFマーケットをさらに活性化していってほしいものだ。もっとも、国内作品については、大原まり子&岬兄悟編の『SFバカ本』シリーズ(廣済堂文庫)や井上雅彦監修の《異形コレクション》(同じく廣済堂文庫)など、SFおよびSF周辺作品発表の場を創出する動きが作家側から興ってくるという特筆すべき事態も進行している。また、インターネット上でも〈SFオンライン〉が昨年秋から小説掲載をはじめており、SF短篇発表の場は確実に拡大しつつある。こうした状況は本誌にとっても好ましいことであるはずで、「SF短篇って面白い」「この作家がSFも書くのを知った」「知らなかった作家を知った」という、新しいSF読者を獲得する好機ではなかろうか。
(1)特集
さて、九八年は創刊500号を迎え、六百ページを超える特大号が二冊も出たことを思えば掲載作品数は多くて当然なのだが、そうしたイベントを別にして通常号の特集を眺めても、非常にバランスのよいサブジャンル配分となっている。改めて見渡してみると、「ヒューゴー/ネビュラ賞特集」(三月号)、「世界幻想文学大賞&ブラム・ストーカー賞特集」(十一月号)の有名賞特集、「ロバート・A・ハインライン特集」(五月号)と「ラリイ・ニーヴン特集」(七月号)の作家特集、脳SF(四月号)/UFO・SF(六月号)/怪獣SF(九月号)といったテーマ特集、アシモフ誌をフィーチャーした海外SF雑誌特集の第二弾(十月号)と、さまざまなSFファン層にアピールしようという意図が察せられる好企画が続いた。とくに「ロシアSFの現在」(八月号)のような非英語圏SFの特集がひさびさに組まれたことも九八年の大きな収穫で、SF専門誌の面目躍如たるものがあった。
(2)海外作品
グレッグ・イーガン「ワンの絨毯」(一月号)やブルース・スターリング「自転車修理人」(三月号)といったSFとして先鋭的な作品が、海外作品に関してはやや少なかったように思う。ただでさえ難しげな印象を与える海外作品だが、専門誌だからこそ、活きのいい科学的知見やラディカルな社会認識を反映した尖った作品を望む読者も少なくないにちがいない。
限られた紙幅で中堅どころの作品を着実にフォローしている点はさすがである。ダン・シモンズ「ケリー・ダールを探して」(一月号)は、非常に完成度の高い幻想的な名品。スティーヴン・バクスター「コロンビヤード」(五月号)では、長篇とはまたちがったバクスターの渋味が堪能できた。秀逸な設定で植物人の“私探し”を描いたナンシー・クレス「密告者」(十月号)、私小説じみた感傷を一見陳腐な道具立てを用いながらも落ち着いたエンタテインメントに昇華したジャック・マクデヴィット「フォート・マクシー分館にて」(九月号)なども忘れ難い逸品だ。
九八年の本誌の大きな功績は、優れた過去の作品を多く紹介、再録した点であろう。“落ち穂拾い”という批判もあるだろうが、時代を超えた面白さを持つ未訳作品を地道に紹介してゆく意義は大きい。また、過去に一度は紹介された作品でも、新しい読者には事実上入手困難になっているものも多く、スペースが許せば毎月一本ずつ載せてくれたっていいくらいだと私は思っている。ビートルズの曲は、月に一度くらいは否が応でもどこかで耳にするではないか。名作はそうしてさりげなく愛されてゆくのだ。
嬉しい“落ち穂拾い”は、コードウェイナー・スミス「三人、約束の地へ」(一月号)、ポール・アンダースン「迷信」(一月号)、ジョージ・R・R・マーティン「モーゼ合戦」(一月号)、キム・スタンリー・ロビンスン「目覚めのまえに」(四月号)、ロバート・A・ハインライン「月面異状なし」(五月号)、エリザベス・A・リン「月を愛した女」(十一月号)、フリッツ・ライバー「ベルゼン急行」(十一月号)といったところ。ラリイ・ニーヴンのショートショート集《ドラコ亭夜話》(七月号)は、残りの六篇もいつかぜひ訳載してほしいものだ。肩の力を抜いて安心して読めるこのあたりのテイストは、SFというジャンルを楽しみ続けてゆくためにも、SFに馴染みはじめるためにも、存外に重要だと思うのである。再録についてはあえてここでは触れないが、エドモンド・ハミルトン「フェッセンデンの宇宙」(一月号)ってこんな話だったのかと、ようやく胸のつかえが取れた若い読者も多かったと思う。今後も初出年にこだわらず、よい作品を紹介し続けてほしいが、懐古趣味と温故知新とのあいだの微妙な綱渡りには意識的であるべきだろう。
日本ではまだ知名度の低い実力派を紹介するのも本誌の重要な使命のひとつだが、多くの読者には見慣れない作家を掲載するリスクとのトレードオフも悩ましいところであろう。この面で九八年は少しく手薄であったかもしれないが、ジョン・G・マクデイド「地獄の黙示録(ジゴク・ノ・モクシロク)」(十月号)、イアン・R・マクラウド「わが家のサッカーボール」(十二月号)、エスター・M・フリーズナー「すべての誓い」(十二月号)などの印象深い作品が頑張っている。
(3)国内作品
作品のヴァリエーションについては、まずまずバランスがよかったと言えるだろう。また、記念すべき通巻五百号(二月号)で日本SF篇を打ったのは大正解ではなかったかと高く評価したい。これだけの日本SF作家が一冊の雑誌に会するのを目にしたのはひさびさのことであった。あえて一年を通した苦言を呈すれば、作家のヴァリエーションがいまひとつだった点である。たしかに物理的制約は大きいと思うけれども、〈SFマガジン〉にしか載せられないような作品を書きたがっている・書ける作家は、まだまだたくさんいるはずだ。作品が多彩なので毎月読んでいるぶんには目立たないが、個々の作家は個性豊かでも、全体としては橋田壽賀子一家的印象を受けるのは否めないところである。
さて、作品の回顧に移ろう。まさに“〈SFマガジン〉にしか載せられないような作品”の好例が、小林泰三「海を見る人」(二月号)だろう。私は先鋭的なSFやハードSFがすなわちSFらしい作品だという考えは取らないが、これが他誌に載せられるもんなら載せてみやがれってんだと、思わずべらんめえ口調になってしまうほどに本誌の存在意義を再確認した作品だった。本誌読者賞に「ワンの絨毯」とこの作品とが選ばれた事実は興味深い。読者賞に投票くださる本誌のコアな読者の“顔”が見えてくるだろう。
エジプトとタイムマシンというSFファンのツボを心地よく押さえた高野史緒「ラー」(二月号)、知性と魂という古典的テーマをありがちな設定ながら持ち味を生かして読ませた森岡浩之「夜明けのテロリスト」(二月号)、雑に見せつつ丁寧に笑わせた田中啓文「地球最大の決戦 終末怪獣エビラビラ登場」(九月号)、シリーズものの利得に甘えず一作一作を堪能させる職人・朝松健の「ギガントマキア1945」(九月号)、こんな手もあったのかと唸らされた異色のヒロイック・ファンタジー(?)牧野修「翁戦記」(九月号)、しっとりとした巧さが効果的に怖い藤田雅矢「ファントムの左手」(十一月号)などが特筆に値する佳品。シリーズものでは、なんと言っても、神林長平の〈雪風〉が「戦闘復帰」(二月号)し、旧シリーズを深化する形で読み応えのある展開を見せたのが嬉しい。菅浩江の《博物館惑星》シリーズも「ラヴ・ソング」(七月号)でテーマを象徴的に打ち出したハッピーなひと区切りをつけた。
質のよいショートショートを安定的に淡々と繰り出すものだから、かえって損をしているように見えるのが草上仁だが、「五百光年」(二月号)ではSFファンのノスタルジーをくすぐる、ひと味ちがった貫禄を見せた。SFを呼吸して育った少年少女の琴線に触れる古きよきバカ話に涙した人も多いだろう。
連載では、本誌には珍しいお色気アクションものの設定で度胆を抜いてくれた「エリコ」(谷甲州)が完結。表面的には“ナンパ”な新境地を開拓した意欲作だが、バイオテクノロジーとセックスとを軸に据えた近未来社会の切り取りかたに谷甲州の骨太な本領が垣間見えた。遺伝子変換プロジェクトの扱いに、ややあっけない印象が残ったのは惜しまれる。新たにはじまった「星砂、果つる汀に」(山田正紀)は、息をもつかせぬスピード感と次々と繰り出されるアイディアの奔流が、心地よい“SFの眩暈”を味わわせてくれる。これも本誌ならではの連載と言えよう。
通巻500号の“お祭り”が目立ちはしているけれども、むしろ通常号がいっそう充実した実りの多い年であったと思う。
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