『分岐点』 Branch Point (Ace, 1996)
   モナ・クリー Mona Clee



 のっけから私事になるけれども、私が生まれたのは一九六二年十一月三十日である。その一か月前、世界は全面核戦争の一歩手前だった。かろうじて難を逃れたその場所に出てきてみると、その一か月後、原子力で動く可愛らしいヒーローが、キュッキュッと足音も軽やかにブラウン管の向こうからやってきた。むろん、私がこんなことを憶えているはずもないが、長じてのち周囲の人に訊いてみても世界が滅びかかった憶えなどないというのだ。キューバ危機という言葉も知らぬ不眠症の母親が憶えているのは、私を妊娠中にサリドマイドとかいう薬を何度か飲んだことくらいである。たまにじっと手を見たりするのは啄木ばかりではない。ともあれ、いずこから降りかかる火の粉にしてもみな熱いことだけはたしかで、誰もが身近な火の粉を振り払いながら歴史を作る。あちちち。
 それはさておき、この作品では、キューバ危機が順調にエスカレートして、あっさり米ソ全面核戦争が勃発、続く核の冬のため、人類はほぼ絶滅してしまう。が、カリフォルニア州に極秘裏に建設されていた“掩蔽壕(ルビ:バンカー)”と呼ばれる核シェルターを兼ねた研究施設には、アメリカの選り抜きの科学者たちと、故意か偶然か視察に訪れていたソ連の科学者数名が生き残っていた。西暦二○六二年、気息奄々でタイムマシンを完成させた彼らは、百年前の核戦争勃発を阻止すべく、高度な専門教育を授けた三人の若者、アナ、ジェフリー、ダリアを過去へと送り込む。
 突如、大統領官邸のJFKと弟ロバートの眼前に出現したアナたちは、核戦争勃発のプロセスを示す記録を次々とドラえもんのように繰り出し、空爆強硬派の主張を断固退けるよう説得に当たる。極秘のはずのバンカーから来たと主張する未来の若者たちに半信半疑のケネディ兄弟だったが、彼らの言うとおりに展開してゆく事態に驚いて忠告を容れ、核戦争はからくも回避される。
 いやにあっさりキューバ危機を乗り切ってしまうので拍子抜けしてしまうが、案のじょう、その後も第二、第三の核戦争危機が訪れるという展開になってゆく。これは実際の歴史どおりだなと思って読んでいると、思わぬところで話が正史から外れてゆくのだ。そのたびにアナたちが少し過去へ戻っては、よっこらしょっと歴史の転轍機を切り換えるのである。すなわち、彼らが世界を救うたびに、われわれの知っている正史が作られてゆくわけで、倒叙形式のミステリにも似た面白さが醸し出されてくるのが心地よい。
 考えてみれば、タイムマシンを使ったとて、ひとりやふたりの歴史改変工作にどのくらいの効果があるものかは疑問である。たとえば、最近の日本の首相が二、三人いなかったことになったとしても大勢に影響ないような気がする。したがって、タイムトラベラーたちは、個人の工作で歴史を大きく変えられる、効果的な“分岐点(ルビ:ブランチ・ポイント)”の発見に労力のほとんどを費やすことになるはずだ。そのあたりを武骨なまでに丁寧に描いているのが妙に新鮮である。
 ハードな時間SFを期待する読者は、はっきり言って落胆することだろう。歴史を変えるたびに多元世界が生成されてゆくという、きわめてありきたりな解釈を故意に押し通している作品だからだ。本書は時間の論理ゲームを楽しむものではなく、現代史のどこで蝶が羽ばたけばその後ハリケーンがやってくるか、また、回避されるかを著者と共に考え、著者が提示する意外な“分岐点”ににやりとするための作品なのである。六八年の米大統領選で、ロバート・ケネディのみならず、ニクソンとハンフリーも暗殺されていたら――なんてことは、日本人はあまり誰も考えたりしないのではなかろうか。
 著者のモナ・クリーについては新人のため情報が少ないが、この人もおなじみの老舗SF創作講座・クラリオン・ワークショップ(八三年)の出である。才能ある苦学生をクラリオンに送り込むためのスーザン・ペトリィ奨学金を射止めて修行した苦労人で、執筆歴は長いらしく、TNGのエピソードの原作にひょっこり名を連ねたりもしている。いささかお行儀がよすぎる本書の作風は気になるが、主人公アナの人物造形や、構成の妙と語り口には作家としての基礎体力がうかがえ、今後どう出てくるかが楽しみな人だ。

[SFマガジン・96年6月号]




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