「舞台も花のヴェロナにて、/いずれ劣らぬ名門の/両家にからむ宿怨を/今また新たに不祥沙汰。」(中野好夫・訳)――と、『ロミオとジュリエット』の序詞がジョン・ギールグッドの名調子で聞こえてきそうな出だしなのである。キャピュレット家とモンタギュー家の若衆が街頭で鞘当てする場面を、お約束としてパロっているのだ。が、舞台は未来の銀河系、宿怨からむのは宇宙を駆ける二大勢力・スコーリアとトレイダー、許されぬ愛と運命に翻弄されるのは、それぞれの皇位継承権を持つ男女ときたもんだ。そう、今回ご紹介するのは、絵に描いたようなスペオペであります。
さて、主役格はジュリエット役のソースコニー、銀河狭しと超光速(ルビ:FTL)艇を駆る現役エリート軍人だ。やがては皇位を継承すべき最上位階級(ルビ:プライマリー)にある。外見は若々しい美女ながら、もうすぐ四十八歳の熟女というところがまたかっこいい。しかも彼女は、テレパシーの受発信能力を持つ一族の中でもとりわけ恵まれた素質を持つうえに、未来生体工学の粋を神経系に埋め込まれた情報サイボーグでもあるのだ。
軍事力において優る冷酷なトレイダーにスコーリアが拮抗しえているのは、ひとえに彼女の兄・父・伯母ら三人の超A級テレパスが支える精神感応空間(ルビ:サイバースペース) psiberspace によって、超光速情報伝達ができるからである。両者に対してあくまで中立を保つ第三の勢力“連合”も、スコーリアの力に守られているに等しい。対立する両陣営がFTL航宙を実現している状況にあっては、いにしえの“前線”という概念は意味を失う。まさにいつでもどこでもが戦場の情報戦となるわけで、姫君軍人であるソースコニーは、電脳空間と精神感応空間、通常空間と超光速空間を自在に往還する“情報と実体の戦士”でなくてはならない。ボーダーレス化した現代情報社会そのものの姿とも言えよう。
一方、ロミオ役のジェイブリオルが属するトレイダー陣営の人々は、テレパシーの弱い受信能力しかなく、それも意識的に制御できる者は少ない。因果なことに、彼らは双方向テレパスが出す苦痛の精神波を無意識に快と受け取る精神構造を持っているため、テレパスたちを“供給者”(ルビ:プロバイダー)と呼んで侍らせては快感を搾取するのであった(えー、大手電信電話会社の方、他意はありません、他意は)。このジェイブリオル、じつは嫡出の皇位継承者ではなく、プロバイダーの血を受けた強力なテレパスなのである。その事実をひた隠しにするため、絶対権力者の親父に籠の鳥同然の扱いを受けてきたのだ。この童貞の若様とソースコニーが、ふとしたことから精神融合の一夜を過ごして恋に落ちてしまう。この妖しくもおいしい設定、邦訳されたとしたら、たちまちお耽美な同人誌が有明の紙価を高からしむること請け合いである。
なにやら、なんでもありのロマンス駄菓子SFのように思われるかもしれないが、どっこい、ディテールを扱う手つきは本格ハードSFのものである。それも道理で、本書が処女作となるキャスリーン・アサロは、学術誌に相対論の論文を寄せたりもしている本職の物理学者[註1]なのだ。物体に虚数の質量を与え光速を突破する“反転(ルビ:インヴァージョン)”エンジン[註2]を搭載した宇宙艇やミサイルが、光速の壁の内外をめまぐるしく出入りしながら展開する戦闘シーンのリアリティーはすごい。日常的になったり反直感的になったりする物理量の扱いをくるくる切り替えながらついてゆかねばならないため、そのややこしさが独特のスピード感を盛り上げている。電脳空間からゲイトウェイする(!)精神感応空間の描写なども、サイバーパンクの栄養をわがものにした手になるものだ。
やや食い足りない終わりかたをするが、これは当然、重層的なタイトルからも、プライマリーに続いてセカンダリーがあるものと考えたほうがいいだろう。ハードSFの薬味がピリリと利いた大銀河恋愛浪漫本格空想科學冒険物語――この人は売れますよ!
[SFマガジン・96年11月号]
[ホームページ版註釈]
[註1]
その後の情報によると、博士号は化学物理で取っているとのこと。バレエ(踊るほうね)もやるんだそうである。
[註2]正しくは、“速度”に虚数のファクターを与えるという表現になっている。運動物体の速度を複素数として扱えば、数学的特異点としての光速の壁は複素空間内では“棒”として表現できる(のだそうだ)。車でドライブの最中、眼前に道の幅と同じ太さの巨木が立ちはだかっていると思ってほしい。この木は光速の特異点(light speed singularity)そのものなので突っ込むわけにはいかないが(加速に無限大のエネルギーが必要となる)、できるだけ木に近づいたところでハンドルを切り、未舗装のオフロードにさまよい出て、木の向こう側で再び元の道路に戻ることはできる。むろん、木の向こう側の物体は、もう一度オフロードを通らないと光速以下では運動できない。この“オフロードにさまよい出る”という操作が、アサロによる“インヴァージョン”の次元を落としたアナロジーである。要するに、数学的には可能な想定を強引に物理的にも可能だとしているわけで(だいたい、どうやって速度に虚数部を与えるのだ?)、そのためのSF的ガジェットが“インヴァージョン・エンジン”なのだ。
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