『誓いと奇跡』 Oaths and Miracles (Forge, 1996)
   ナンシー・クレス Nancy Kress



 それぞれ高い評価を受けた Beggars in Spain (1993)、Beggars and Choosers (1994) に続き、三部作のトリを取る Beggars Ride を昨年秋に上梓して順風満帆のナンシー・クレス、SF以外の腕前もなかなかどうして大したもの。今回ご紹介するのは、FBI捜査官がバイオヴェンチャー企業の犯罪を追うハイテクスリラーである。屋台骨となるバイオテクノロジーには実現されていないものもあるが、どこまで飛躍すればSFかを知悉する作者の手になるだけあって、かえっていつ現実になってもおかしくない説得力を持っている。SF作家だから書けるノンSFとでも言うべきか。FBI捜査官は超常現象ばかり追っているわけではない。
 事件はラス・ヴェガスでのありふれた殺人からはじまる。マフィアの三下と恋仲だったショーガールのジェファースンが、同僚キャシディの眼前で車に跳ねられ死亡した。恋人がなんらかの理由で“始末”され身に危険を感じたジェファースンは、故郷へ逃げようとキャシディを伴って空港へゆく途中であった。キャシディに事情聴取をしたのが、たまたま雑用でヴェガスに来ていたFBIの組織犯罪担当捜査官・キャヴァノー。ことあるごとに奇妙なイラストを描いては別れた妻にファックスで送りつけ迷惑がられているこの“秋竜山”捜査官、捜査現場の経験はまだ浅いものの、厭世的な鎧の下に独特の繊細さを秘めたなかなかの切れ者なのだ。キャヴァノーはキャシディの証言に釈然としないものを感じるが、所詮は通りすがりの事件、上司の呼び出しを食らって慌ただしくワシントンへ舞い戻る。
 持ち場へ帰ったキャヴァノーを待っていたのは、新進気鋭の微生物学者・コジンスキーの殺害事件。通り魔の犯行を装ってはいるが、妻ジュディの証言から浮かび上がったのは、マフィアとの癒着疑惑でFBIが捜査を進めていた謎のバイオヴェンチャー・ヴェリコ社であった。コジンスキーは殺される直前に同社から破格の報酬で誘いを受けており、そのことをめぐって夫婦のあいだで諍いがあったのだ。
 にわか仕込みのハイテク知識でコジンスキーの研究内容をたどるキャヴァノーをよそに、ジュディは夫の死の真相を究明すべく単身調査に乗り出す。ジュディの動きを監視するFBIだったが、護衛役の捜査官を何者かに射殺され、彼女を見失ってしまう。やがて、ジュディとキャヴァノーがそれぞれに嗅き当てたのは、閉鎖的なコミュニティーを構え宗教生活に明け暮れる“聖なる契りの戦士”という集団だった。宗教のヴェールの向こうで、いったいなにが行なわれているのか――? ヴェリコ社との関係は?
 頻繁なスイッチバックで一見関連のない複数人物の動きを追い、要所要所で断片を関連づけながら緊張感を盛り上げてゆくオーソドックスな構成だ。ややスピード感には劣るものの、クーンツばりのページターナーに仕上がっている。キャヴァノーお得意のイラストで、さりげなくバイオの専門知識を図解してしまうところなどはご愛嬌である。この手のスリラーには物語をひっかき回す擾乱因子が必ず出てくるもので、本書では、敬虔な妻に愛想を尽かされ“聖なる契りの戦士”の村を追われたボッツというアル中男がその役回りだ。この男、根はいいやつなのだが少々血のめぐりが悪く、妻子を狂信的宗教集団から奪還しようとめちゃくちゃをやっては、読者を混乱させると同時に伏線をばら撒いて歩くのである。あえて瑕瑾を指摘すれば、彼の存在自体に作為が見えすぎる点だろう。
 コジンスキーの研究内容と密接な関わりがある皮肉な結末には、テクノロジーというものに対する作者の透徹した認識が光っている。翻訳されたとしたらスリラーの棚に並ぶだろうから、SF作家クレスを知らないスリラーファンが、「この結末は単なるSFではない」などと失礼なことを言いやしないか心配な佳作である。

[SFマガジン・97年4月号]




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