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緑の少女(上・下)
(エイミー・トムスン著、田中一江訳、ハヤカワ文庫SF、1996年、各660円、ISBN4-15-011173-1, -011174-X)

 異星の熱帯雨林で遭難した女性探査隊員ジュナは、カエルのような姿をしたエイリアン、テンドゥに救われる。針状の器官を用いて“リンク”することにより生物の身体を自在に補修・改造できる彼らは、瀕死のジュナに彼ら流の治療を施し、その姿を彼らに近いものに変えてしまったのだ。母船と連絡は取れたものの、やむを得ず置き去りにされたジュナは、異形の姿になったわが身とエイリアンの奇妙な文化にとまどいながらも、生物学者としての使命感で次第にエイリアン文化に溶けこんでゆく。知的生命が存在することが判明したからには、地球の調査船が必ず再びやってくる。人類はすでにいくつかの異星文明と接触していたが、予期せぬ不幸な結果を招いてもいた。テンドゥと人類のコンタクトの成否は、いまや図らずも最初のコンタクティーとなったジュナの知性と適応能力とにかかっているのだ……。
 ファースト・コンタクトものというよりは、エコロジー・テーマの冒険物語と思って読んだほうがいいだろう。エイリアンたちの基本的思考パターンはあまりにも人類に近すぎて、姿形はちがえど、いっそ地球の見慣れぬ部族だと思ってしまってもいいくらいである。SF読みが言う“異質の文明”というのは、この程度の異質を言うのではない。そのくらいに構えて読んでゆくと、文化人類学SFとしての面白さが見えてくる。『ヴァーチャル・ガール』でもそうなのだが、この作家の作品には、大人のために書かれたジュヴナイルとでもいうべき風情がそこはかとなく漂っていて、少々のディテールの不備は許せてしまう語りのうまさがある。所与の自然環境を人工のバイオスフィアのように管理する思想が構造的に組み込まれているテンドゥ文明を、ジュナが体験を通じて解き明かしてゆく過程が読みどころ。「こんな生物がどうやって進化して、いかにしてこんな文明を持つに到ったのか」などと問うてはいけないのだ。これは一種の寓話なのである。
 読んでいる途中で、適切な周波数帯にチューニングできれば、とても楽しめる作品である。どうもトムスンという人は、自分が読みどころにしたいテーマ周辺では十二分に緻密な設定を展開できるわりには、それ以外のディテールが水準以下におろそかになってしまう性癖の持ち主らしい。ちょっともったいない。たとえば、探査隊員ひとりひとりが持っている音声認識コンピュータに、「コンピュータ」と呼びかけてから命令するのはあんまりだと思う。声紋や発音パターンを認識しているのなら、死亡した隊員のコンピュータをジュナが使えるのはおかしいし、誰もが「コンピュータ」と呼びかけるだけで命令だと認識するのであれば、狭い宇宙船のキャビンで複数人が同時に自分のコンピュータを使うとえらいことになる。こういう場合、最も単純かつ合理的な方法は、自分のコンピュータに固有名詞を与えることなのだ。また、たしかに樹上生活をするカエルには親指が他の四指に対向してついていて、知性を持てば道具を使える可能性があるものもいるが、“腕渡り”運動を日常的に行うのであれば、地球のブラキエイター(腕渡りをする霊長類)のように親指が対向していないほうが生存価があるはずだ。さらに、地上数十メートルで生活するようなカエルであれば、地球のジャワトビガエルのように、巨大な水掻きを広げてムササビのように滑空するという進化の方向もあるだろう。必然性はないにしても、少なくともそういう種族を登場させれば、より説得力が増すだろう。
 おっと、私がカエルにうるさいものだから(笑)、つい蘊蓄を傾けてしまったが、こんなふうに突っ込んではいけない話なのである。


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