なぜ根付かず馴染まないのか



 戦争が敗戦で終わって70年の今。戦後、外国の宣教師によって始まった開拓伝道は、8000もの教会は建ち上げる成果を上げましたが、成長している元気な教会もありはするけれど、依然として低迷を続けているのが日本のキリスト教界です。

 この日本において、キリスト教の信仰が、
 なぜ、社会生活や暮らしの中に根付かず馴染まないのでしょうか。
 それが正直なところ実感です。

 言い方を変えれば、
 ファンダメンタルなライフスタイルとしてのキリスト教の信仰がその位置を暮らしの中に社会生活の中に経済活動の中に占めないのかというふうに言い換えてみましょう。

 基礎的な生活様式に、自分では少しも意識しないが行動や考えに影響を及ぼしている、気づかずとも根付いている信仰というものが日本人の心の中に内在しています。

 「・神道・しんとう・」が根強くその位置を占めていると考えられます。
 歴史を見れば、国家神道として位置付けられた時代もあります。

 明治期は、欧米の思想や技術が見事に神道社会に溶け込みインフラ整備が進められた時代です。
 現代はどうでしょうか。

 欧米では、ファンダメンタルなライフスタイルはキリスト教的価値観です。

 日本においてキリスト教が根付くには、世代を超えて受け継がれていく信仰を育てる土壌が育っていなければなりません。
 土壌が育っていなければ根付くはずはありません。

 日本においてキリスト教が広まらないのは、豊かな土壌を育てて来たか否かの問題でしょう。

 一方的な見方かもしれませんが、大きく影響していることは確かです。
 どうであれキリスト教に改宗するとなれば、

「 神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。
独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。
神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、
御子によって世が救われるためである。」

(新約聖書・ヨハネによる福音書・3章16~17節・新共同訳聖書)

 この記述は聖書の言葉ですが、その意味するところをよくよく噛みしめなけばなりません。
 「神道」とどう関係あるの、視点がずれてますよと言われそうですが、神道とは真逆であることは確かでしょう。
 日本人ほど大きく舵をきらなければ、キリスト教へ改宗することは容易いなことではないと思われます。


北白川 スー

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Wrote up on October 13, 2021.