宣教の切り口・続日本の場合
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後進国や貧困に苦しむ地域社会にたいしては、
殖産振興と福音伝道とが、
地域の開発と教会の開拓とが互いに深く結びつくことによって、
互いに成長している例は世界で多く見られます。
信仰は、経済的な合理主義を生み出すことを忘れてはならない。
新たに身に着けた職業は、主が与えし天職なのである。
賜物の他の何物でもない。
地域社会の産業を盛んにすることによって、
生産性は高まり個人の財産も増えます。
貧しさから抜け出すことさえ可能なのです。
では、日本ではどうだろうか。
首都圏への一極集中、
都市部と地方との経済格差、
地方都市の高齢化と人口減少による過疎化・・等々、
さまざまに問題を抱えている社会ではありますが、
高度に経済は発展した近代国家に違いはありません。
地域開発と宣教・教会開拓とは相互の関係性にあるとするならば。
キリスト教的に言えば、
人生のすべての領域において、
身体的にも、精神的にも、感性的にも、
人としての霊的な領域までも影響を与えるのが信仰だとすれば。
信仰は、人の心を変革します。
キリストへの信仰が基礎となって、支えとなって、
禁欲的ではありますが、
信仰は、勤勉、質素、節約などを生み出します。
それらの効果によって、
地域社会は経済的にも潤ってくるのです。
大手チェーンや大手企業は、
過疎地へは、投資に見合った利潤が得られないので、
過疎地へ投資する意欲はありません。
教会が、クリスチャンの団体が、
現代社会を容認するのではなく、
少子高齢化の地方都市や過疎地にたいして、
若い人材を送り込み、殖産振興へと向かわせるなら・・・。
首都圏から地方への道筋をつけるなら・・・。
日本の社会構造は根本的に変わります。
このようなことを考えてみたのだが、
どうだろう、日本の福音化への近道にはならないだろうか。
日本の救いにはならないだろうか。
信仰に熱心であるということは、
禁欲的で非現世的に向かわせますが、
勤勉、節約、質素という側面は、
生産活動においては、高い営利性を生み出すのです。
決して、信仰は営利を拒絶するものではありません。
「神は彼らを祝福して言われた。
・・産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。
海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ。・・」
(旧約聖書・創世記・1章28節・新共同訳聖書)
北白川 スー
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Wrote up on March 16, 2018.