 
人間の持つかたくなさが突き崩されるとき
 
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なにやこれやと、人に文句を言う・・・・。
 自分の意にそぐわないため、不平や、不満を口に出して言う。
 自分の意思を正しく伝えられないときのもどかしさ・・・もあることだろう。
 文句を聞かされた人も不愉快になるはずだ。
 ところが、文句を言う当の本人といえば、
 まったく気づいてはいない、自分の愚かさを。
 ときには、あわれささえただよわせている。
 
 バイブル・聖書は、次のように語っている。
 「 あなたがたがさばくとおりに、あなたがたもさばかれ、
 あなたがたが量るとおりに、あなたがたも量られるからです。」
 (新約聖書・マタイによる福音書・7章2節・新改訳聖書)
 
 人間の持つ性質を、ものの見事に言いあらわしています・・。
 人を裁くことによって自分も裁かれるのです。
 人は互いに裁きあい傷つく・・・・。
 しかし、困ったことに裁いているとは気づいてはいないのです。
 それが現実の人間の姿なのです。
 人はなかなか気づかない、
 その原因は、
 人が生まれながらに持っている”罪深さ”が原因だからです。
 人間が生まれながらに持っている罪深さは、
 人が持っている罪深さを認めようとしない原因でもあるからです。
 
 聖書・バイブルは、人を裁くことを罪深さのあらわれと見ます。
 本来、神ご自身が裁き主だからです。
 私たち人間は、人を裁くことは許されてはいません。
 その罪深さが、
 キリストの福音を・神の教えを・神を、
 聞いたり理解したりするうえで、
 いちばんの障害に、妨げになるのです。
 しかし、キリストの福音を耳にしたとき、
 そして、キリストの福音を受け入れたとき、
 イエス・キリストの十字架の死による贖いのわざ(あがないのわざ)という出来事の
 内容と意味とを理解したとき。
 その人の罪深さは音をたてて崩れ落ちるのです。
 人に不平や不満を言わなくなるのですから。
 
 「 互いに親切にし、憐れみの心で接し、
 神がキリストによってあなたがたを赦してくださったように、
 赦し合いなさい。」
 (新約聖書・エペソの信徒への手紙・4章32節・新共同訳聖書)
 
 人を裁くことは人間のもっとも罪深い性質なのかもしれません。
 北白川 スー
 
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Wrote up on August 19, 2011.