日本がキリスト教国になったら
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日本がキリスト教国に成るということは、
日本人の持つ精神性の支えが、
心の支えがイエス・キリストであり、
聖書・バイブルの言葉が、
神の言葉として承認され受け入れられていることを意味します。
当然のこととして、日本がキリスト教国に成れば、
聖書・バイブルが指し示す価値観が、
経済や教育に、日々の生活習慣にも影響を与えることに成るでしょう。
しかしながら、現実の日本においては、あり得ないことなのです。
お隣の韓国では、3人に1人がクリスチャンと言われています。
中国となれば、1億人のクリスチャンが信仰を持っていると言われています。
中国政府公認の教会だけではなく、
「家の教会」と言われる非合法の教会さえ存在しています。
当局が干渉、迫害、弾圧を加えても、その数は増え続けています。
さて、日本では、カトリックやプロテスタントの教会において、
毎日曜日に行われる礼拝に集う信徒の数は、
人口比にして1パーセントたらず。
100人に1人が、クリスチャンと言うことになります。
ギャラップの統計調査によれば、
教会や教派や教団に属していない、自称クリスチャンや、
かつては教会に属してはいたが、
何らかの理由で教会から離れてしまったクリスチャンたちや、
キリスト教的と言われる団体などの構成員を含めて、
その数6パーセントとなっています。
キリスト教的な価値観を、自分では意識しませんが、
その人の行動や考えや言葉に影響を及ぼしているのでしょう。
6パーセントは、日本において潜在的な数字ではありますが、
教会の働きかけによる組織化が進んでいないことを意味しているのかもしれません。
世界史においては、
ある特定の社会において、キリスト教が拡大するということは、
その社会が持っている伝統的な宗教や、
その社会が守ってきた伝統的な経済の仕組みから抜け出すことを意味しています。
その社会が伝統的に守ってきた、
宗教上の祭りごと、祭っていたもろもろに対してさえ、
疑問視することになります。
暮らし方にさえ、
聖書・バイブルの価値観が大きく影響を与えることになります。
新しい形の生活スタイルが生まれることになるのでしょう。
「主の名を呼び求める者はだれでも救われる」のです。
ところで、信じたことのない方を、どうして呼び求められよう。
聞いたことのない方を、どうして信じられよう。
また、宣べ伝える人がなければ、どうして聞くことができよう。」
(新約聖書・ローマの信徒への手紙・10章13~14節・新共同訳聖書)
北白川 スー
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Wrote up on July 30, 2019.