信仰は人生を変える



信仰というものを、自分自身を変えるものではなく、
自分の必要を満たすものとして位置付けているなら、
自分の正当性を築くために信仰を用いようとするなら、
その信仰は矛盾と不安と苦しみをもたらすものです。

キリストへの信仰とは、
キリストの全人格と、その業・わざを受け入れ、
キリストの言葉に聞き従い・・・、
キリストと共に歩むことです。

自分の心に、自分の人生にキリストを迎えるなら、

信仰は、その人の人生を根本から変革するものなのです。

「 だから、キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。
古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた。」

(新約聖書・コリントの信徒への第2の手紙・5章17節・新共同訳聖書)

しかしながら、
人間というものは、自己に対する否定は受け入れがたいものです。
自己に対する正当性こそ求めるものです。
自分の生き方に対する肯定的な言葉や態度を求めるものです。

しかし、聖書・バイブルは、

「 それは、次のように書いてあるとおりです。
「義人はいない。ひとりもいない。
悟りのある人はいない。神を求める人はいない。
すべての人が迷い出て、みな、ともに無益な者となった。
善を行なう人はいない。ひとりもいない。」

(新約聖書・ローマの信徒への手紙・3章10~12節・新改訳聖書)

正しい人は、ひとりもいない・・・と。
すべての人は迷っている・・・・と。
すべての人は迷いの中にあると。

イエス・キリストの十字架の死による贖いのわざ(あがないのわざ)という出来事は、
まぎれもなく、
ひとりの人がすべての人のために死んだという出来事です。

私は正しい、罪など犯していないと言うのなら、
キリストの十字架による死は、意味を失ってしまうのです。


北白川 スー

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Wrote up on September 25, 2019.