自分にとっての福音
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迷いや、不安や、苦しみや、痛みや・・・・・、
それが苦難の時と感じるとき・・・。
何かに救いを求めるものです。
それらからの救いが、自分にとっての福音であることを求めるものです・・・。
それが人間としてごく当然な結果なのです。
その救いこそが、自分にとって、自分の思う通りになることが、
自分の望むような喜ばしい結果を導くと考えているから。
しかし聖書は、そのようには語りません。
悔い改めよと迫ります・・・・。
自分の考えが間違っていたことに気づけと迫るのです。
「悔い改めよ。天の国は近づいた。」
(新約聖書・マタイによる福音書・4章17節・口語訳聖書)
しかし人は、それとは気づかずに見過ごしてしまう。
気づいた者は、おどろきをもって大きく方向を変えることができるのだが。
私たちの人生のある時期・・・・、
自分がどのように生きるかを決めなければならない瞬間が必ずやってきます。
そしてそれは、迷いや不安や苦しみや痛みというものと共にやって来るものなのです。
だから、
自分にとって、喜ばしい結果を導くものを願いもするし求めもするのです。
悔い改めよと迫るからと言って、
キリストの福音は、決して否定でもなく非難でもありません。
私たちの人生には多くの問題が待ちかまえています。
人は、それを運命だと言ったりします。
しかし聖書は、そうとは言いません。
問題を招くのは運命ではありません、
それは、あなた自身なのです。
あなた自身のやり方やものの考え方なのです。
私たち人間の人生は、
過去も現在も未来もすべて、
この世界を創造された創造主なる神の手の中にあるのです。
なぜでしょうか。
神はすべての支配権を完全に握っておられます。
それは、この世界を造られた、私たち人間をも造られた創造主だからです。
そして、ご自身の意志・御心・御旨が行われるようにと願っておられるのです。
いや、忍耐強く待っておられるのです。
「 何事でも神のみこころにかなう願いをするなら、
神はその願いを聞いてくださるということ、
これこそ神に対する私たちの確信です。」
(新約聖書・ヨハネの第1の手紙・5章14節・新改訳聖書)
イエス・キリストへの信仰は、
イエス・キリストにたいする深い個人的な信頼です。
そして、人生を支え土台となるものなのです。
だから、ピンチはチャンスだと言われるのです。
「キリストの苦しみが満ちあふれてわたしたちにも及んでいるのと同じように、
わたしたちの受ける慰めもキリストによって満ちあふれているからです。」
(新約聖書・コリントの信徒への第2の手紙・1章5節・新共同訳聖書)
はずかしめられ、ののしられ、ムチ打たれ、
十字架刑による死にまで従われたイエス・キリスト・・・・。
そして死人のうちから復活されたイエス・キリスト・・・・・。
いつの日か、再び、栄光とともに戻ってこられるイエス・キリスト。
北白川 スー
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Wrote up on June 12, 2009.