信仰は人の器を大きくする



えっ・・それは違うでしょ・・・・と言われそうです。
その逆でしょ・・・・・。

信仰を持てば、人は、狭く偏ったものになると、
当然にして、器も小さくなる・・・・。
極端に言えば、信仰は人を盲目にさせると。

聖書・バイブルには、次のような記述があります。

「・・・・霊の結ぶ実は愛であり、
喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制です。・・・・」

(新約聖書・ガラテヤの信徒への手紙・5章22~23節・新共同訳聖書)

現代の私たちにとって乏しいものばかりです。
痛みと混乱に満ちた現代日本において、
欲してやまないものばかりです。

聖書によれば、
信仰を持てば狭く偏ったものになるどころか、
実に器の大きな人格を手にすることができるのです。

日本において、未信者の人がクリスチャンを見る目は、
聖書の記述に反して、
嘲笑的な目で見ているはずです。
・・・信仰を持っておられて・・・・。
バカにしていないにしても、
クリスチャンは器の小さな人だと・・・・。

言い過ぎかもしれませんが、
イエス・キリストについての知識の無い人の見方というものでしょう。

日本のクリスチャンに問います。
イエス・キリストは、なぜに十字架に死んだのですか。
私たちの罪の性質から解き放つために、
罪から解放するために、
イエスは十字架につけられたのではないのですか。
私たちの罪科を償うために・・・・。

「わたしたちは洗礼によってキリストと共に葬られ、
その死にあずかるものとなりました。
それは、キリストが御父の栄光によって死者の中から復活させられたように、
わたしたちも新しい命に生きるためなのです。」
「わたしたちの古い自分がキリストと共に十字架につけられたのは、
罪に支配された体が滅ぼされ、
もはや罪の奴隷にならないためであると知っています。」

(新約聖書・ローマの信徒への手紙・6章4・6節・新共同訳聖書)

イエス・キリストを信じて洗礼を受けた者は、
生まれ変わったのです。
英語で、born again.と表します。
新たに生まれる・・・という意味です。
暮らしのすべての領域は、変化をもたらします。
すべてが新しくされるのです。

「イエスは答えて言われた。
はっきり言っておく。
人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない。」
「肉から生まれたものは肉である。霊から生まれたものは霊である。」

(新約聖書・ヨハネによる福音書・3章3・6節・新共同訳聖書)

世俗の必要にこだわる必要はありません。
目先を変えようではないですか。
父なる神は、
私たちが必要とするものは、すべて知っておられます。

自分の義を追い求める必要などありません。
主イエスが求めておられるのは何でしょうか、
すべての人たちが救われることです・・・。
何のために、主イエスは十字架に死なれたのでしょうか。

「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。
そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。」

(新約聖書・マタイによる福音書・6章33節・新共同訳聖書)

「わたしたちは洗礼によってキリストと共に葬られ、
その死にあずかるものとなりました。
それは、キリストが御父の栄光によって死者の中から復活させられたように、
わたしたちも新しい命に生きるためなのです。」

(新約聖書・ローマの信徒への手紙・6章4節・新共同訳聖書)


北白川 スー

関連記事・「キリストへの信仰」

表紙にもどります。

アーカイブスへ。


http://web.kyoto-inet.or.jp/people/s-ktsrkw/
su-kitashirakawa Official Website
Wrote up on January 25, 2019.