福音って何ですか



福音って何でしょうか。
 ”福音”って何なのでしょうか、”良き知らせ”とも言われ、
 ”ゴスペル”とも言われる福音とは、いったい何なのでしょうか。

キリスト教の教会の毎日曜日におこなわれる礼拝に、
また、さまざまな教会の行事に集まってくるクリスチャンたちは、
そもそも教会に来るようになった、きっかけのようなものが、
最初、それが何なのか分からず、
キリスト教の教会に引き寄せられたり、惹きつけられたわけですが、

本当の家族よりもアットホームな雰囲気の教会・・・。
現実の暮らしとは、ひと味違ったものがそこにあります。
キリスト教の教会に来れば、自分の考え方ややり方、
生き方にたいして肯定的な励ましの言葉が得られると思って・・・・。
自分の居場所が見つかったと思って・・・

しかし、それ自体が決して福音ではありません。
福音とは、まぎれもなく、
イエス・キリストが、罪人として十字架にかけられ処刑された出来事なのです。

すべての人の罪をその身に負い、
その罪を、自らの命を罪の代価として贖った(あがなった)という出来事なのです。

この、ひとりの人がすべての人のために死んだという出来事にこそ、
福音そのものであり、大事な秘密が隠されているのです。

なぜ、私たちに代わってイエスは十字架刑により死ななければならなかったのでしょうか。
イエス・キリストは、神のひとり子・・神そのものなのに・・・・。
この世界を造られた神が、なぜ私たちに代わって死ななければならなかったのでしょうか。

神の目から見て、私たち人間は死ななければならないほど罪深い存在なのだということなのです。
救い主イエスがこの世界に来られたということは、
この世界は、神の目からみて堕落していることをあらわしています。

個人的な救いが必要な社会だから救い主が必要なのではありません。

すべての人が、逃げることも救われることもできない状態でなければ
救い主イエスがこの世界に来る必要などないのですから。

私たち人間を救うはずの、メシア・救い主なのに、なぜ、
なぜ、イエスは十字架刑により死ななければならなかったのでしょうか。

それは、この世界を造られた神による裁きが、
イエスの上に下されたからなのです。
つまり有罪として罰せられたのです。
私たちに代わって・・・・・・・。

罪深い私たちは、創造主なる神によって罰せられなければならないのです。
私たち人間は、なぜ罪深いのでしょうか。
私は罪など犯してはいません・・・・と言う人も多くいます。

作品は作者に栄光を帰すものです。
この世界を造られた神の作品である最初の人間アダムが、
エデンの園で、作者である創造主なる神の命令に背いてからというもの、
それに続く人類は、ことごとく、
だれひとりの例外もなく、
罪深い存在として、生まれながらに罪深い性質を負って生まれてくることになったのです。

神の命令に対する背きには裁きが待っています。

やがて来る、必ず来るこの世界の終わりのとき、
神の裁きが、いま生きている者、かつて生きていた者すべてに、
神の怒りの裁きが下されるのです。
その怒りの裁きから救われるためにも、
私たちに代わってその命をささげてくださった、
イエス・キリストの
十字架の死による贖いの業(あがないのわざ)という出来事を信じること・・・・・。
それこそが、救いへの道なのです。

「 口でイエスは主であると公に言い表し、
心で神がイエスを死者の中から復活させられたと信じるなら、あなたは救われるからです。
実に、人は心で信じて義とされ、口で公に言い表して救われるのです。」

(新約聖書・ローマの信徒への手紙・10章9~10節・新共同訳聖書)

罪深く落ちてしまった私たちは救われなければなりません、
つまり、神の裁きから救われなければならないのです。
罰せられるのも神、救ってくださるのも神・・・・。
私たちは神から救われなければなりません、
救ってくださるのも神ご自身なのです。

「 キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、
かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。
人間の姿で現れ、
へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。」

(新約聖書・ピリピ人への手紙・2章6~8節・新共同訳聖書)


北白川 スー

関連記事・「キリストへのプロローグ」

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Wrote up on November 15, 2009.