キリスト教が伝えなければならない事柄



キリスト教の教会が、
すべての人間に向けて伝えなければならない、
基本的なメッセージは、

すべての人間に共通するところの”人間の本性”を、
すべての人間が生まれながらに負っている性質を明らかにすることです。

キリスト教の教会は、
現代社会の社会活動の中から生まれてくる様々な問題にたいして、
決して、安易な安らぎや励ましを与える存在でも建物でも役割でもありません。

すべての人間がその性質を負わなければならなくなった原因を明らかにすること。
さらには、人間の本性から生起するところの、
人間の人生の中おいて、
さまざまに生まれてくる様々な問題の原因を明らかにすること。
根本的な原因を明らかにすることなのです。
社会の欠陥は、人間性の欠陥に原因があることを明らかにします。

すべての人間が共通して負うことになった生まれながらの性質、
すべての人間が背負わなければならなくなった重荷を明らかにすること。
その重荷から生起するところの結果からの救い・・・。

その結果とは、神の怒りの裁きです。
死か、それとも永遠の命か・・

だから、神のひとり子・キリスト・イエスが、
私たちに代わって、人として罪人として十字架にかけられ死刑となり、
神の怒りの裁きを、その身に受けられたのです。
私たちに代わって・・・。

キリスト教の教えは、
決して、現実からの逃避を目指すものではなく、
正直に自己に向き合わせるものなのです。

人間の本性的に負っている性質は、
思いとなって、言葉となって、行為や行動となって、
自分にたいして、人にたいして、神にたいして罪を犯し続けているのです。
しかし、多くの人は、そうだとは気づいていません。

人間にとってもっとも大切なことは、見えていないのです。
気づいていないのです。

だから、キリスト教の教会の存在理由があるのです。

キリスト教の礼拝において語られる説教は、
人間の本当の姿を明らかにすることです。
みじめで弱くて愚かな姿を・・・・。
だからこそ、そこから抜け出す方法が明らかにされるのです。

キリスト教は、決して自分を信じろとは教えません。
そうではなく、自分を疑えと、
客観的に自分の姿を見つめろと・・・・・。
ありのままの自分に気づくことを・・・。

人間の苦悩が何であるかを・・・・・。

「人は皆、罪を犯して神の栄光を受けられなくなっていますが、
ただキリスト・イエスによる贖いの業を通して、
神の恵みにより無償で義とされるのです。」

(新約聖書・ローマの信徒への手紙・3章23~24節・新共同訳聖書)


北白川 スー

関連記事・「イエス・キリストの十字架」

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Wrote up on August 22, 2018.