新型肺炎・コロナウイルスを考える



私たち人間に、わずかな時間さえ与えず、
刻々と広まっていくコロナウイルス、
その速さはすざましい、その勢いには寒々しさを覚える。
またたくままに全世界に広まってしまった・新型肺炎。
世界の隅々まで忍び寄り、すべての人々をおどろかせ、
人々を恐怖へと混乱へと落とし入れている。

この状況を、
どのように見ればよいのか、どのように理解すればいいのだろうか。

ある聖書の記述に目は止まった、
ヨハネによる福音書の9章「生まれつきの盲人をいやす」の出来事に。

・・・弟子たちはイエスに質問して言った。
だれが罪を犯したからですか。
イエスは答えられた。
この人が罪を犯したのではなく、
神のわざがこの人に現われるためです。・・・

誤解してはならない、
神ご自身が全世界にウイルスをまき散らしているのではない。
神の意志によって感染したのではない。
決して神が元凶ではない。
神が人間を見放したのでもない。

人は言うだろう、
自分は大丈夫だと、自分は正義だと。
自分の生存を脅かす不条理だと、
しかし、この出来事の裏には、
理由があることを知らなければならない。

私たち人間は、
今、全世界を震わせている出来事から学ばなければならない。

信じていたものが音をたてて崩れ去るのをである。

人間のわざが無力だということを。

私たち人間に与えられた素晴らしい星・
地球を創造された創造主なる神の意志と、
わたしたち人間をも創造された神の意志と、

私たちすべての人間の思いと言葉と行為行動とのかい離を、
創造主なる神の意志から、すっかり離れてしまった人間の意志を。

常に混乱を作り出すのは人間なのだから。
人間の本性なのだから。

・・生まれつきの盲人をいやす・・
「 さて、イエスは通りすがりに、生まれつき目の見えない人を見かけられた。
弟子たちがイエスに尋ねた。
「ラビ、この人が生まれつき目が見えないのは、だれが罪を犯したからですか。
本人ですか。それとも、両親ですか。」
イエスはお答えになった。
「本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。
神の業がこの人に現れるためである。
わたしたちは、わたしをお遣わしになった方の業を、
まだ日のあるうちに行わねばならない。
だれも働くことのできない夜が来る。
わたしは、世にいる間、世の光である。」

(新約聖書・ヨハネによる福音書・9章1~5節・新共同訳聖書)


北白川 スー

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Wrote up on April 11, 2020.