なぜに増えない



この日本において、
どうして、なぜにクリスチャンの数が増えないのでしょうか。

聖書・バイブルは、
福音が語られるとき、
つまり、神の言葉が、神の意志が、
ひとりの人がすべての人のために死んだという出来事によって、
すべての人間に向けて語られるとき、
神の意志を知らされた人間は、
神の意志に、従わざるを得なくなる・・・・と語っているのです。

日本人の生活習慣や民俗習慣や価値観や倫理観や死生観からは、
理解しがたいものなのかもしれません。

日本では、懲罰を制裁を罪の償いとは考えません。
過失に対しては、再教育によって更生させるものなのだと。
肉体的苦痛によって罪が償えるとは考えないのです。

イエス・キリストが十字架刑によって死ぬことが、
どうして人間にとって福音となるのか理解できないのです。

「御子は、神の栄光の反映であり、
神の本質の完全な現れであって、
万物を御自分の力ある言葉によって支えておられますが、
人々の罪を清められた後、
天の高い所におられる大いなる方の右の座にお着きになりました。」

(新約聖書・へブル人への手紙・1章3節・新共同訳聖書)

イエス・キリストは、神の栄光そのものだと、
神の本質の完全な現われだと語っています。

福音こそ、すなわち、
イエス・キリストの十字架の出来事こそが、
私たち人間にたいする神の啓示の出来事なのだと。

しかしながら、
福音が私たちに向けて説かれ解き明かされなければ、
神の意志など知りようがないのです。

依然としてクリスチャンの数が増えないという日本の現状は、
広く福音が説かれ解き明かされていないからだとしたら。

「・・・・・・ 世の終わりにただ一度、
御自身をいけにえとして献げて罪を取り去るために、
現れてくださいました。
また、人間にはただ一度死ぬことと、
その後に裁きを受けることが定まっているように、
キリストも、多くの人の罪を負うためにただ一度身を献げられた後、
二度目には、罪を負うためではなく、
御自分を待望している人たちに、
救いをもたらすために現れてくださるのです。」

(新約聖書・へブル人への手紙・9章26〜28節・新共同訳聖書)

キリストは、ただ一度、今の世の終わりに、
私たちの身代わりとして、ご自身をいけにえとし、
私たちの罪を取り除くために、来られたのです。
人間には、
一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっているように、
キリストも、多くの人の罪を負うために一度、
ご自身をささげられました。

私たちに代わって、罪人として十字架にかけられたのです。
ひとりの人がすべての人のために死んだという、
イエス・キリストの十字架の死による贖いのわざという、
出来事のことを指し示しています。
二度目とは、罪を負うためではなく、
イエス・キリストを待ち望んでいる人々の救いのために来られるのです。

しかし、日本の私たちにたいして、
この福音の内容と意味とが説かれ解き明かされなければ、
私たちは知りようがないわけです。
知らされなければ、救いもあり得ません。
当然のこととしてクリスチャンも増えないのです。

イエス・キリストの出来事は、
日本人の死生観や価値観から、
はるかに遠いものかもしれません。


北白川 スー

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Wrote up on April 13, 2018.