広まらないキリスト教



この日本、依然としてキリスト教の信仰は、根付いていません。

キリスト教が受け入れられるということは、
キリスト教の信仰というものの意味と内容とが理解されていることを意味します。

必ずやそうだとは限らない場合もあることも事実です。

どのようにして信仰を持ったのか・・・、
どのような理由で信仰を持つに至ったのか・・・・、
クリスチャンには、さまざまな入信の理由があるものです。

キリスト教には、カトリックやプロテスタント・・・、
さらに細かく、さまざまな教派や教団が存在しています。

しかし、
信仰の意味と内容とは、教派や教団の違いを超えるものです。

聖書・バイブルは次のように語っています。

「 しかし、すべての人が福音に従ったのではありません。
イザヤは、「主よ、だれがわたしたちから聞いたことを信じましたか」と言っています。
実に、信仰は聞くことにより、
しかも、キリストの言葉を聞くことによって始まるのです。
それでは、尋ねよう。彼らは聞いたことがなかったのだろうか。
もちろん聞いたのです。
「その声は全地に響き渡り、/その言葉は世界の果てにまで及ぶ」のです」

(新約聖書・ローマの信徒への手紙・10章16~18章・新共同訳聖書)

教会においてキリストの言葉が語られ・・・、
ラジオやテレビ、ネットにおいてもキリストの言葉が語られ・・・、
その言葉を聞いた人は、その言葉に接した人は、
その言葉に応える・応答することによって信仰は始まるのです。

日本語の聖書・バイブルには、
口語訳や新改訳や新共同訳や現代語訳、フランシスコ会訳などの翻訳がありますが、
訳文は異なっても、
聖書の言葉、すなわち神の言葉は、同じものです。

この日本においては、多くの人にとって、
聖書・バイブルの言葉ほど遠い存在はありません。
なじみが薄いのです。

語られなくては、聞くこともできません。


北白川 スー

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Wrote up on January 11, 2020.