福音なき布教



キリスト教が、外国の文化と共に入ってきた時代が、
日本の近代の歴史の中でいくどかあります。
この日本にたいするキリスト教の布教は、
織田信長や豊臣秀吉の時代には、
ザビエルによるイエズス会の宣教に始まり、
プロテスタントにあっては、海外からの宣教師が、
日本で布教活動を始めて、
早くも150年を過ぎる時間が流れました。
しかし、日本がキリスト教に塗り替えられることはありませんでした。

依然として、クリスチャン人口は、
カトリックやプロテスタントやキリスト教的な宗教を含めて、
全人口の1パーセントと言われています。
ギャロップの統計調査によれば6~7パーセントという数字もありますが、
その数字は、教会の形成につながるものではないのです。
教会につながりを持たないクリスチャンの多さをあらわしています。

信長や秀吉の時代のキリシタン保護政策や、
明治時代の、政府の欧化主義政策により、
キリスト教が奨励された時代もありました。
いずれも、ときの為政者や政府が、
外国の技術や物や文化を取り入れるための開放政策により、
キリスト教の宣教師の出入りを認めたため、
キリスト教が、物や外国文化と共に入ってきたのです。

第二次世界大戦が日本の敗戦で終わり、
日本を統治支配したGHQ・マッカーサーは、
日本の民主化を進めるため、
キリスト教を保護し奨励しました。
多くの海外からの宣教師が日本に派遣されることになります。
その結果として、キリスト教のさまざまな教派が乱立することになったのです。

明治維新以後、明治政府は、文明開花・富国強兵をスローガンに、
盛んに西洋の文化を取り入れようとします。
キリスト教は外国の宗教ですが、
旧幕府士族や都市部の中産階級や、
インテリや知識人や学生に、
西洋の近代文化として受け入れられていったのです。

いずれの時代の背景にあるものは、
日本の歴史が大きく揺れ動いた時代であったということです。
歴史が大きく揺れ動く時代には、
今までにない新しい価値観が受け入れられやすい状況が生まれてきます。
ときとして一時的なキリスト教ブームが起きることもありました。
しかし、熱が冷めれば、
いつしか元の状態に戻ってしまうのです。

以上のように、かなり乱暴な歴史展開として書きました。
しかし、お分かりのように、
 ”福音なき布教 ”と言っても言い過ぎではありません。
言い方を変えれば、
歴史の表舞台に出てこない、
その他の多くの一般庶民や農民や漁民にとっては、縁のない遠い話なのです。
福音とは神の啓示です。
ひとりの人がすべての人のために死んだという出来事なのです。

「 神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。
独り子を信じる者が一人も滅びないで、
永遠の命を得るためである。
神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、
御子によって世が救われるためである。」

(新約聖書・ヨハネによる福音書・3章16~17節・新共同訳聖書)


北白川 スー

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Wrote up on August 06, 2011.