 
答えのない悲しみ・東日本大震災
 
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東日本大震災で多くの人の命が失われました。
 多くの人は言います。
 神がいるのなら、どうしてこんなことが起きたのか・・・と。
 そして、多くの人が、いまなお、
 亡くなられた方を忘れられず、
 答えのない悲しみを受け入れることができず、
 深い悲しみの中で日々を送っておられます。
 神がいるのなら、なぜ・・・・。
 答えがあるのなら・・・・、
 この苦難を乗り越えることができるかもしれないと思いながら。
 
 聖書・バイブルは、
 常に私たち人間をとりまく苦難について語っています。
 その苦難の意味を・・・。
 聖書は指示しています。
 私たちに、常に襲っている苦難は、
 神の計画の一部だと・・・・。
 私たちの歴史は、
 くりかえしくりかえしの苦難の連続なのです。
 聖書・バイブルは、
 この世界は、やがて終末をむかえると語ります。
 世界は崩壊へとひた走っているのです。
 必ずやってくる世界の終わりのときに向かって、
 私たち人間は、なぜ、幾度も幾度も、
 苦難を味わっているのでしょうか。
 地震や津波は、今回に限ったことではありません。
 ここ百年、くりかえしくりかえし経験しています。
 それなのに、私たちは備えることを怠ってきたのです。
 決して想定外ではなかったはずです。
 神に聞き従わなかった私たち人間の姿が明らかにされた出来事でもあるのです。
 そして、いまだに聞こうとはしない私たち。
 私たちは、その苦難の意味を失ってしまったのです。
 私たちが経験する苦難の意味を失ってしまったなら、
 私たちの歴史は歴史でなくなってしまいます。
 
 「 このキリストのお陰で、今の恵みに信仰によって導き入れられ、
 神の栄光にあずかる希望を誇りにしています。
 そればかりでなく、苦難をも誇りとします。
 わたしたちは知っているのです、苦難は忍耐を、
 忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。
 希望はわたしたちを欺くことがありません。
 わたしたちに与えられた聖霊によって、
 神の愛がわたしたちの心に注がれているからです。
 実にキリストは、わたしたちがまだ弱かったころ、
 定められた時に、不信心な者のために死んでくださった。」
 (新約聖書・ローマの信徒への手紙・5章2~6節・新共同訳聖書)
 
 神のひとり子・イエス・キリストが、
 私たちの人間の罪を、その身に負い、
 十字架にかけられ、罪人として処刑され、
 私たちの罪の代価を、その命をささげることによって、
 支払ってくださった。
 私たちの罪を贖って(あがなって)くださった・・・・という。
 
 ひとりの人がすべての人のために死んだという、
 おどろくべきイエス・キリストの十字架の出来事・・・・。
 
 「 神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。
 独り子を信じる者が一人も滅びないで、
 永遠の命を得るためである。
 神が御子を世に遣わされたのは、
 世を裁くためではなく、
 御子によって世が救われるためである。」
 (新約聖書・ヨハネによる福音書・3章16~17節・新共同訳聖書)
 
 この世界を造られた創造主なる神に聞いていれば、
 過去の歴史から学び、
 また日々経験する経験から学ぶのなら、
 私たちの品性を練り上げていたなら・・・・。
 少なくとも災害という姿を取らなかったかもしれません。
 くやまれてしかたがないことはなかったはずなのです。
 命が失われることはなかったはずです。
 
 すでにイエス・キリストは、
 その命をささげてくださったのだから。
 北白川 スー
 
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Wrote up on March 23, 2012.