イエスに聞き従う・・1・・
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時代の変わり目とは、
具体的にいつなのか、何なのかは読者の推測に任せるものだが。
社会が時代の変わり目を迎えたとき、
時代の変わり目は、
人間の心の準備もなく予期しない時にやってくる。
まったく予期しない時にやってくる。
突如、予期できなかった時代の変わり目を迎えたとき、
私たちに対して、聖書・バイブルの言葉は、
さらに豊かに語りかけを増してくる、驚きをもって。
聖書に親しんできた者でさえ聞き逃していた内容が明らかとなる。
キリストの教会では、
今まで交わされてきた会話や、
教会の礼拝において語られる説教・メッセージでさえ、
キリストの教会において唯一重要なものとされる、
イエス・キリストご自身にたいする問いかけと、
より力強い探究心とが明らかとなる。
つまり、イエス・キリストは、
私たちに何を語りかけておられるのか。
イエス・キリストは、この時代の変わり目の時に、
私たちに何を求めておられるのか。
イエス・キリストに忠実だとされるクリスチャンにたいして、
どのように語られ、どのような助けを与えてくださるのか。
ここで重要なのは、
日本の教会やクリスチャンたちが見逃してきたもの、
私たちが望んでいるものは何かということではなく、
イエス・キリストが、
私たちに何を求め何を望んでおられるのかということである。
クリスチャンは、これこれしてくださいと祈り求めるのだが、
そうではなく、
イエス・キリストが、私たちにたいして何を望んでおられるのかを、
聞かなければならない時が来たのだ。
日本の教会は、幾度も、
時代の変わり目を見逃してきたのかもしれない。
今この時こそ、教会は、
イエス・キリスト自身の言葉を語らなければならない時に来たのだ。
私たちが教会へ説教を聞くために足を運ぶとき、
聞きたいと願っている事柄は、
私たちの必要を満たす言葉ではない、
そこで語られるのは、イエス・キリストご自身の言葉なのです。
誤解してはならない。
教会でイエス・キリストの言葉を聞くのは、
ただクリスチャンのためだけではない。
教会と、聖書において語られる使徒たちの証言から、
無縁なものとなっている多くの人たちのためなのです。
イエスは、すべての人に向けて語られるからです。
イエス・キリストの十字架の出来事とは、
ひとりの人がすべての人のために死んだという出来事だからです。
「 実に、信仰は聞くことにより、
しかも、キリストの言葉を聞くことによって始まるのです。」
(新約聖書・ローマの信徒への手紙・10章17節・新共同訳聖書)
「 なぜなら、「主の御名を呼び求める者は、すべて救われる」とあるからである。
しかし、信じたことのない者を、どうして呼び求めることがあろうか。
聞いたことのない者を、どうして信じることがあろうか。
宣べ伝える者がいなくては、どうして聞くことがあろうか。」
(新約聖書・ローマの信徒への手紙・10章13~14節・口語訳聖書)
北白川 スー
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Wrote up on September 16, 2020.