福音をおどろきをもって語りまた聞く



語る者は、たいへんなおどろきを持って福音を語り、
聞く者も、たいへんなおどろきをもって福音を聞くことになる。

それが福音なのです。
福音ほどおどろくべき内容を含んだ事柄は他に例を見ないのです。
福音、すなわち良き知らせなのに、
その内容は、イエス・キリストの死を語り伝えているのですから。

「・・・・主が来られるときまで、主の死を告げ知らせるのです。」
(新約聖書・コリントの信徒への第1の手紙・11章26節・新共同訳聖書)

イエスが十字架刑により処刑されなければ、
イエスが死ななければキリスト教はこの人間社会の中で生まれなかったでしょう。
福音とは、
 ” ひとりの人がすべての人のために死んだ ”という出来事なのですから。

「わたしたちがまだ罪人であったとき、
キリストがわたしたちのために死んでくださったことにより、
神はわたしたちに対する愛を示されました。」

(新約聖書・ローマの信徒への手紙・5章8節・新共同訳聖書)

ひとりの人、すなわちイエス・キリストが十字架の上で処刑され、
そして葬られ、さらには三日の後に死人から復活したという、
にわかには信じられない出来事なのです。

その出来事こそ、だれひとりの例外もなく、
私たち人間に深くかかわっている出来事だということ・・・・・・。
私たちが生活しているこの世界・・・・、
この世界に生きている人間を神の目から見れば、
だれひとりの例外もなく、
混乱と苦しみの中に追い詰められ、
逃げることも救われることもできない状況でなければ、
救世主・キリスト・メシア・・・としての神のひとり子イエスが、
この世界に生まれ来る必要などないのですから・・・・。

聖書・バイブルは、語り示します。
「 次のように書いてある、義人はいない、ひとりもいない。
悟りのある人はいない、神を求める人はいない。
すべての人は迷い出て、ことごとく無益なものになっている。
善を行う者はいない、ひとりもいない。」

(新約聖書・ローマの信徒への手紙・3章10~12節・口語訳聖書)

正しい人は1人もいない、
すべての人は、神から迷い出て、
神を求める者はいない・・・・・、
だから、真理の道を悟っている者は一人もいない・・・・と。(現代訳聖書参照)

すべての人が罪深く、混乱と不安の中をさ迷っているから、
この状況から救い出すために、救世主としてイエス・キリストが、
神であるにもかかわらず、人として来られたという、
おどろくべき内容が語られるわけです。

私たちがときどき罪を犯すから罪深いのではなく、
生まれたときから、もともとから罪深い存在だから、
思いであったり、言葉であったり、行為であったり・・・と、
人にたいして、自分にたいして、神にたいして罪を犯すのです。

その罪深い状況から救い出すものこそ福音なのです。
私たちは、自分の義を求めて苦しむものです。
弱くて愚かだからこそ道をさ迷っていると思えば・・・・、
迷いから救い出し、道を正してくれるものが福音なら・・・・・。
それは、ただ、おどろきの何ものでもありません。

ある日、主は再び・・・主が来られるときまで・・、

「そのとき、大いなる力と栄光とをもって、人の子が雲に乗って来るのを、人々は見るであろう。」
(新約聖書・ルカによる福音書・21章27節・口語訳聖書)


北白川 スー

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Wrote up on June 01, 2009.