信仰と、豊かになったかのような暮らしむき



便利さと、物にあふれた、
さも豊かになった暮らしのように見受ける日常ですが。
豊かになったように見えても、実は、
暮らしを取り巻く状況は、
日に日に、私たちにたいして問題を提起しています。
人間関係から経済や地球環境にいたるまで、
ニュースにならない日はないと言っていいほどになりました。
私たちにたいして注意を呼び起こそうとしているような、
とても重要な課題や問題を、
何かをきっかけに与えて、
注意を呼び起こそうとしているように思えます。
はっきり言って、人間関係を、経済を、地球環境を破壊しているのは、
私たち自身の生き方なのです。
私たちの考え方ややり方や行為行動なのです。

そのような人間は・・聖書的な言い方をすれば、
「キリストと神との御国を相続することはできません。」と言うことになります。

「 あなたがたは、よく知っておかねばならない。
すべて不品行な者、汚れたことをする者、貪欲な者、
すなわち、偶像を礼拝する者は、キリストと神との国をつぐことができない。」

(新約聖書・エペソの信徒への手紙・5章5節・口語訳聖書)

人間関係の不和や経済不況や環境問題を起こしているのは人間自身であって、
やりたい放題にやってきた結果と言えます。
また、そのような状態を深刻なものとして考えない悪さも人間の心の奥底に潜んでいるのです。
人間の罪深さという性質の成せるわざなのです。
今ある暮らしを維持しながら問題を解決しようとするなら、
それは矛盾していると言っていいでしょう。
自己本位の、偉いのは自分たちだけだという思いあがりそのものです。
私たちが直面している問題を解決しょうとするなら、
キリスト教的に言えば、
人間の罪の性質を明らかにして、
悔い改め、
神の意志に沿ったライフ・スタイルへと改めなければならないのです。

創造主なる神は言われました。
 (9)「 主なる神は、見るからに好ましく、
食べるに良いものをもたらすあらゆる木を地に生えいでさせ、
また園の中央には、
命の木と善悪の知識の木を生えいでさせられた。」
(16~17)「 主なる神は人に命じて言われた。
園のすべての木から取って食べなさい。
ただし、善悪の知識の木からは、決して食べてはならない。
食べると必ず死んでしまう。」

(旧約聖書・創世記・2章9・16~17節・新共同訳聖書)

 ”取って食べると必ず死ぬから取って食べてはいけない”・・・と命じられたにもかかわらず、
私たち人間は ”命ではなく知識を”取ってしまったのです。
その結果が今ある私たちの状況なのです。

キリスト教の教会には、
それはいろいろな問題が持ち込まれてきます。
人のいろいろな問題が起きたのは、
私たちの ”思いあがり”の結果ではないか・・・。
キリストと神との御国を目指すのなら、
キリスト教の教会が、
世の中にたいして根源的なものを明らかにしていくことが使命ではないでしょうか。
人間の罪から解き放たれて、
罪の呪いから解放されて、
創造主なる神の前で、
神の作品・神の子として生かされていく・・・・。
イエス・キリストの生と死と葬りとによって備えられた神の恵みを受け取ること・・・、
それが、神の作品としての人間の使命ではないかと・・・・・。

「 なぜなら、わたしたちは皆、キリストの裁きの座の前に立ち、
善であれ悪であれ、
めいめい体を住みかとしていたときに行ったことに応じて、
報いを受けねばならないからです。」

(新約聖書・コリントの信徒への第2の手紙・5章10節・新共同訳聖書)

いま私たちに求められているのは、
物質的な豊かさではなく、
精神的な豊かさではないでしょうか。
そうでなければ、
ひとりの人がすべての人のために死んだという出来事が意味を失ってしまいます。
イエス・キリストの十字架の死による贖いのわざ(あがないのわざ)という出来事の・・・。
素晴らしいものとして創造された地球を破壊しているのは、
私たち罪深い人間たちなのです。
キリストへ立ち返ることこそ、
創造主なる神の求められていることではないでしょうか。
救い主・キリストがこの世界に生まれたということは、
神の目から見て、世界が堕落している証拠なのですから。


北白川 スー

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Wrote up on September 20, 2012.