福音は、とどいていますか
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福音はとどいていますか・・・・と問いかけたいのだけれども。
その福音が、説かれて解き明かされていなければ、
その問いかけは、意味を持ちません。
ひとりの人がすべての人のために死んだという出来事、
イエス・キリストの十字架の死による贖いのわざという出来事こそ、
福音そのものであることを強調しておきましょう。
教会には、
さまざまな苦悩を抱えた人たちがやってきます。
傷つき、疲れ、不安や不満、おびえやあせりや不足などなど、
現代社会の中の病理から救われたいのです。
しかしながら、
福音に引き寄せられてやって来るのではありません。
この日本においては、キリスト教の教会は、
社会的弱者を受け入れる施設のように思われていますし、
その役割を負わされています。
教会自身も、それが大切な働きだと位置付けされもしています。
「・・・・・・ 世の終わりにただ一度、
御自身をいけにえとして献げて罪を取り去るために、
現れてくださいました。
また、人間にはただ一度死ぬことと、
その後に裁きを受けることが定まっているように、
キリストも、多くの人の罪を負うためにただ一度身を献げられた後、
二度目には、罪を負うためではなく、
御自分を待望している人たちに、
救いをもたらすために現れてくださるのです。」
(新約聖書・へブル人への手紙・9章26〜28節・新共同訳聖書)
人間の本性的な罪について、
神の怒りの裁きについて、
そして、その裁きからの救いについて、
さらには、永遠の命について・・・・・。
洗礼や死者の復活について・・・。
これらが、
キリスト教の教会が説き解き明かさなければならない、
本質的な事柄なのですが・・・・・。
信仰心があっても、福音が解き明かされなければ、
その信仰はむなしいものになります。
「福音を説き聞かされていることは、私たちも彼らと同じなのです。
ところが、その聞いたみことばも、彼らには益になりませんでした。
みことばが、それを聞いた人たちに、
信仰によって、結びつけられなかったからです。」
(新約聖書・へブル人への手紙・4章2節・新改訳聖書)
人間関係や経済問題などなど、
色々と問題を抱えて、
最後のところまで来てしまって、
もう、どうにもしかたがなくなったあげく、
拠り所を求めて、
教会にたどり着いたと言っていいでしょう。
迷いに迷った人に福音を与えるのはイエス・キリストです。
人生の向きを改めさせ、安息に導くのは福音です。
決して安易な励ましや慰めを与えるのが福音ではありません。
「というのは、神の言葉は生きており、
力を発揮し、どんな両刃の剣よりも鋭く、
精神と霊、関節と骨髄とを切り離すほどに刺し通して、
心の思いや考えを見分けることができるからです。」
(新約聖書・へブル人への手紙・4章12節・新共同訳聖書)
福音は、
福音を聞いた人の価値観を180度向きを変えさせる力を持っています。
北白川 スー
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Wrote up on April 15, 2018.