信仰を持つことが福音であり救いなら



信仰を持つことが、
福音であり救いであり癒しだと考えるクリスチャンの多さ。

福音とは、イエス・キリストを心に招くことだと。
それが救いだと。
福音とは、救いとは、イエス・キリストとの関係を築くことだと。
それが信仰だと。
キリストへの信仰が救いであり福音だと・・・・。

信仰によって義とされるのだから・・・。

「なぜなら、わたしたちは、人が義とされるのは律法の行いによるのではなく、
信仰によると考えるからです。」

(新約聖書・ローマの信徒への手紙・3章28節・新共同訳聖書)

「洗礼を受けてキリストに結ばれたあなたがたは皆、キリストを着ているからです。」
(新約聖書・ガラテアの信徒への手紙・3章27節・新共同訳聖書)

「主イエス・キリストを着なさい。肉の欲のために心を用いてはいけません。」
(新約聖書・ローマの信徒への手紙・13章14節・新改訳聖書)

信仰とは、神との関係だとか、神を心に招くことなら、
神にたいする関係を築くことなら・・・・。

はたして、信仰を持つことが福音なのでしょうか。
それが救いなのでしょうか。

では、イエス・キリストの十字架の出来事は、どうなるのですか。

「だから、あなたがたは、このパンを食べこの杯を飲むごとに、
主が来られるときまで、主の死を告げ知らせるのです。」

(新約聖書・コリントの信徒への第1手紙・11章26節・新共同訳聖書)

福音とは、字の通り、「良き知らせ」を意味します。
何の、どのような内容を持つ知らせ・ニュース・が良き知らせなのでしょうか。

旧約聖書で預言者イザヤは語っています。
「主はわたしに油を注ぎ/主なる神の霊がわたしをとらえた。
わたしを遣わして/貧しい人に良い知らせを伝えさせるために。
打ち砕かれた心を包み/捕らわれ人には自由を/
つながれている人には解放を告知させるために。」

(旧約聖書・イザヤ書・61章1節・新共同訳聖書)

旧約聖書における神の啓示を完成させるために、
良き知らせ・福音・として、
イエス・キリストによって、世界中の人々の前に明らかにされたもの。
それが福音、すなわち神の啓示なのです。

すなわち、
ひとりの人がすべての人のために死んだという出来事、
イエス・キリストの十字架の死による贖いの業という出来事として。
すべての人たちの前に明らかにされたのです。

「わたしたちのためにも記されているのです。
わたしたちの主イエスを死者の中から復活させた方を信じれば、
わたしたちも義と認められます。
イエスは、わたしたちの罪のために死に渡され、
わたしたちが義とされるために復活させられたのです。」

(新約聖書・ローマの信徒への手紙・4章24~25節・新共同訳聖書)

福音とは、良き知らせとは、
イエス・キリストの十字架による死と、葬りと、復活という出来事なのです。

信仰とは何か、新約聖書において明確に示されています。

「すなわち、イエス・キリストを信じることにより、
信じる者すべてに与えられる神の義です。そこには何の差別もありません。」

(新約聖書・ローマの信徒への手紙・3章22節・新共同訳聖書)

キリスト・イエスに対すると信仰によって実現される、
イエス・キリストの人格と、その十字架の死と言う業によって生じた事柄が、
信仰者個々人に適用され実現するのです。

何が適用され実現するのかと言えば、
・・罪からの救い、・・
・・復活によって保証された死からの復活、・・
さらには、・・新しい命、永遠の命と言う約束。・・

これらが福音の中身なのです。
しかしながら、教会のメッセージにおいて、
どれだけ、どこまで、
イエス・キリストの十字架の出来事が解き明かされているのかは、
疑問として残ります。

世界中の人々の中で、日本人ほど、
福音から遠い存在に置かれている人間は他に例を見ないかもしれません。

教会の説教においてメッセージされる機会の少ないテーマ・・、
イエス・キリストの十字架の死による贖いの業・・あがないのわざ・・
という出来事の解き明かしが・・・だからです。


北白川 スー

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Wrote up on September 13, 2018.