 
人間のみにくさ愚かさについて
 
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人間だけが特別に持っている、
 みにくさや弱さや愚かさを見せ付けられるテレビドラマやニュースにあふれた日本の事情・・・・・。
 
 そこに現れている人間の本性をまともに見れば、
 ごまかさず、加減したりせずに、真実を正しく見つめれば、
 恥に満ち、悩み多い存在であることがよく分かります。
 
 そのような中で、
 自信に満ち、他を恐れず、
 自分は正しいと言い張っている人の姿は、
 今にも崩れそうなこっけいささえ見せます。
 
 聖書・バイブルは語ります。
 
 「すると、どうなるのか。
 わたしたちには何かまさったところがあるのか。
 絶対にない。ユダヤ人もギリシヤ人も、
 ことごとく罪の下にあることを、わたしたちはすでに指摘した。
 (聖書には)次のように書いてある、
 義人はいない、ひとりもいない。
 悟りのある人はいない、
 神を求める人はいない。
 すべての人は迷い出て、
 ことごとく無益なものになっている。
 善を行う者はいない、ひとりもいない。」
 (新約聖書・ローマの信徒への手紙・3章9~12節・口語訳聖書)
 (旧約聖書・詩篇14編・参照)
 
 キリスト教の信仰は、
 人間の、ものごとの、すべてをありのままに見ることにその特徴があります。
 人間が基本的に、愚かで弱い存在なのだという認識に、
 まず何よりも先に立たなければ、
 そこから抜け出すことも、解き放たれることもできないと指摘します。
 
 人間のみにくさを、何よりも先に取り上げているメディアの報道ですが、
 だからと言って何かを責めているだけで、自らを反省することをしません。
 
 メディアは、災いを受けた被害者のことは、これでもかと取り上げ続けますが、
 過ちを犯した人の背景は取り上げません。
 
 「だれも自分を欺いてはなりません。
 もし、あなたがたのだれかが、自分はこの世で知恵のある者だと考えているなら、
 本当に知恵のある者となるために愚かな者になりなさい。
 この世の知恵は、神の前では愚かなものだからです。
 「神は、知恵のある者たちをその悪賢さによって捕らえられる」と書いてあり、
 また、「主は知っておられる、知恵のある者たちの論議がむなしいことを」とも書いてあります。
 ですから、だれも人間を誇ってはなりません。
 すべては、あなたがたのものです。」
 (新約聖書・コリントの信徒への第1の手紙・3章18~21節・新共同約聖書)
 
 キリスト教の信仰は、人間の本性を・・・。
 生まれたときから負っている性質を明らかにします。
 そうしてこそ、初めて、
 人間の弱さを、愚かさを、みにくさを、
 遠慮せず、気がねなく、
 見ることができるのです。
 そうでなければ、
 人間が基本的に愚かで弱い存在であるという認識に立たなければ、
 そこから抜け出すことはできないのですから。
 仮にも、人間は賢く、また正しく、
 よく物事の道理をわきまえている存在だとしたら、
 現実の人間のみにくく愚かな姿を説明できなくなります。
 
 なぜ、イエス・キリストは、
 すべての人のために十字架刑により死なれたのでしょうか、
 ひとりの人がすべての人のために死んだという出来事、
 イエス・キリストの十字架の死による贖いのわざ(あがないのわざ)という出来事は、
 すべての人間は、神の前では、弱く愚かでみにくい存在であることをあらわしているのです。
 人間が、なぜそのような存在に追い込まれたのか・・・・。
 そのような存在から救い出されるためには、どうすればいいのか・・・・。
 それを知らなければ、またイエス・キリストの十字架の出来事も理解できないことでしょう。
 北白川 スー
 
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Wrote up on November 16, 2010.