いつの間にか30を過ぎ
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結婚が幸せのすべてではないにしても、
結婚が幸せのゴールだとは思わないけれど、
最近のキーワードは「結婚」の二文字につきる・・・・。
と言うよりも、肝心なのはお相手なのだ・・・・。
相手があってこその結婚だし、恋愛でもあるのだ・・・。
クリスチャンになって、信仰を逃げ道とは考えないけれど、
共に価値ある人生を築いていくのなら、
ここが肝心なのだけど、
しっかりした信仰の持ち主の相手であってほしい。
そうであってこそのクリスチャンとしての結婚なのだから、
しかし、行動や考え方がしっかりしている信仰の持ち主なんて、
そうは見つからない、
いたとしても、引く手あまたなのだ。
すでに落ち着くところに落ち着いている、
だからと言って、決して選び方を間違ってはいけない・・・。
もしかしたら、どこかにいるであろう、適齢期にあるお相手も、
まだ見ぬ彼も、同じ考えなのかもしれないし・・・・・。
もしかして、自分が生きていくことで精いっぱいなのかもしれない。
教会の違いをこえた横のつながりのないキリスト教の世界、
聖書・バイブルは、昔から今にいたるまで肌の色や言葉の違いを問わずただひとつなのに、
それを最上のものと信じている人たちのネットワークがまったくないのだから、
なぜなのだろうと思うけれど、
まったくと言っていいほど出会いのない世界なのです。
結婚相手を探しつつ、
ひとりで生きていく覚悟をしなければならないのだろうか。
パウロ先生は言っていた、
「未婚の女が結婚しても、罪を犯したわけではありません。
ただ、結婚する人たちの身に苦労を負うことになるでしょう。
わたしは、あなたがたにそのような苦労をさせたくないのです。」
「このようにわたしが言うのは、あなたがたのためを思ってのことで、
決してあなたがたを束縛するためではなく、
品位のある生活をさせて、ひたすら主に仕えさせるためなのです。」
(新約聖書・コリントの信徒へのパウロの第1の手紙7章・28と35節・新共同訳聖書)
だからこそ、しっかりした信仰の持ち主の相手であってほしいのだ。
北白川 スー
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Wrote up on July 20, 2008.