日本人のアイデンティティと東日本大震災



長年にわたって、依然として少数派の悲哀を経験しているキリスト教のクリスチャンたち。
この日本で、なぜにクリスチャンの数が増えないのか、
その理由を、
日本人のアイデンティティにあるのではないかと考えることもできるのではないだろうかと・・・。

つまり、日本人は、どこにその存在の根を持っているのかということをです。
存在の根というものが、宗教感にも強く影響を与えていて、
キリスト教への改宗など、
自分の ”宗教感 ”を変えるなんて思いもよらないことなのです。

あくまで感覚です。
空気のようなもの。
自分の宗教を具体的に説明できるわけでもありません。

説明を試みれば、
今の自分の立場とか地位とかは、漠然としていて、
その内容を具体的に把握してはおらず、
自分の存在すら、
その存在理由さえ危うくしてしまうかもしれない恐れが生まれてくるかもしれないのです。

東日本大震災で注目されている、
日本人の我慢強さや秩序の良さを、
外国のメディアは賞賛しますが、

本当に我慢強く秩序立っているのでしょうか。
正しい状態を保つために守るべき一定の順序やきまりやルールを、
自分たちは持っていると、
明確に説明できるのでしょうか。

今回の巨大地震、大津波、原発事故・・・。
これまで経験したことのない非常事態に違いありません。
しかし、いまだに、何が起こっているのか正確に理解できていないはずです。
どうして起きたのかということを含めて。
何が起きているのかを正確に考えることすらできないのかもしれません。
そのような思考の習慣を育ててこなかったからです。
想定外だとか・・・・。
ですから、日本人のアイデンティティを・・、
自分は誰で、どこにその存在の根をもっているのか・・ということを、
明確に描けるなら、
今回の大震災や原発事故についても正確に語れるはずです。
日本人のなかで、そのような考えを感想を持っている人たちは、
ごく少数かもしれません。
多くの人は、そのような筋道で物事を考えることを良しとはしないのではないでしょうか。
と言うよりも、考えることすらしないのが自然で、
それが民俗なのかもしれないのです。

しかし、人は、アイデンティティを意識しないまでも強く主張したりもします。
存在の根を、家であっり、家族であったりと、
ごく狭い、血縁、地縁に置いていると考えても間違いはないかもしれません。
しかし、多くの人は、そのように意識して考えません。
血縁や地縁に根ざした秩序が当然だと思っているのです。

自分とは誰で、どのように生きていくのか・・・というふうには人は考えないのです。
自分という存在の独自性というものを。
単独の思考や方向性といったものをです。
何事においても、それを前提にして説明することをしません。
さまざまに、色や方角や占いなどに頼ったりもするのですから。
アイデンティティーが揺らいでいる国民性なのかもしれないのです。

菅さんにはカリスマ性があるようには見えません。
それどころか、
どうも、赤信号みんなでわたれば怖くない的感想の持ち主なのではないかと思わせます。
菅さんが明確なアイデンティティーの意識の持ち主なら、
もっと、はっきりと大胆にものごとを言うことでしょう。
早い段階で動き出していたはずです。

「 ただ私が所々、かなり大胆に書いたのは、
あなたがたにもう一度思い起こしてもらうためでした。
それも私が、異邦人のためにキリスト・イエスの仕え人となるために、
神から恵みをいただいているからです。
私は神の福音をもって、祭司の務めを果たしています。
それは異邦人を、聖霊によって聖なるものとされた、
神に受け入れられる供え物とするためです。
それで、神に仕えることに関して、私はキリスト・イエスにあって誇りを持っているのです。」

(新約聖書・ローマの信徒への手紙・15章15~17節・新改訳聖書)


北白川 スー

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Wrote up on April 30, 2011.