 
環境破壊
 
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環境破壊は、すでに、とんでもない領域にまで進んでしまったようだ。
 私たち人間は、環境破壊を止めるために、さまざまな政策を進めようとしている、
 しかしながら、すでに手遅れの状態にまで達しているようにも見える。
 なぜに、ここまで人間は、存在にかかわる問題を放置してきたのだろうか。
 
 人間の文明が環境破壊を生み出してきたことは事実である。
 環境破壊が起きることは予想されていたはずである。
 なぜに手を打てなかったのか。
 
 なぜに、現代の世界の痛みというものを、深く悲しみつつ考えなかったのだろうか。
 
 そうしないと、とんでもない事になってしまうと、
 真剣に心から受け止めようとはしなかったのだろうか。
 
 うっかりすると、とんでもないことになってしまうのではないかという不安を、
 人間は抱かなかったのでろうか。
 
 聖書の記述は次のように語っている。
 
 「 世界が造られたときから、目に見えない神の性質、
 つまり神の永遠の力と神性は被造物に現れており、
 これを通して神を知ることができます。
 従って、彼らには弁解の余地がありません。
 なぜなら、神を知りながら、神としてあがめることも感謝することもせず、
 かえって、むなしい思いにふけり、心が鈍く暗くなったからです。
 自分では知恵があると吹聴しながら愚かになり、
 滅びることのない神の栄光を、
 滅び去る人間や鳥や獣や這うものなどに似せた像と取り替えたのです。
 (新約聖書・ローマの信徒への手紙・1章20~23節・新共同訳聖書)
 
 私たち人間は、自分では知者であると言いながら、愚かな者となり・・・、と語っている。
 環境破壊は、自分たち人間の力で元の状態に戻せるとでも考えたのだろうか。
 すでに私たち人間には、弁解の余地すらないことを知らなければならない。
 
 もう、すでに、そこまで来ているのだから。
 しかし人間は、いまだに、美しい言葉を並びたてて弁解に力を注いでいる。
 すでに人間には、弁解の余地などないのです。
 
 北白川 スー
 
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Wrote up on  January 03, 2022.