今は火急のとき



2021年12月のことを言っているのではありません。
コロナ禍のことを言っているのではありません。

全人類が立たされている、差し迫った課題が、
覆いが取り払われ、明らかとなった課題が、
私たちの目の前に明らかとなった課題が、

各々が取り組まなければならない、
対処しなければならない、
差し迫った課題が明らかにされたのです。

のんびりとかまえていいことではなくまさに火急の時なのです。

世の終わりが近づき、神の裁きが始まるのです。
私たちは救いに向かって走らなければなりません。

キリスト教は終末論です、未来は明るくはなく、
世は、終わりを向かえるのです。

天国か地獄か、そのジャッジメントは神の手にあります。

世の終わりのとき、
そのとき、私たちの前に示された神の言葉、
それがイエス・キリストの十字架の出来事なのです。
イエス・キリストの、死と葬りと復活という出来事によって、
明らかとされた神の言葉なのです。

イエス・キリストの十字架は何を表し、
何を私たちに問うているのでしょうか。

今は火急のとき、
ことは差し迫っているのです。

世は、世の終わりに向かって走っています。
世の終わりが近づき、
神の裁きが始まる、
私たちは救いに向かって走らなければなりません。
その目前に示された出来事、
それが十字架の言葉なのです。

イエス・キリストの十字架の出来事で表された事柄とは、
死と葬りと復活とで表された事柄とは、

差し迫った、急いで対処しなければならない事柄なのです。

誰しも、自分は救われるのか・・・・と思うでしょ。

イエス・キリストの出来事が語られなければ、
イエス・キリストの出来事が聞かれなければ、
イエス・キリストにたいする信仰は生まれません。

イエス・キリストへの信仰があって初めて、
救いへの道筋は開かれるのです。

「 神の義は、その福音の中に啓示され、信仰に始まり信仰に至らせる。
これは、「信仰による義人は生きる」と書いてあるとおりである。」

(新約聖書・ローマの信徒への手紙・1章17節・口語訳聖書)


北白川 スー

関連記事・「キリストへの信仰」

表紙にもどります。

アーカイブスへ。


http://web.kyoto-inet.or.jp/people/s-ktsrkw/
su-kitashirakawa Official Website
Wrote up on November 27, 2021.