答えの出ない問いなど存在しない



人間の人生には、
不安や悩み、苦しみや悲しみ、
痛みや怒り、くやしささえ覚える連続なのです。
人は、深くきびしい現実の中で、
深刻な問いにたいする答えを見つけようとあせり苦しんでいるのです。

しかし、答えを見い出すことができず、
ますます深みばかりが増し加わり、
迷い道ばかりなのです。

キリストへの信仰においては、
答えの出ない問いなど存在しないのです。
なぜなら、
すべての問いを解き明かす ”鍵 ”がキリストの福音だからです。

聖書・バイブルは次のように語っています。

「知ってのとおり、
あなたがたが先祖伝来のむなしい生活から贖われた(あがなわれた)のは、
金や銀のような朽ち果てるものにはよらず、
きずや汚れのない小羊のようなキリストの尊い血によるのです。
キリストは、天地創造の前からあらかじめ知られていましたが、
この終わりの時代に、あなたがたのために現れてくださいました。
あなたがたは、
キリストを死者の中から復活させて栄光をお与えになった神を、
キリストによって信じています。
従って、あなたがたの信仰と希望とは神にかかっているのです。
あなたがたは、真理を受け入れて、
魂を清め、偽りのない兄弟愛を抱くようになったのですから、
清い心で深く愛し合いなさい。
あなたがたは、朽ちる種からではなく、
朽ちない種から、
すなわち、神の変わることのない生きた言葉によって新たに生まれたのです。
こう言われているからです。
『人は皆、草のようで、その華やかさはすべて、
草の花のようだ。
草は枯れ、花は散る。
しかし、主の言葉は永遠に変わることがない。』
これこそ、あなたがたに福音として告げ知らされた言葉なのです。」

 (新約聖書・ペテロの第1の手紙・1章18~25節・新共同訳聖書)

どうして・・・・と、
受け入れがたく、
理不尽だと思うようなことでさえ、
神は、その理由と、
そこから抜け出す方法を明らかにされているのです。

多くの場合、私たちは、
いま置かれている現状を基準にものごとを考えます。
いまある状態が標準であり基準なのです。
今を手放したくありません。
自分の持っている、
また使っているものを人の手にわたすことは許せません。
ですから、
どうして神は許されたのか・・・ということになるのです。

私たちは、なぜ、
人間の愚かさ弱さに目が行かないのでしょうか。

最初の人間が創造主なる神に背いて以来、
人間の生には死が入り、地は呪われ、
すべての人間は労苦して人生を歩まなければならなくなったのです。

私たちの、不安や悩み、苦しみや悲しみ、
くやしさや痛みや怒りのすべては、
人間の心の奥深いところに潜んでいる、
人間が生まれながらに負っている性質、
罪深い性質が招いたものなのです。

この世界を創造された神に聞き従わない性質・・・。
それがすべての根源なのです。
人間が生まれたときから負っている罪の本質なのです。

神の前で罪人である私たちが、
救い主・キリストを自分の主人として、
キリストへの信仰において、
その言葉に聞き従うことによる人生においては、
俗世・世俗のことは、
それほど深刻なものではなくなってくるのです。

草は枯れ、花は散る。
しかし、主の言葉はとこしえに残る。


北白川 スー

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Wrote up on January 20, 2013.